青森へ行ってきました
九月四日
土日と鉄道乗り潰しのために青森の方へ行ってきました。
朝早く起きて山形ー新庄を乗り潰すためにつばさ号に乗って新庄へ。新しいつばさ号は座席がゆったりしていて快適です。このシートは二十年前のグリーン席並みだと思います。
次に酒田へ向かい、列車待ちで一時間半ほど余ったので本間美術館へ寄りました。本間美術館は、庄内の大地主本間家の別荘と本間家所蔵の美術品を展示しています。昭和天皇も宿泊されたという別荘の豪華さはすごかったです。別にヴェルサイユ宮殿みたいな飾りがあるわけではないのですが、総正目の柱とか、厚さ5cmの一枚板とか、目眩がするような材料を惜しげもなく使っていました。
美術館では、中国美術展をやっていました。インパクトがあったのはこの象尊(象型の青銅器)です。
三千年前の支那には象がいたんですね。そういえば「象」というのは象形文字です。てか象形文字って言葉自体が。白川静先生によると、古代の商では土木工事に象が使われていてそれで「象」という漢字には「物を作る」という意味が込められているんだとか。他にも犀や虎や水牛の青銅器も展示されており、三千年前の支那が温暖で東南アジアのように森林と湖沼に覆われた世界であったことが分かります。
これが時代が下るにつれて青銅器ものっぺりとしてきて、題材も馬とか牛のような草原の生物になり、漢の時代になると陶器しか作れなくなります。寒冷化によって森林が後退し、高性能な木炭も取れなくなり、冶金の技術が失われたのでしょう。鉱山も涸渇したのだと思います。
人間の活動によって森林が後退したという考えには最近の私はちょっと懐疑的でして、支那も、メソポタミアも、北アフリカも人間活動ではなくて乾燥寒冷化によって砂漠化したのだと思います。
とにかくこの象さんの青銅器はインパクトがありました。歴史と自然の関わりを教えてくれるとても良い材料なのでもっと知られても良いと思いました。
酒田の駅前のうどん屋で昼飯。美味しかったです。肉うどんの具が豚肉だったのには驚きました。
この日は奥羽線(秋田ー青森)の残りを乗り潰しました。十四年前と比べて青森の町はきれいになって活気にあふれていました。青函連絡船廃止で一時は衰退しましたが、新幹線開業を控えて整備し直したのでしょう。助六という飲み屋に入ったところ、お店の人の感じも良く、料理と酒も美味しかったです。付け出しで出てきたゆで卵が美味しかったのでもう一つ頼んでしまいました。東北はとにかく料理が美味しいのが良いですね。
夜は青森のビジネスホテルに宿泊。
日曜日は朝早く起きて津軽線に乗りました。蟹田駅にはてっちゃんが集合していて、いつもと違う様子に地元の子供が怯えていました(笑)私同様にスリーデーパスを使って乗り潰しに来た人達でしょう。あと蟹田駅からは竜飛海底(青函トンネルの海底駅、観光用に春〜秋に公開されています)行きのバスも出ています。
蟹田から陸奥湾フェリーに乗るつもりだったのですが、タクシーにスリーデーパスを忘れてしまい、そのゴタゴタで乗り遅れてしまいました。仕方がなく、白鳥号を使って陸路で下北半島に向かいました。がっかりしていたのですが、たまたま乗った快速きらきらしもきた号で津軽三味線のライブを聴くことができました。とてもかっこよくて感動しました。フェリーに乗っていたら聴けなかったわけで怪我の功名という奴ですね。
次に八戸ー久慈を乗り潰し東京行き最終のはやて号で帰りました。青森県の鉄道路線は意外と長くて二日間で550kmかせぎました。夏に三日間かけて乗った距離とあまり変わりません。これで完乗率は73%を超えました。
青森県は本数は少ないですが、様々な特急が行き交っていて面白かったです。大湊線に「JRでの存続決定!」と垂れ幕がありましたが、そうすると大湊線はJRでは初めて自社路線とは接続しない路線になるのでしょうか?
これであと一回で東北地方は完乗できそうなところまでこぎつけました。
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