冬方鼎
長い金文です。冬(戈の下に冬)という軍人が東夷から国を守ったことを記念して作った鼎ですが、いろいろと興味深い内容です。前段に公式記録が、後段に冬の母親のことが記してあります。
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長い金文です。冬(戈の下に冬)という軍人が東夷から国を守ったことを記念して作った鼎ですが、いろいろと興味深い内容です。前段に公式記録が、後段に冬の母親のことが記してあります。
黄子方座、春秋早期晩段、河南省光山宝相寺出土
(金文)黄子、黄夫人孟姫に器を作る。則ち永く□
(和訳)黄子が妻の孟姫のためにこの器を作った。永く(宝とせよ)。
(解説)河南省信陽市光山は河南省と安徽省と湖北省の境目に当たる地域です。春秋時代地図によるとそこは新蔡の南で黄という邑がありました。南西に千キロメートルほどいくと楚、東に千キロメートルいくと呉ですが、その周囲は何もなく春秋時代には西周の最前線でした。
ということはおそらく黄は西周時代には淮夷であり、西周の攻撃を受けて降伏し、同化したのではないかと考えられます。駒父盨に登場する「菫夷(きんい)」かもしれません。音が似ています("き"は訓読みのようですが、元々は大陸の読みだったと聞いたことがあります)。これがおそらく九夷の一つ黄夷なのでしょう。
山東省にも黄県という地名があって古い銅器が出土していますが、こちらの方は、時代が西周のはじめで啓が王に従って遠征をしたという内容ですので、これは微子啓の銅器と考えられますので、黄夷とは別でしょう。
保員簋、西周早期、出土地未詳
(金文)惟王既に燎、それ東夷を伐つ。十又一月、公周より反へる。己卯、公(早?)に在り、保員麗辟公、保員に金車を賜り曰く「事に用ひよ」と、ついにき(皀殳)を宝とす。公、逆の舟事を饗せよ。
此鼎、西周末(宣王)、陝西省岐山
(金文)惟十有七年二月既に魄を生ずる乙卯、王は周康宮夷宮に在り。旦、太室に格りて即位す。司徒、毛叔右、此門に入り、中廷に立つ。王、史翏冊を呼びて此に命じて曰く、「旅、邑人、膳夫、錫汝、玄衣、黹屯(純)、赤市、朱黄、䜌旅せよ」此敢へて揚き天子に対して命を用ひ、丕(さかん)に顕かにして休ひなれ。朕(われ)、皇考癸公、尊鼎を作りて、享孝に用ひ、神、匈(胸)眉を文し、寿ぐ。此萬年疆なく臣は允み、天子の令を終くせよ。子子孫孫永く宝として用ひよ。
駒父盨(蓋)、西周末、陝西省武功出土
(金文)唯王十又八年正月、南仲邦父令駒父、即ち南の諸侯と師す。高父は南し、淮夷はそれ取りそれ服せられる。菫夷の俗、墜る。敢へて王命を畏れて敬せずんばあらず。逆に我によりてそれ献じそれ服せらる。我即ち淮に至り、具に王命に逆らふ小大の邦を亡ぼし敢へて□ず。四月、還へりて蔡に至る。旅盨を作り、駒父それ萬年永く用ひ休ひなれ。
四月二十七日
「近出殷周金文集成」からコピーした夷関係の金文史料、商末周初の金文史料を書き下してこのブログにアップしていきます。古代支那史や古代日本史に興味がない人には退屈になってしまうかもしれませんが、ブログをデータベース代わりに使うのが一番お手軽な情報整理の方法だと最近思うようになったのでおつきあい願います。
立川の東京都立図書館多摩分館へ行き、「近出殷周金文集成」の第1〜5巻をコピーしてきました。これは1960年代から90年代にかけて出土した金文資料を集めた資料集です。
歴史系の掲示板で、古代中国の山東半島あたりにいたとされる夷・倭のことを議論する過程で、もっと資料を集めないことには話が始まらないと思い至り、手近なところにないか探したところ、都立図書館にあることが分かりました。
白銀台の中央図書館の蔵書でしたので、立川まで取り寄せてもらいました。都立図書館はそういうことが可能です。なかなかサービスがよいのです。
ざっと見た感想ですが、金文史料というのはかなり面白いです。整理された歴史書にはない生の面白さがあります。さすがは一次史料です。
古代の日本と中国の関係を調べるには、歴史書よりもこういった金文や甲骨文を当たるべきではないかと強く思いました。
