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2010年10月31日 (日)

継体天皇と伽耶諸国とか

 伽耶(任那)に関する本を読んでいるんですが、ここ数年韓国では発掘が進んで色々と興味深いことが分かりつつあるらしいですね。

 私たちはついつい近代の国民国家のイメージで歴史上の国を見てしまうのですが、実は昔は一つの土地に複数の政府があるのは珍しいことではなかったんで す。京都の朝廷と鎌倉幕府はその最たる物です。神聖ローマ帝国と諸領主もそうですね。人によって別々の政府に所属というのは普通のことだったのです。

 またこれは今でもあることですが、国境を跨いで民族が分布している場合は、自分の住んでいる国よりも隣の同胞が多数派の政府の方を頼りにすることも珍しくはありませんでした。

 てなことを考えると、任那というのは倭人と似た人たちが住んでいたか、大量に移住していた地域で、大和の朝廷は倭人だからということで税金を取っていたんじゃないかなと思いました。時には保護することもあったのでしょう。日本の影響が強かったとか出先機関らしき物があったとしても即日本の占領地だとか保護国だとか考えなくてもいいと思います。良俗的な人たちがいたと想定するのはおかしなことではないと思います。

 万葉集、古事記、日本書紀を記述した人たちは日本語と朝鮮語の両方に秀でていたことは確実なのですが、日本から渡って数世代を重ねて日本語と朝鮮語がチャンポンになった文化を持つようになってから日本に帰ってきた人たちが相当数いたんじゃないかという気がしました。

 あと、近江からは伽耶と共通の出土物が意外と出土するらしいです。継体天皇は越と近江のあたりに基盤を持っていて、奥地(当時として)から来たのでなんとなく日本土着のようなイメージがあり、騎馬民族征服説を唱える人も、神武天皇や応神天皇を大陸からの征服者と想定しがちなんですが、意外に継体天皇こそが最も朝鮮の影響が強い人、あるいは帰化人そのものだったのかもしれないという気がしてきました。

 応神王朝はどうやら朝鮮に出兵したようで、伽耶の政治にも口出しをしているのですが、日本国内では帰化人は政治にはまだあまり関与していません。帰化人が中央の政界で活躍し出すのは継体・欽明王朝になってからです。伽耶が滅んで、倭人と同じ文化を持つ人たちが急速に消滅したその時に朝鮮の影響が強い継体・欽明王朝が始まることは無関係ではないと思うんですよね。飛鳥に大量に住んでいた帰化人というのはこういった任那の遺民だったんじゃないでしょうかね。

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