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2010年10月 3日 (日)

ソ連が福祉で潰れた!?

八月二十五日

 なんか最近の若い人はソ連が潰れたのは至れり尽くせりの福祉で国民を甘やかしたからとかそう思っているらしいという話を聞いた(ブログで読んだだけなのでもしかしたらその人の周辺だけかもしれないけれど)。

 80年代や90年代の報道では、ソ連にはまともな会計帳簿もなく、生産計画も杜撰で同じサイズの靴ばっかり作ったり、流通機構もまともになくて都市の商店では行列ができているのに農村ではジャガイモの山が腐っている、要するに売り物だったはずの計画経済の運営そのもので負けたと聞いていたのだがなんでそんな話になったんだろう。

 そういえばソ連崩壊後の東欧の苦境を説明する時に「共産党時代は福祉が充実していたのに今は自助努力の世界になって苦しい」というのが枕詞のように必ず出る、この影響かもしれない。

 報道する側としては「共産主義にも良い面はあった」と教えたいつもりなのかもしれないけれど、「共産主義は亡国の教え」と頭の中に染み着いた西側の人間の前で旧共産主義国の一部を褒めることは、そうすると国が亡びると言っているに等しいことが分からないのだろうか。

 誰が始めたのか知らないけれど、ソ連と福祉を結びつけるのは福祉国家を葬る良い作戦ですよね。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

「日本が世界で一番成功した社会主義国家」とはよく言われるところですが、世界で一番「小さな国家」たがらと言うことでもあります。

 農林水産業の生産、流通部門は完全に民主導です。価格決定プロセスに官が介在するのは米と麦がやり玉に挙げられますが、行政は、計画・管理・指導・資金・保険・補償等を補助することにしており、全てに介入していたわけではありません。ソ連の計画経済が「欲望の克服」の壮大な実験として「欲」を国家によって制御しうることになりますから破綻したのは必然であったのだと思います。「人が人であることを否定すること」に他なりませんから、労働を通じて人として社会に存在しうる存在である人をモノとして扱うことが如何に難しいかという事の証明でもあったと思います。

 リベラルは「人をモノとして扱う」ことが出発点という思考をするものである。問題は、福祉国家に「モノとして取り扱う」ことへ忌避を植付ける意図があるように感じられます。

 日本の保守は労働を通じた再分配を心がけてきましたが、労働無き再分配を指向する民主党の福祉国家像というものがどれほど歪なのかということでもあるのでしょう。

>労働無き再分配を指向する民主党の福祉国家像

そう、それですよ!私が民主党の補助金中心の再分配政策に感じる違和感はそれです。

子供手当にしても、農家の所得補償にしても、「生かしておいてやる」という傲慢さを感じるんですよね。

子育てや農業がペナルティーであるので、慰謝料として国家が補償してやらねばならない、という発想から出ているのです。これほど当事者を馬鹿にした話もありません。

まあ民主党に限らず、今の日本(いや先進国全体かもしれないな)では労苦することをマイナスとしてしか見なせない発想が充満しているような気がしますね。

これは古代ギリシャとか中世の日本や欧州、それに支那やインドの貴族の考え方なんですよね。

それに対して古代ローマとか、近代の欧州や日本というのは「働くことは尊いことなんだ」という考え方からスタートしているんですが、日米欧自身がこうした思想を捨てて大陸国の貴族的な考えに染まっている、このことこそが近代文明を衰退させるんじゃないでしょうかね。

>それに対して古代ローマとか、近代の欧州や日本というのは「働くことは尊いことなんだ」という考え方からスタートしている

 労働を通じた社会に存在を確立すること及び他者の労働の恵みに感謝することで、人ではなく人間(人と人の間に存在するコミュニケーション能力を有する人)として社会と関われることが重要なんですよね。
 ローマ帝国が「キリストの勝利」によって自由を喪失し異なる価値観の共存を否定して行き、近代になってやっと戻りつつあるのを嫌い中世的世界観に戻りたい貴族主義と階級の固定化、地球温暖化原理主義による「お金持ちはエコに走る」エコ商品を欲しいという属性の確立とは、富裕層と知識層のステータスを補完する原理としての、「承認の闘争」「尊厳の再分配」を満たすということなんでしょう。つまりエコブランドを育てるというのは、効率の良い顧客である「富裕層と知識層」だけを囲い、その富により成長を享受できる経営戦略ということになります。
 そのためには下層階級は捨扶持的なベーシックインカム等(労働無き再分配)を与えるだけでよいということなんでしょうね。
 それがネオリベ=リベサヨの正義というものです。

 左翼政党というのは階級問題を内心の問題としてくれるんですよね。

 どういうことかというと、左翼政党を応援したから(実際には収奪する側にいるんだけれど)私は貧民のことを思いやる慈愛あふれるお金持ち、という免罪符が得られるというわけです。

 だから実際は再分配政策をしないで、理想だけは高い左翼政党というのは支配者にとって最も好都合な政党なんです。ブレア時代の英労働党、中国共産党、それに日本の民主党がそれですね。

 キリスト教も同じ役割を果たしていました。虐げられる者の味方であるキリスト様を敬いました、だから福祉政策はこれで終わり、さあ働け!でないと天国には行けないぞ。ってのが中世のキリスト教なわけです。

 逆に地道に再分配を進めていくような自民党とかドイツの社会民主党なんてのは最も恐るべき存在と言うことになります。両方ともメディアから言われなき攻撃を受けて昔日の面影がありません。オバマ大統領を加えてもいいかもしれません。

 平和が続くと階級が固定化しやすいわけですが、日本でも欧州でも米国でも、そして支那でもお金持ちは二代目・三代目に入って、支配層が生まれながらのお金持ちで占められるようになって、貧乏ってどういう物なのか、あるいは貧乏人が怒るとどんな恐いことがあるのか分からなくなっているんじゃないでしょうか。

 どこの国でも資本家の階級利益を前面に押し出す政策が全開の状態ですが、これは危険だと思いますね。なんというかウィーン体制とかヴェルサイユ体制に似たものを感じますね。どっちも最後にはカタルシスが待っていました。

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