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2010年8月31日 (火)

日本の所有権の発達(七)・・・太閤検地

陰暦 七月二十二日

 太閤検地の目的は、戦国大名と土豪との間に結ばれた土地の所有関係の確認の契約を解いて、土豪の土地所有権は豊臣政権が保障し、大名をただの行政機関に することにありました。織田信長ー織田家の武将ー土豪という支配関係を全国に広げたのです。大名の仕事は、外征や謀反人の処罰といった中央からの命令によ る軍事行動と産業振興などに限定し、これまでの政治の最大の仕事であった土地の所有権の確認は今の言葉で言えば「民事」として行政は不介入する方針を豊臣 秀吉は徹底しました。

 そのため、全国的規模で大名の配置替えが行われます。大名を先祖伝来の土地から分離して土地への支配権を弱めたのです。先祖伝来の土地から離れたくない土豪は、政治に参画する権利はなくなりましたが、名主階級としてその土地に残ることができました。

 徳川家康は秀吉が目指す世の中を良く理解していました。それは彼が権力を握ってから、秀吉以上に熱心に大名の配置替えを行い、お手伝い普請によって大名の仕事を戦争から公共事業を行うゼネコンに変えてしまったことからもわかります。松平氏自身が、荘園領主や戦国大名のきまぐれに泣かされてきた土豪の出身でしたので秀吉のやろうとしていることがよくわかったのでしょう。

 しかし、島津氏や毛利氏のように土地との密着が強すぎる上に、豊臣氏としても遠慮せざるを得ない事情のあった大名の扱いには苦労しました。秀吉はこの大名の土地支配権を弱めるために朝鮮の役を利用します。九州では朝鮮の役の最中に太閤検地が行われています。そして朝鮮から帰ってきた武将には、従来の所有地とは別の土地を与えることが大名に奨励されています。武士の土地所有への介入を排除することに豊臣秀吉は生涯をかけたのです。

 太閤検地によって、武士の土地支配権は大幅に弱められました。武士は土地を取り上げると脅して農民から年貢を取り立てることが不可能になりました。そこで愛民思想が出てくるわけです。治水事業や産業振興などによって、庶民を豊かにすること報酬として、武士は農民から年貢を受け取るという思想が生まれます。これは近代的な国家像に近いです。

 徳川幕府は、年貢の納入は名主階級に請け負わせて、村の中のことは全く介入しない姿勢を貫きました。江戸時代を通じて生産力は増え、検地による実際の生産力の把握は追いつきませんでしたので、天災以外ではほとんど年貢の未納はありませんでした。

 土地の売買は一応禁じられていましたが、永遠に貸すという形で行われていました。土地の売買はかなり自由に行われていましたが、大名はそれを感知しませんでした。

 江戸時代の行政の組織と業務というのは、この太閤検地という国勢調査のときの国家規模に合わせています。大名の収税力はこの時に上限が決められてしまいました。農民の義務はこの検地の時に決められた年貢を納めていれば十分でして、開墾や家内工業などでいくら収入が増えようともそれを大名に申告する義務はありません。ましてや戦国大名ー土豪という支配関係の環の外にあった商人の活動の拡大は想定外でした。

___________________________

 このあたり、大東亜戦争の総力戦態勢が構築された時に広がった許認可の権限の範囲内でしか経済活動の把握ができない日本の今の政治体制と似たものを感じています。つまり省庁の許認可というのは太閤検地の時に決まった所有権と納税の義務であり、その枠をはみ出す経済活動を日本の政府は把握ができないようにできているのではないでしょうか。

 太閤検地は南蛮や明と戦う戦力(即ち総力戦態勢)を構築するために実施されました。現在の日本の制度も明治以来欧米と戦うために構築されました。どうも日本というのは(というか世界中そうだと思うのですが)外敵の脅威がなくなると国家の統制力は弱まるんですね。戦争でもないと庶民は正直に自分の経済力なんかお上に報告しないわけです。なるべく貧乏を装って納税を忌避します。当然ですね。

 だから米国なんかがたえず外敵を捜して、戦争を口実にして国家体制の組み替えをやっているのは理解ができることです。欧州や日本などは擬似的な戦争として温暖化とか資源の涸渇を使おうとしていますがあまりうまくいっていません。次に経済活動の拡大に行政の財源調達力が追いつかなかった江戸時代の日本で起きたことを見ていきましょう。

