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2010年12月16日 (木)

何を消費しよう

十一月十一日

 なんか石油を作る藻類が見つかったらしいし、温暖化なんて元々心配する必要はないし、気になるのは銅や亜鉛が枯渇することくらいですが、これも地殻深部まで掘削する技術ができれば解決するでしょう。人間は栄養状況が良くなるとあまり子供を作らなくなりますので人口問題もいずれなくなります。何の心配もなし、世界中の人みんなで豊かになればいいのです。

 さて今でも十分に豊かなこの先進国でこれ以上何を消費するかです。福祉は候補の一つでしょうが、これは国民全体を平均に近づける効果はあると思いますが、全員の水準を引き上げる効果はないと思います。

 いろいろあると思います。もはやエネルギーや温暖化の心配をする必要はありませんが、自然保護のために金を使うのも手でしょう。節約のための自然保護ではなくて金とエネルギーを消費して、人間にとって心地よい自然を作るための自然保護です。

 例えば、道路や鉄道をすべて大深度地下に通すようにするとか、山間部の環境を守るために、あるいは観光のために、給料を払って昔ながらの農業をやってもらうとか。

 ロボット技術を開発して、一人一体ロボットの召使いを持てるようにするとか、全自動運転で絶対に事故を起こさない車とか、3Dのテレビとか本とか。

 必要なのは金を多く稼ぐことではないのです。有意義なお金の使い道、新しい生活のモデルを提示することなのです。魅力的な生活モデルが提示されれば、人は争ってそれを実現しようとして、金を稼ぐようになります。戦後の日本人にとっての米国とか、今のアジアにとっての日本がそれです。

 魅力的な金の使い道なしに、所得を増やしても貯蓄が殖えるだけなのです。

 大事なのは「お金を稼いでこんな生活がしてみたいな」というモデルを提示することだと思います。

 私はそれは、管理され、大量のエネルギーと人力を投入した「自然」、防災と観光のための舞台的農村、徹底的に自動化された快適で安全な都市ではなかろうかと思います。

 この生活モデルが実現されれば、世界中が争って日本から学ぼうとするし、物を買おうとするでしょう。日本人全体も豊かになるはずです。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

こんにちは、べっちゃんさん。

「何を消費しよう」「輸出を増やすために貧乏になっても仕方がない」「目指せ1ドル10円 」と、一歩間違えれば、「デフレ政策拡大」と「良き消費者(顧客)」選別主義や社会存在確認(労働から消費へ)と多岐にわたり、議論がおこるテーマです。

 リフレ派どころか、福祉国家主義等々を敵に廻すかのようで、コメントしていいものか悩むところではありました。

 

 「目指せ1ドル10円 」については、円高による資産価値の上昇による対外資産の買収や投資を促進することに比重を置いている方達からは、円高是認論が出ていましたから、驚くには当りません。

 ただ、日本の貿易収支と所得収支を見ると、貿易収支より所得収支の割合がものすごく高い状態が国内の長期デフレ状態と重なるような関係が有りますから、これ以上の対外資産の拡大は、海外からの所得収支(利息や配当収入等)がより一層拡大する事を意味します。世界で傷ついていない日本の金融資本主義が拡大する懸念が高いことになりますし、貿易収支のマイナス化を促進することになるように感じられます。

 世界中の優良企業・国家の配当収入を事実上、日本一国に集約するという考えは、「不労所得」によって、強制的な「消費の奴隷」=ベーシック・インカムによって内需を維持するということなのでしょうね。

 ある意味世界中から非難を受けかねないものではないでしょうか?