現在読み込んでいます。色々と面白いことが分かりそうです。しかし、こうなってくると95年以降の金文も読んでみたいなあ。あるいはこのシリーズに入っていない過去の出土品にも興味がわきます。
四月二十六日
いくつか付け足しの話です。
殷墟からは帝乙の記録が出土しておらず、帝乙は実際はいなかったのではないかという説があります。
四月二十五日
天孫系の神話は、元々は海部が星座をおぼえるために編んだ神話なのではないかという説をこの前提示しました。天照大神から神武天皇までは対応する星座が分かりました。須佐之男命は風雨の神なので星を隠します。だから常に天孫の神々と対立するのです。
さて、天孫系の神でまだ残っている神様がいます。伊邪那岐命と伊邪那美命です。一から九まで一気に書き上げたときにはまだ星座が分からなかったのですが、ようやく分かりました。
四月二十四日
季歴が迎えた妃が商王家の出身で、姫昌(周の文王)が季歴と商王家の姫君との間に生まれた子だとすると、はじめ商の敵として登場した周族が、急速に商から信頼され、諸侯の一人になったことがスムーズに理解できます。太伯と仲雍の伝説も理解しやすくなります。
伝説では周は姫昌の代に既に商を滅ぼす力があったけれど、姫昌が商王を滅ぼすことは反逆であるからと自重したことになっています。私は周には元々商を滅ぼす実力はなかったと考えています。姫昌が商に反抗しなかったのは、周族の力がそこまで強くなかったのと、自分に商の血が濃く流れていたことが理由でしょう。姫昌にとっては帝辛はおそらく叔父が従兄弟に当たりますので、血縁関係が絶対の規範に近かった古代の人間である姫昌としては、商への反抗は思いも寄らぬことだったに違い有りません。
四月二十一日
古代支那史最大の歴史的事件は殷周革命です。これを機に、支那は神政政治から、貴族が庶民の世論を気にしながら寡頭政治をする政体に替わり、現在まで続いています。長い間支那人の考え方を規定してきた儒教も殷周革命を成し遂げた文王と周公旦を理想的君主と規定し、西周初期を理想時代とあがめています。
さて、何故盛況を誇った商(殷)が、半農反牧の部族民に過ぎなかった周によって滅ぼされたかの理由ははっきりとは分かっていません。商の最後の王の帝辛が暴虐だったからと言うのが二千年来の説ですが、そのまま信じている人は今ではほとんどいません。
この卦については、卦の解釈と、各爻辞の解釈はできたのですが、両者があまり一致しないのであまり自信がありません。ですから絶対これで間違いないとは言いません。暫定的な解釈だと思ってください。
地山兼で「兼」という文字が「横取りする」という意味を持つことがわかりました。となると面白いことに気がつきます。
孔子は巫覡集団(シャーマニズム)から出てきた、という異説があります。母親が山に籠もって得た子供という伝説があるからです。それと儒教教壇が葬式を生業としていたらしいことから来ています。孔子は迷信を嫌ったのですが、論語の中には巫覡を評価する発言もあります。
易経の六十四卦は八象の組み合わせでできています。八象とは天澤火雷風水山地です。易経はこの八象の組み合わせで森羅万象の状態を表している、とされています。
さていよいよ神倭伊波礼琵古命(かむやまとのいわれびこ)、神武天皇です。
神倭伊波礼琵古命は四人兄弟の末っ子です。五瀬命(いつせのみこと)、稲飯命(いなひのみこと)、御毛沼命(みけぬのみこと)、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)。それぞれ、清水、稲、水田、苗代の神様です。末っ子の神倭伊波礼琵古命は苗代の神様です。
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉毘売の間に子供ができますが、出産にあたって豊玉毘売は産屋を作ってこもり「絶対に覗かないでくださいね」と言います。けれども彦火火出見尊は好奇心に打ち勝つことができず産屋を覗いてしまうと、中には大鰐(大きなサメ)がいました。海の神様である豊玉毘売の本性はなんと鰐だったのです。
異族婚の典型的パターンです。昔話の「鶴」にもありますね。
