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2011年1月20日 (木)

網野史観

十二月十七日【大寒】

 網野善彦先生の「日本の歴史を読み直す」を読んでいます。網野先生の史観が分かりやすく説明されていてとても面白いです。

 多分学生時代に叩き込まれた唯物史観の影響なんだろうと思いますが、どうも網野先生の頭の中では原始社会が一神教によって解消されて、やがて市民革命が起きて身分がなくなるのがあるべき姿で、日本はまだ遅れている云々と言う私見が所々に出てくるのが多少鼻につきますが、所々おまけのように出てくるそれをのぞけば、よけいな価値判断の全くない実証的な研究成果の紹介が続きます。

 網野史観の二本柱は、日本人は稲作農民だけではなく、畑作や畜産農家、あるいは漁民、流通業者、手工業者も昔からたくさんいて、王権と独自のつながりを持っていたということと、畿内の王権以外にも東国・奥州・九州にも王権というべき独自の政府があった、ではないかと個人的に思っています。

 前者の方が特にこの本では詳細に述べられています。網野先生は、稲作農業の外にいるこういった職能者たちは、古代には王権や寺社と直接につながっていて、特権を持っており、むしろ稲作農民よりも優位に立っていたのではないかと推測しています。

 どうも網野先生は、古代には
天皇ー公家・寺社ー寺社の付属民ー手工業者・流通業者ー農民
 という身分制があったと推測しているように私には感じられるのですが、これって
共産党ー知識階級ー公務員ー商工業者ー農民
と置き換えればソビエトの体制そのものですよね。網野史観は一種の階級史観であるのです。

 律令時代の日本とか、ソビエトみたいに、農業の生産性がまだ未熟な国に、外部から高い技術が持ち込まれて、第二次産業と第三次産業が第一次産業に対して過剰になった国というのは、こういった体制になりやすいのかもしれません。そういえば古代の日本も、唐から国を守るために、過剰な兵力や軍需産業を維持しようとして律令体制を作ったのでした(この過剰な軍需生産力は、軍備が必要なくなったときに大仏や平安京の建造に費やされます)。

 あと、職能民とつながる天皇は評価するのに、稲作農民が安定して暮らせる世界を作った徳川幕府とそれに権威を与えた近世の天皇は身分制度の淵源として「いつの日か日本が進めば天皇がいらない日が来るはず」というのはちょっと飛躍しすぎなきがします。君主制のない国にも身分はあるし、侵略行為もあるわけで、これは研究対象の非農業民に入れ込みすぎて価値判断が飛躍していると思いますし、矛盾しています。

 徳川幕府が、これら非農業民を差別化においたのはよくないことでしょうが、王朝体制が農民から所有権を取り上げていたことはいいのかと。あと王権や寺社に直属する神人が特権を振りかざして稲作農民から過酷に税を取り立てる律令制度の走狗となっていたことを、非農業民の活躍みたいに書くのは、矛盾してやいませんかとちょっと突っ込みたくなります。

 でもまあ、いろいろと触発されるところの多い本です。

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歴史:権門勢家」カテゴリの記事

コメント

網野史観面白いですよね。(岡田英弘史観も。)

自分でも書いているように、「転向」したということは
http://homepage3.nifty.com/imai-kimio/09note/irokawatoamino.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/網野善彦

逆を返せば元はばりばり共産党員だったということで、
なかなか、そういうところまでは変わらないという
ことでしょうか

やっぱり主義者だったのですか。

網野先生は稲作農民中心史観を覆すことで天皇家の権威に風穴をあけられると思っていたみたいですが、流通とか漁民などを再評価することはむしろ天皇家のありがたみの再確認になるのではないかと思います。

それは網野氏自身が、古代の天皇はそういった職能者と密接なつながりを持っていたことを発見したのだから分かっていたはずだと思うのですが。

職能民の総元締としての天皇の評価と、稲作農家中心史観の解消による天皇権威の弱体化が先生の頭の中でどのように同居していたのか、今となっては確かめようもありませんが、興味のわくところです。

歴史の研究とは別の場所で天皇制反対を言うのなら別にこのような二律背反に悩まなくてもいいのですが。なんだって共産主義者は学問の場にそういった個人的心情を紛れ込ませようとするのでしょうね。

 御伊勢参りお疲れ様でした。今年は何年かぶりで行きたいものですが。

 無縁社会=「世俗的な社会の権力の関係とは無縁である」 =「公界」=「アジール」=「公権力への抵抗」=「住民自治は素晴らしい」=「新しい公共」と、網野先生の先生の影響は結構強いところがありますよね。

 賎民=職能民=自由民=アナキズム=アナルコ・キャピタリズムとして捉えていたのだろうかということでもありますね。ある一定の権威は自立が進むまでは必要ではあることを見つめつつ、階級闘争史観からすれば打倒する目標でもあったということなんでしょう。
 
 ただ、職能民の鉱山関係の山師の集団はどちらかというと、政権から虐げられていたとは思えませんが。

 稲作農家中心史観=呪術(宗教)社会の否定。というのが目的のようにも感じられます。
 専業農家という幻想(稲作農家中心主義)と、兼業農家(商工業との組み合わせ)という現代の問題とも結びつくので、この当りは、批判しずらすところではあるんです。

 私の先祖は瀬戸内海の塩飽諸島の島民で田んぼは一反も持っていませんでしたが、幕府直属の小名で正月には対岸の城主にお目見えをしていたそうです。

 またある先祖は本業がなんであったのかよくわからないのですが、一族がそれぞれなにがしかの商売をしていて、集住しており、もともと備後の方にいたのですが、近代になって備中に出てきました。

 まさしく網野先生がテーマとしていた、稲作農民でなく、農業民でもなく、幕藩体制の外にいて、技術で生活をしていた集団なのです。だから網野先生のおっしゃることは非常にしっくりとくるのですね。

 それだけに網野先生が幕藩体制の外にいた=天皇制を嫌っているはず、と類型化することには違和感があるのです。

 なぜかって言うと、うちの一族は天皇家のファンが多いんです。戦後も毎朝欠かさずに皇室アルバムを見たり、伊勢神宮にお参りしていたりしました。

 それと網野先生は職能民=鎌倉仏教の信者とやはり類型化しているのですが、ところがどうして、私たちは真言宗の信者なのです。多分瀬戸内と東国では違うのでしょう。

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