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コメント

べっちゃんさんが指摘する「太閤検地」による所有権の確立は話は、司馬遼太郎の「夏草の賦」下巻の『天下』の最後で、方広寺建立の話が出てきます。

 木材の供出を命ぜられる長宗我部元親が

 「つまり、こうだな」元親は物惜しみをしているわけではなく、この理屈っぽい男にとっては道理のすじが通らねばどうも心が落ちつかない。

 「つまり、こうか」と秀吉政権と自分のような大名との関係をあれこれと考えた。なるほど土佐一国は元親の報土である。しかしながら以前のように私領ではない。(かの秀吉からこの国を仮に借りているだけなのだ)

 ということであった。元親は土佐を領有しているのではなく、「土地を統治することをゆるされている」

 というだけにすぎない。天下は秀吉政権のいわば暗黙のうちの公領であり、もし不都合があれば国そのものを召し上げられるのであり、ましてその国の産物を献上せよとなれば献上せねばならない。

 (そういう仕組みの世になったのだ)あらためて気付かされた。

 という部分であらわされていますね。

 そういうことです。ただ、現実の長曽我部氏にはそのような認識はなかったと思いますが(^^;

 そしてソ連のような社会主義国家になるということは均田制に戻ると言うことですから、進歩じゃなくて後退なんですね。

 戦後の農地改革は太閤検地と同じでしたから、日本人はマッカーサーとその路線を継承した自民党を強固に支持したんです。

 鎌倉幕府成立と太閤検地と農地改革の時の成功体験が日本人には強いのだと思います。もし今の日本の閉塞状態を解消するのだとしたら、この三つの改革と同じやり方じゃないとうまくいかないのではないかと私は思います。

 つまり、各人の生業についての所有権を認め、その代償として納税を強化する。現代における太閤検地がどういった形態をとるかはこれからの研究課題ですね。

 今の日本人が、一種国民全体としてサボタージュ状態(デフレ)にあるのは、荘園領主とか戦国大名のような、庶民の所有権を脅かす何かがあると日本人が感じ取っているからでしょう。政治家とか官僚とかそういう単純なレベルの話ではないでしょうね。

 今必要なのは本領安堵なんですね。

 公共投資批判は、工事(労働)そのものより、用地買収にコストがかかります。
 私的財産の保護が守られているからこそおきることではありますから、批判の本当の核は、「所有権」を認めたくないということに尽きると思います。公共財を易く購入したい、利用したい、私的財産も同様にということがたぶんにあると思います。
 ネオリベ・リベサヨな方達ほど、この傾向は顕著だと思いますね。

 つまり、公共事業を害悪視するとは生存にコストがかかるような場所には住むなという主張なんでしょうね。

 しかし、山野というのは人が住まないと荒れ果てて、やがて下流の都市にも災害をもたらすのですが・・・

 土地というのは昔は部族の共有物か、でなければ貴族の物であったわけで、それを抜きにしては昔の王侯貴族の権力の強さを理解はできないでしょう。

 庶民の土地所有が確立しているのは、日本と米国と英国くらいしかないと思います。

 大陸欧州で国家の権限が強く、金銭以外の土地や物品への所有権に対して人々があっさりしている(公共のためという理由だったらあっさり土地が接収できる)のは、ドイツに見られるように主権が人々じゃなくて両方国家の方にあった名残じゃないかと思うのです。

 欧州では土地は領主様の物という世界がまだ続いているのではないでしょうか。公共精神が強いと言えばそういえるし、所有権が確立していないと言えばそういえる。

 また、均田制と荘園制の間を何度も行ったり来たりしている支那が、社会主義を受け入れて、今また資本家への土地集積の道をたどろうとしているのはごく自然なことだと思います。

 でも独立自作農の出現は難しいんじゃないでしょうか。もしそうなるとしたら、支那にとっての鎌倉幕府の成立並みの大変革になるでしょうね。

>庶民の土地所有が確立しているのは、日本と米国と英国くらいしかないと思います。

 それぞれ成立のプロセスと権利意識は違うでしょうね。
 米国の土地所有とプライバシーは両輪の関係で、日本は土地所有とプライバシーは分離、英国は貴族の土地所有放棄と金融資本への早期への移行が庶民が所有することで、行動の自由を制限する。ようなイメージがあります。
 
 ところで、べっちゃんさんがこのエントリーをお書きになっているさいに、ネットで、非実在老人と「地籍問題」について、いろいろと出てました。
 世界的に見て、国の地籍調査が進んでいない国が日本で、欧州は高いというものです。
 この辺りにも。欧州貴族(領主)の中世的な所有権の強さが、残ったことによるものでしょうね。
 
