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2011年1月19日 (水)

伊勢神宮参拝記(五)

十二月十六日

 三日目は、関西本線の伊勢市−津間と名松線乗り潰しです。駅前のコンビニで弁当を買い込み、快速みえ号の始発に乗り込みます。松坂駅から名松線に乗り換え。名松線は平成十九年の台風十八号による被害で家城駅と伊勢奥津駅が不通になっており、この区間は代替えバスになっています。
 

 ですから厳密に言うとバスに乗っただけでは乗車とは言えないのですが、いつ復旧するか分からない上に、廃線になる可能性も十分にあるので、バスでよしとすることにしました。家城駅から三重交通のバスに乗り込むと、乗客は私しかおらず、運転手さんが話しかけてきました。十八切符を見せたら、たまに物好きな客が乗りにくると言っていました。ほかに、春になったら桜がきれいなことや、鉄道沿いは紅葉がきれいなことも教えてくれました。

 家城までは線路の両側に狭いながらも平野が広がっていたのですが、家城から先は峡谷沿いの山道でした。運転手さんの話によると、このあたりは南北朝時代に北畠親房が潜伏していたとかで、北畠神社もあるのだそうです。

 北畠氏が伊勢に割拠していたことは知っていましたが、これほど山奥に住んでいたとは思いもよりませんでした。なるほど、これほどの奥地ならば幕府の手も及ばなかったでしょう。というか、幕府はそこまで苦労してまで北畠氏を討伐する気が起きなかったのだろうと思います。

 山もきれいで、駅もこぢんまりとして情緒はあったのですが、奥津まで客は独り者って来ませんでした。日曜日の早朝とはいえ、これは厳しいですね。
  伊勢奥津駅ではバスが折り返すまで一時間弱あったので、駅の周囲を回ることにしました。運転手さんによると、昔は宿場町だったのだそうです。それで町おこしに地元の高校だか芸大だかが協力して、街道沿いの商店や元商店にパッチワークで飾った暖簾を吊るしてあって、これがなかなか趣ありました。

 暖簾を眺めたり、お地蔵さんに手を合わせたりしながらうろついていたら、なんと銘酒「出世鶴」の稲森酒造があって驚きました。一回だけ飲んだことがあるのですが、結構おいしかったような覚えがあります。ここでしたら、水も空気もきれいですから、おいしいお酒ができるでしょう。

 これまでずっと名松線とはてっきり、名古屋—松坂だとばかり思っていたのですが、奥津の街道が名張に延びていると分かり、初めて名張ー松坂だったことに気がつきました。てことは完成しなかった鉄道路線なんですね。

 このあと、松坂まで戻り、津で快速みえに乗って名古屋まで行きました。そこではたと気がついた。この三日目のルートは出発前に立てた予定通りの旅程だったのですが、実は快速みえ号は、津—河原田間は伊勢鉄道を使うので、もしも二日目にフェリーを使っていたら、この区間が乗り残しになっていたのです。危ないところでした。ということはフェリーが欠航で結局はよかったのか・・・なんか変なところでお伊勢さんのご利益が出たようです。

 このあとはひたすら普通の電車で東海道線を上り、横浜線で八王子に戻りました。

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