邇邇芸命と木花之開耶姫の間に生まれたのが火照命(海幸彦)と火須勢理命と彦火火出見尊(山幸彦)です。海幸彦と山幸彦が双子座の兄弟星だろうという説は既に山天大畜の解説で披露しました。
これも一見して分かるように詩が本になっている卦です。
本になっている詩は
往蹇来誉
往蹇来反
往蹇来連
往蹇来碩
です。頭韻も足韻も踏んでいます。
四月十二日 【出雲大社例祭】
さて、天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)は天孫降臨を達成せずに天に帰ってしまい、その息子の邇邇芸命(ににぎのみこと)が改めて天孫降臨します。冬の星である馭者座のカペラを天之忍穂耳命とすると、邇邇芸命は春の星だろうという察しがつきます。
実際、邇邇芸命は春と繋がりが深い神様であるのです。
四月十一日
天照大神と須佐之男命に関わる星座がもう一つあります。馭者座(ぎょしゃざ)です。馭者座は明るい大きな五角形と小さな二等辺三角形でできています。五角形(二等辺三角形の頂点を加えて六角形とすることもあります)が車輪のように見えるため、西洋では馭者(戦車のドライバー)になり、支那では五車(車輪、戦車)を表すようになりました。
四月十日
海部神話に入る前に、天照大神、須佐之男命の神話の星座的解釈を先に済ませておきます。
地山謙、これも後世に美徳とされた「謙」(謙遜、謙譲)のイメージが強すぎるために誤解されている卦です。地山謙の白文を読んだことがある人は、謙譲を説いているはずの地山謙の爻辞が軍事的色彩を帯びているのに疑問を持つはずです。
地山謙の爻辞はいわば軍歌です。易経の中にはいくつか詩が含まれています。これらの詩を本とした卦は雷地予や山風蠱のような物尽くしとは別の系統の資料から作られた卦です。物尽くし系の卦よりは新しいのではないかと私は考えています。
四月九日 【長良川鵜飼い開き】
種明かしから先にしてしまいます。論文の順序としては最後になるのですが、星空で語る神武東征神話を昔話風に書き直してみました。
昔々あるところにワカミケヌという若くたくましい男がおった。ワカミケヌは四人兄弟の末っ子じゃった。ほら、正月の頃に空に上る四つの星(おおいぬ座)があるじゃろ?それがワカミケヌの四人兄弟じゃ。ひときは明るく光るあの星(シリウス)こそがワカミケヌじゃ。
四月八日 【灌仏会】
鵜草葺不合命と玉依姫の間には四人の子供が生まれました。五瀬命(いつせ)・稲飯命(いなひ)・御毛沼命(みけぬ)・若御毛沼命(わかみけぬ)です。五瀬命は東征の最中に命を落とし、稲飯命は母のいる海原に帰り、御毛沼命は常世に渡り、末子の若御毛沼命が東征を成功させて神武天皇となります。
四月七日
天孫降臨に登場する邇邇芸命(ににぎのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと、山幸彦)、鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)、神倭伊波礼琵古命(かむやまとのいわれびこ、神武天皇)は海部(あまべ)と深い繋がりのある神様です。
菅政権の中部電力いじめは、結局愛知と三重で選挙に負けたからってんで中部電力を初めとする中部地方の労働組合に対する報復なんだろ?
それが証拠に、比較的選挙で民主党の勝率が良かった九州では原発が再開されるらしいじゃないか。
仙石副官房長官と会食したすぐ後にこのような突拍子もないお願いが出てきた。いかにも内ゲバを生き抜いてきた活動家くずれが思いつきそうな脅しではある。
四月六日
浜岡原発を停止させること自体は、悪くない決断だと思うのですが、日本は法治国家ですので、指導力は法に則って発揮しなければなりません。
電力政策を見直すのなら、きちんと政策を手続きに沿って転換させないといけません。あるいは原子力発電を抑制するための新たな法律を作るべきです。そうでないと、むしろ民主党がこれまで否定してきた行政による民間の窓口指導になってしまい、悪しき前例を残します。
さらにこれによって中部電力が赤字を出したり、中部地方の産業活動が停滞した場合、誰が損失を補償してくれるのでしょうか?
