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2010年10月14日 (木)

雇用の流動性・・・

九月七日 【鉄道の日】

 今さらながら根本的なことに気がついたのですが、「雇用の流動性を高める」の本来の意味は「ある会社の正社員から別の会社の正社員になりやすくする」ことであって、「首切りをしやすくすることと非正規社員を増やすこと」ではないはずですよね。

 日本では雇用の流動性すなわち「人員整理をやりやすくして、非正規社員を拡大すること」と捉えられがちですが、これって意図的なミスリードなんじゃないですかね。

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コメント

待ってました流動性の話。

ほんと切実に今の日本に必要なのはこれだ、と思います。

左右関係なく(というかそういう捉え方をするのがもう古いのか・・・)このミスリードにはまってる人が多い気がします。世代的なものなんでしょうかね?

 もともといろいろな働き方を認めようという意見だったはずなんです。出産と子育てで一時的に職場から離脱しても、仕事に復帰しやすくするとか、半日だけの出勤でも良いことにするとか(可能な職業は限られると思いますが)。

 海外の詳しいことは分からないですが、日本では正社員はそのままで、そういった多様な働き方は非正規社員で実現してください。という国や労働組合の方針がずっと続いていたので、本来人の生き方の選択肢を増やすためのはずの多様な就業形態が、ただの人件費抑制になってしまっていると思います。

 特にフェミニストなんか上手いこと利用されてしまっている気がしますね。

 80年代末以来メディアや学者は「多様な生き方ができるよ、会社には縛られない自由があるよ」、という甘言で若者の非正規労働への抵抗感を下げて、結果日本の中に正社員になれない、低賃金労働者の階層を作ってしまったんです。

 トレンディードラマとか青年マンガとか子供向けアニメで90年代にさんざん正社員は貶められていたのですが、私は子供ながらにどうしてこんなにサラリーマンのお父さんを貶めるのだろうと疑問に感じるほどでした。

 藤子不二雄のマンガではサラリーマン家庭というのは幸せな家庭の代名詞と描かれているじゃないですか。それが90年代になるとマンガではサラリーマンの家はお父さんが帰ってこない不孝な家としてマンガでも描かれるようになってくるんです。

 この動きは小泉政権以前から進んでいますので小泉さん一人の責任ではないでしょう。これもまた運動家や学者は上手いこと利用されていまして、小泉さんを悪者にすることで、この非正規労働によって利益を得ている人たちから国民の目をそらさせることに手を貸しているのです。

 多様な就業形態を求める運動をしている人たちが、日本的共同体的会社観を否定してそれを壊そうとしているのもいただけません。それじゃ正社員は警戒して多様な就業形態を認めようとしないでしょうし、非正規社員の方もいつか共同体的会社が壊れるというありもしない願望にしがみつくことになるでしょう。

 結局分断統治であるのかもしれませんね。本来なら協力し合うべき正社員と非正規社員を敵対させる。本来なら協力し合うべき労働組合と社労士などを対決させる。この対立を誘導したメディアの罪は重いと思います。

 べっちゃんさんが憤慨しても状況は変わりませんよ。
 自由な労働、多様な働き方を受容する社会をすることが「雇用の流動性」の本質であったのはご指摘の通りです。
 自由な価値観、労働の多様性によって、若年世代の可能性を広げることを潰すし選択の自由を狭めることが、分断統治する上で必要だったのだと思います。
 日本の保守によってそれが実現するとフェミニズムにとっては都合が悪かったんですから。
 「失われた××年」の本質は、経済的問題より、日本的共同体社会を破壊すること、多神教的価値観の根絶と一神教的価値観へのすり替えがあったように思います。
 

保守系左派さんおはようございます。

最近脳味噌を酷使する仕事が続いていまして、ブログがお留守になってしまいすみません。

この二十年間に日本で起きた様々な変化は、全体としてそう異常なことではなかったと思うのですが、なんとなく人々の間の敵意を醸成する形で変革が進められてきたことだけはおかしいと思います。

勘ですけれど、政界・官界・財界・学界と庶民の間を結ぶはずのマスコミとかそこで蠢く中途半端な人たち、特に学者くずれですね、そういう人たちの半治半解の解説とか学問の世界への妬みなんかが原因のような木がしています。

 「同一労働同一賃金」にしても、雇用の流動化によって多様な働き方をどのように吸収するのか、その働きの相違を見出すのか、難しと思います。
 本音は、定期昇給無き雇用契約が前提と考えますから、なお一層の能力主義、評価主義労働とならざるを得ません。
 なんでもかんでも、日本型雇用は悪。保守は労働者の敵呼ばわりするのも対外にして貰いたいです。
 霞が関叩きは、べっちゃんさんが指摘する人達にはとっては、存在意義を失いかねないものである以上、彼等を叩き自ら(民)が上であることにしたい大学時その後の人生がそのようなルサンチマンの権化としての日本的左翼を形成するのかもしれません。暗黒面は至る所に開いているものですね。

 ただ・・・実を言うと日本の労働の過半数を抱える中小企業では英米とかスペインとか韓国とかとそんなに差がないほど短期の雇用が多いんですよね。

 あと、解雇以外での自主的な動労者の出入りも中小企業ではかなり頻繁だったはず。

 日本の雇用の一、二割しかカバーしていない大企業の雇用形態が日本的労働として扱われていることに違和感を感じます。

 テレビや新聞は大企業にしか興味がないんでしょうか。

 そう考えてみると、日本のマスメディアは報道もバラエティーも全て大学卒で大企業に入った人ばっかり対象にしている気がします。ドラマもアニメも主要登場人物はそういう人たちばかりです。出版もそうですよね。