 日本の「地籍調査」を推進する方達の中には、純粋に確定したい人達ばかりではないでしょう。
 公会計を民間経営のようにB/Sに、土地や設備など資産の評価に民間企業並みの基準を取り入れるなど厳格化する。また、有形固定資産の時価評価を確定する作業は、公的資産の有効活用→売却へと向かいます。
 小澤一郎は、国有財産の内、200兆円を証券化して、財源を確保するらしいです。
 「地籍調査」で明確化された、国有地はどのような運命にさらされるのでしょうね。

 国有財産を売却するとネットでの債務は増加しますので国債を増発するのと同じことになります。

 しかし資産売却によって担保に対する債務の倍率(リバレッジ)は拡大しますので、国債の増発よりもバランスシートが悪化することになりますので、財務上はよろしくありません。

 経理の基礎的な話ですよね。

 「経営能力が無い」と言った方がいいのか、むしろあるからこそ「実質的な財政破綻」をおこすことで、財政破綻論を強化したいと考えるべきか。また、日本経済がより不安定になることを望む者達に...と書くとネットウヨ的な方達に、「売国」と喜びそうなネタになってしまうかな。
 

 鳩山と一緒で口からでまかせでしょう。深いことは考えていないと思います。自転車操業の会社と一緒で目前の一票を集めることしか考えていないと思いますよ。

 でもそれだけに恐いんですけれどね。

 菅総理は人気で勝てると思ってあんまり選挙運動をしていないように見えますが、地道に一票一票固めるやり方は恐いですよ。

 小沢氏は誰かに「選挙担当」「資金集め担当」として使われる分には優秀な人物なんでしょうけれどね。自分で目標を設定して、戦略を立てて組織を動かすことができない。

 そして日本はこの二十年間政治に限らず経済でも地域でもなんでも、このタイプの人に使われる分には切れ者だけれど、上に立った途端に何をしたらわからなくなってしまい無能になってしまう指導者を選んできた結果として現在の閉塞状況があるんですよね。

 おそらく小沢は国会議員票で勝ち、サポーター票と地方議員票で負けて最終的には負けると思うのですが。小沢が野党との連立組み替えを主張した手前、菅総理は秋の臨時国会で連立組み替えが不可能となり、菅政権は国会で雪隠詰めとなり年内で内閣総辞職か解散総選挙となります。

 小沢は今回負けたとしても、票を積めば積むほど発言権が増し、党を割るにしても、菅が追いつめられた形で解散総選挙をやるにしても、政界の主導権が握れるわけです。損はない勝負なんです。

 訴追されても、裁判は田中角栄のように死ぬまで引き延ばせばいいわけで。

 この前菅が小沢に会談を申し込んだ時点で、菅は勝負に負けているんです。党首選には勝つでしょうが勝負は負けています。

 菅の前に待っているのは徐々に党内で味方を失い、辞職するか、負けが見えている選挙を戦うかのどちらかです。

 まあ起死回生の手段があるとすれば、小沢一派が反対せざるを得ない法案を出して、衆議院に否決させて、夫技一派を除名した上で解散総選挙に打って出ることでしょうね。小泉さんが郵政選挙でやった手法です。

 これなら小沢派を弱めた上で、菅民主党は180くらいで生き残るので自民党との連立が成立するでしょう。解散総選挙をやるのなら早ければ早い法が良いでしょうね。時期を見誤ると菅・岡田・前原はジリ貧となります。その先に待っているのは民主党の崩壊です。

 まあどっちに転んでも、私としては望むところです。これほど面白い見せ物は滅多にありません。

 解散総選挙になった場合、小沢党は60〜80人くらいの野党になると思います。そして自民党と官民種痘の連立政権ができます。

 そうすると野党第一党の党首の小沢は自動的にマスコミと検察からお目こぼしを受けるんですよ。

 巨大与党に対峙する弱小野党の党首ほど社会的に安全な地位はありません。

 おそらく彼はそこまで読んでいるはずです。

 民主党が解体される方向に向かうのは、慶賀に耐えないことですが。
 
 ただ、社会保障関係特会と地方交付税特会に手を付けて削減することで財源を確保する方向にも今回の討論で出ていますが、
「仕事のページ(権丈善一ホームページ 2010年9月4日付け)」
「こいつ、ただのアホなんだろうな。」

 権丈先生相当お怒りで、あきれてます。

 「地方分権」という「戦略的撤退」の「地方交付税特会縮小」と「格差拡大」の「社会保障関連特会」の縮小による「焦土戦術」を駆使してくれそうで、茫然自失になりそうです。

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