法的な手続きを踏んでいない首相の発言はただの不規則発言とかわりはありません。不規則発言によって経済を混乱させるのは、いくら善意から出ていようとも大変な問題があると思います。
このようにして、なんの法的根拠もない閣僚の発言によって世の中が動くようになってしまうと、法の支配が崩れます。
菅総理の浜岡原発停止要請は非常に問題があります。将来に禍根を残します。これが善意から出ていることは否定しません。しかし、電力業界も与野党の政治家もこれを認めてはいけません。
このような法的根拠のない「お願い」という形をとらなくても、何らかの形で手続きに則った電力業界への行政指導は可能であるはずです。それを模索せずに、民主党はまたしても法の支配を無力化する前例を作ろうとしています。菅総理には自覚はないかもしれません。しかし菅総理にこの手法を進言した人物は、これが日本の法の支配を崩す蟻の一穴となることを知っていてやったはずです。
前にも言いましたが、民主党はたまに思い出したかのように、日本を破壊するための的確な手を打ってきます。これはその最たる物です。鳩山前総理の目に余る不規則発言の連続よりも将来に禍根を残します。中部電力は世論を敵に回そうともこれを突っぱねるべきです。一時的に菅総理の人気を上げることになるかもしれませんが、自民党と公明党も中部電力の側に立つべきです。
これが法の支配を融解させてしまうとんでもない前例になりかねないことを見過ごしている政財界およびマスコミの指導者たちの凡庸さには暗澹とさせられます。
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四月二日 【みどりの日】
電力会社は民間の会社だから、ただのユーザーに過ぎない国民は電力会社の意志決定に関与できない。それなのに、原子力発電所が爆発して生じた被害の補償費用は電力料金の値上げで補填される。
電力会社は原子力発電所を作ったのは国策だったからだという。じゃあ被害の補償は電力会社ではなく国がやるべきではないか。それなのに、国は民間会社の自己責任でやったことだから国の責任ではないと言っている。
ここで一つも責任を負っていないのに利益だけを得ている人たちがいる。そう、電力会社の株主である。電力会社の株主は原子力発電所の耐久性について株主総会で一つでも質問をしたのか?国の電力政策について少しでも異議を唱えたか?
そういえば、私が持っている投資信託にもかなり東京電力の株式が組み込まれていたはずだが、あの証券会社は今回の事件に対してどのようなスタンスをとっているのだろうか?今度お店に行ってみて問い糾してみようか。
発電所別に電力を選ぶことは出来ないのだろうか?
発電所が起こした事故による被害補償を利用者が負担しなければならないというのならば、利用者にも発電所を選ぶ権利がなければおかしいのではないか?
火力発電所由来の電気は高いけれど、リスクは小さい、原子力発電所由来の電気は安いけれど、リスクは大きい、水力発電所由来の電気は二酸化炭素排出量が小さく、リスクは小さいけれど、その代わり競争率が高いので高価、太陽光発電は補助金がもらえるからすごく低価格だけれど不安定、そういうふうに電力を自由に選べるようにするべきではないか?
それならば事故が発生したときに利用者が責任を負わされても文句は言えない。これからは電力もトッピングの時代だ。
東北地方を鉄道でグルット回ってきました。いやー新幹線は快適ですね。それと津軽富士がすごくきれいでした。
塩竃神社と松島にも行ってきました。住民と自衛隊が必死に掃除したのか町は前よりもピカピカになっていましたが、ところどころに津波の跡もありました。マリンピアと遊覧船も営業していました。松島についてはすっかり復旧を果たしたと言ってよいみたいです。ですのでみなさん遊びに行ってください。
松島から先は準備が不足していたので今回は行きませんでした。あと津波と原発の被害を受けていないところは、全く昔と変わりません。内陸に住んでいる人が平静なことにむしろこっちが拍子抜けしたくらいです。震動による被害が少なかった今回の地震の特徴ですね。ですので皆さん地震など気にしないで東北に観光に行って経済を振興させましょう。今ならどこも桜がきれいですよ。詳細は写真を整理してから書きます。
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