 それじゃあ面白くなくなって当然です。

 マスメディアも育ちのよい人ばかりになって大企業病にかかっているのかもしれません。

 日本の6割以上を占める中小零細企業の雇用の流動性は昔から高かったんですが、日本特有の内需循環システムが「捨てものあれば拾うものあり」を可能にして、どこかで働けることで地域社会に繋ぎ止められていたのです。これは江戸期での「宵越しの銭を持たなくとも暮らせる」経済環境ほ保守が全国レベルで構築したということでもあります。
 ですから、戦後の民主主義運動、自由主義の象徴として、終身雇用=大企業の雇用形態=日本型雇用(労働)=労働者の在るべき姿を、目標とした部分はあります。
 それにより、戦後の労働政策を一般に浸透させるのに、大企業と公的セクターによる、制度の導入が中小零細企業に善なる波及を及ぼすと考えられたからです。ところが「失われた××年」によって、大企業と公的セクターからの波及効果が無い=ムダの構図が出来上がり、中小零細企業、自営業者は「カイゼン」をしない以上、税金を循環するのはムダという風に考えたのだと思います。
 大卒者の増加により、大企業の雇用が増大すること引き換えに「捨てものあれば拾うものあり」=「雇用の流動性」は喪失していかざるを得ません。
 大卒者の戦後の労働運動、経済活動の浸透に果たした「先導者」としての満たされなくなった欲求をどのように取り扱うかと大企業と中小零細企業との格差を拡大する「事業仕分け」のような劇場型パフォーマンスは辞めて貰いたいものです。

それは米国の責任もあるんですよね。

ハッキリ言って日本は内需は世界有数なんです。かなり大きいとです。まあ世界第三位なので当たり前ですが。

内需は大きいです。小さいのは輸入なんです。

こんなに内需が大きい国を内需が小さいとプロパガンダによって信じ込ませることでことを混乱させた米国の罪は重いと思います。

GDPは国内消費なんですから去年まで世界第二位のGDPを誇っていた日本は世界で二番目に内需が大きい国なんです。

ただ単に輸入が小さかっただけなんですね。

外国から物を買う必要がない国に無理矢理物を買わせようとするからことが混乱でするんです。

米国とか英国とかそれを信奉するエコノミストが自由経済を信じるのであれば、要は日本人が買いたくなるような魅力的を欧米が作れるように欧米の尻ひっぱたければいいだけです。

日本人が買いたくなるような物を作れないくせに、輸入を増やせと要求するのは、要するに管理貿易を要求しているのと同じで矛盾しているわけです。

欧米が日本人が買いたい物を作る能力があれば、輸出入のアンバランスは生じていないんです。

日本の輸出入がバランスしないのは、ただ単に欧米が日本人が買いたくなるような物を作れないと言うだけの話です。悔しかったら我々が買いたくなるような物を作ってください。

酔っ払って書いたので少し変な文章になっていますね。まああんまり気にしないで下さい。

 自分もたまにありますから(笑)
 家に帰っても、仕事の内容とか、プログラムが頭から離れずに寝れなくなるのでを飲んで寝ざるを得ないことは、みんな経験していることではないでしょうか。ただ飲みすぎには注意しましょうね。

 80年代の日米貿易摩擦の自動車と牛肉とオレンジもそうですけど、日本は外需で成り立っている、だから自動車産業を保護するために、農水産物の輸入拡大が必要というのですね。
 現在も同様なTPPが問題になってますね。
 それだけ、日本の内需(市場)が巨大であるからこそ、参入しモノを買って貰いたいのは判りますが、国内生産で充分に成り立つ以上必要性は薄いです。
 前回も経団連と消費者団体が中心となり、消費者のメリット(円高と輸入による物価の下落)をアピールし、国内農水産物が如何に消費者の負担になっているかをアピールしました。今回も同様のことをテレビで流し始めました。
 デフレ解消をする気はないと思います。
 今以上に、消費者としての面だけを強調し、消費者として存在することしか考えないようになってしまうことに恐怖を感じます。

消費者としての自己しか頭にないからなぜデフレが問題なのか分からなくなってしまうのでしょう。

物の値段が下がるのがどうしていけないのかと。

消費者物価指数だけが下がるのなら何ら問題はないんですけれどね、デフレとは即ち人間の値段である給与の下落に他ならないわけです。

給与が下がるから物価が下がっているのに相対的に暮らしは楽にならないんです。

でもそれはあまり給与が下落していない経営者や、マイナススライドがない年金生活者には分からないのです。

米国はデフレになりつつあります。これも消費者としての自己しか頭にないからそうなっているのだと思います。

欧州はおそらくドイツ以外は東南アジアや韓国型の通貨危機を起こして一旦経済が破綻するのでしょう。でもその後は減価した通貨のおかげで輸出が回復するのだと思います。

70年前にあれだけ外国に迷惑をかけたのにドイツは今回も自国のエゴをごり押しして欧州の中小国を苦しめています。ドイツが戦争を反省したというのは大嘘だというのがよく分かる話です。今のドイツの緊縮財政強要外交は内政干渉であり、昔だったら宣戦布告に値する暴挙なんですよ。

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