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2010年11月22日 (月)

神田明神が江戸の町の守り神なわけ

十月十七日 【小雪】

 近くの古本屋で小学館の「マンガ・人物日本の歴史」が大安売りしていたので買ってきました。

 これ、有名な人物もさることながら悪党とか一揆とか江戸っ子とか庶民の生活を描いた巻に名作が多いんですよね。歴史の勉強を抜きにして物語として秀逸だと思うのです。

 「平将門」を読んでふと思ったのは、徳川幕府が神田明神を江戸の鎮守にしたのは京都の朝廷にプレッシャーをかける意味合いもあったんだろうなと言うことです。初めて朝廷に本格的な反乱を起こしていい線までいった人物を神様として祀っていたと言うことですからね。お前らあんまり無理難題をふっかけるとどうなるか分かっているんだろうなと言う関東の無言の圧力だったのでしょう。

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歴史:武家」カテゴリの記事

コメント

 武蔵野国の政庁はお住まいの近く。武蔵一ノ宮は、氷川神社(現埼玉県)。
 神田明神が何で?なのは不思議なところです。江戸期の途中から、成田山が重要視されるのも、平将門と無関係ではありませんね。
 京と成田山の関係はかなり深そうですね。
 相模国から船で木更津周辺に渡り、街道を整備するに至っては、謎めいたものを感じずにはいられません。

 本日、以前にべっちゃんさんが、石油について述べてたエントリーがありましたけど、マントルが石油を産出すだったでしょうか?

http://oka-jp.seesaa.net/article/170246628.html

 微生物による地球環境支配の姿: 海洋地殻深部より炭素を変換するバクテリアが発見される

というのがありました。仮説の一端の証明になるのでしょうか?

 上総中央部の久留里には大友皇子が逃げてきたという伝説があるんですね。久留里線を乗りに行った時に知って驚きました。

 私はこの伝説は軽視するべきではない気がするんですよ。

 私の推測ではおそらくこれは藤原不比等のことではないかと思うのです。彼の父親の鎌足の出身地は常陸で近いですし、久留里のあたりを本拠地にしていた忌部氏は中臣氏とも関係があります。それに不比等には天智天皇の御落胤だったという伝説が昔からあります。

 それと、天慶の乱が起きた時の天皇は朱雀天皇ですが、この光孝ー宇多ー醍醐ー朱雀と続く王朝は、もともと行為が回ってくるなんて誰からも思われていなかった家系で光孝天皇の皇后で宇多天皇の母親の班子女王は自分で市にご飯の材料を買いに行っていたような慎ましい(ていうか貧乏)な家で、醍醐天皇の母親の藤原胤子も藤原氏の傍系で、その母親(醍醐天皇の祖母)も伝説を素直に読めば庶人の家の娘と言うことになります。

 つまりこの時期の皇統は藤原北家の血が薄く、だいぶ庶民に近く、平将門のような人物が新皇を僭称できるような雰囲気があったのだと思うのです。

 成田山の開基は寛朝大僧正は宇多天皇の皇孫で敦実親王の息子です。関東の不動信仰は皇室とのつながりが深いですが、だいたい帰化人の入植地にあります。高幡や拝島もそうです。おそらく高句麗系です。氷川神社は出雲系ですので新羅とつながりがあるはずです。

 平将門信仰はおそらく高句麗系および百済系帰化人の「天下大将軍」信仰(去年の春頃に書いた高麗神社の参拝記をご参照下さい)と習合している可能性があります。

 つまりこれはこの前に書いた天武王朝の応援団(天智系の桓武王朝では野党になる)であった関東の帰化人、豪族が一致して別王朝を建てようとしたと見ることができるわけで、京都の朝廷としては看過できない事態なのです。

 藤原純友も、海人族の総本山の伊予の三島を本拠地にしていました。これもまた古来から皇室を支えてきた海人族からの不満表明なんですね。

 平将門の乱と藤原純友の乱は、面白いことに中世にスタートラインであると共に、古代の豪族の最後の光芒でもあったのです。

 今高望王のことを検索したら、高望王(平将門の祖父)は左遷された菅原道真と同時期に太宰府に赴任していたそうですね。

 班子女王の父親の仲野親王は何度も常陸と上総の国守になっているのですが、班子女王と高望王は従兄弟になりますから、多分この二人は同年代で知り合いだったんじゃないかと思うんですよ。

 もっと想像をたくましくすると、恋仲になったことがあるんじゃなかろうかと。

 つまり高望王は仲野親王と懇意で、仲野親王から関東のことを色々話をきかされていて、それが高望王の関東土着に影響したのではないかと私は考えたいのです。想像ですが。

 だとすると、将門の親の世代、良将や国香は子供時代の宇多天皇のと一緒に遊んでいた可能性もあると思います。その頃は両方とも京都に住んでいて貧乏皇族だったはずですから。

 将門があれだけ際どいことをしても、藤原忠平はギリギリまで庇い続けるのですが、これは高望王の一族が光孝ー宇多の系統と懇意だったことが影響しているのではないかと思うのです(想像です)。

 ここまで来ると小説になってしまいますが(笑)

 越(北陸+東北+北関東)の新羅系と南関東を中心とする高句麗系と畿内の百済系の勢力争いが、不動信仰と八幡信仰で融合していく中で、神道系の越と対立していくということでもあるんでしょうかね。
 古代豪族の消滅と武士団の成立が王朝の設立から、権力機構の外注化を進める天皇家の方針と合致することで、日本人もまた成立したということなのでしょうね。
 こういう書き方すると。他の保守からは忌み嫌われそうですが(苦笑)

 関東の歴史は非常に帰化人との関連が強いです。日本の歴史というのは結局江戸時代までは畿内の歴史で、畿内も帰化人は多かったはずなのですが、日本の文化の中心となったので帰化人のことは表に出てこなくなりました。

 でもこの畿内の帰化人を排除した歴史観では関東の歴史は理解しにくいのではないかと私は思います。

 古代の豪族は消滅したと言うよりは、おそらく皇孫や藤原氏を婿に迎えることで王朝国家体制に適応したのでしょうね。

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