 次回の「輸出を増やすために貧乏になっても仕方がない」では、「雇用無き景気回復」=「労働者から消費者へ」=「消費する権利・所得補償」が前提の社会構成を念頭に設計されていることと感じます。

 日本の製造業(大企業)の場合、国内工場より、現在は海外の工場のウェイトが高くなっているはずです。80年代の日米貿易摩擦やEU統合による、対輸出規制に対する措置として、「現地生産方式」を採用し、他国の雇用と経済の安定化に資することで、関税問題もクリアしているわけです。

 ところが、国内からの輸出は完成品より仕掛品(部品)へというシフトが、インフラ輸出の考えに似ているように、円高誘導・デフレそのものとの親和性が高い政策を志向していると感じられてなりません。

 べっちゃんさんも指摘する通り、中小零細企業は破綻し、失業者が溢れる状態になります。雇用の場を国内では無くすわけですから。代替として、「消費者」が市民としての絶対条件・社会存在確認を表すことを国民に転換を要求することでもあります。

 日本人の「八百万の神々」からのアガペーは、日本人のエートスたる、勤労の恵に由来することを思うと、「労働から消費」というものが、日本人そのものを全否定するようで、受け入れがたいところです。

 

 「何を消費しよう」では「ギッフェン財」の上級財思考による、「自然保護」を中核とする需要喚起を構想しているのは感じられますが、「ISO26000」は、その構想そのものを制限していると感じていますから、中々容易ではありません。

 欧州と米国のグローバリズムのスタンスの違いが如実に表れている、ISO26000(欧州)とIFRS(米国)のどちらも、アナルコ・キャピタリズムやリバタリアン、ネオリベ=リベサヨ、ねっとりふれはも好みそうな「小さな政府」を、より招きやすくする危惧が感じられてなりません。

 どちらにしても「良き消費者」のみが生き残る社会に成りつつあるようです。

中短期的(〜5年)な経済対策として、金融緩和と財政政策を行うことには異論はありません。しかしそれを長期的な国策にはできないだろうと思うようになりました。

福祉国家は当然やるべきでしょう。

円高を目指せというのは、金融緩和と財政政策と福祉国家をやった上での話なんです。

リフレ派にしても、福祉国家派にしても、自分たちの政策を実行した結果として需要が回復すると主張していますが、私がいろいろと調べて考えた結果としては、たとえリフレや福祉国家を実現したとしても、円高は止まらないし、製造業の雇用の縮小(産出額は減らないと思います)はおそらく止まりません。

リフレや福祉国家をやった結果として数年の刑期の息継ぎや困窮者の現象はあると思いますが、持続的な経済の拡大、国民全体の所得水準の向上にはつながらないと思います。多分デフレも止まらないのではないかと思います。

第二次産業がうれしいのは、労働者の所得が上昇しやすいのですよね。この職種はがんばって働いただけ所得が増えます。需要がある限りにおいてですが。それに対して第三次産業は国民全体の所得水準より上には労働者の所得が上がらない産業です。

英国や欧州が金融に牛耳られていることからわかる通り、福祉国家は必ずしも金融の肥大化と勤労者の所得の縮小を止められないです。

結局私の問題意識がどこにあるかというと、金融の肥大化です。おそらくリフレと福祉国家にはそれを止める力はないのです。一般国民の生活が楽になるのは間違いないですが、リフレと福祉国家をやってもデフレ基調は変わらないと思います。

先進国が陥ったこの金融肥大化という地獄から抜け出すには、何か新しい価値を生み出して消費の口実を見つけなければならないだろうという訳で、まあ要するにその価値を実現するために超大規模な公共事業をやろう機運を作りたいということなんですよ。ぶっちゃけていうとそういうことです。

・ドル安、ポンド安が30年間続いた米国と英国でなぜ製造業が衰退し続けたのか
・円高、マルク高が30年間続いた日本とドイツでなぜ製造業が高い価値を生み出し続けているのか
・日本よりも福祉が充実していると言われ続けている英国で貧富の格差が残るのはなぜか
・所得再分配政策が進んでいるはずの英国や欧州でなぜ金融や大企業ばかりが肥大化していくのか
・輸出で経済発展しているはずの支那や韓国で貧富の差が激しくなるばかりなのはなぜか

この辺りに私の問題意識があります。リフレや福祉国家はこの疑問に答えてくれません。(もちろんやるべきだとは思いますが)。

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