易経勝手読み(十五)・・・風睪中孚(風沢中孚)
この卦については、卦の解釈と、各爻辞の解釈はできたのですが、両者があまり一致しないのであまり自信がありません。ですから絶対これで間違いないとは言いません。暫定的な解釈だと思ってください。
睪(澤)は獣の皮で平べったい状態を言います。中の原義は商の三軍(上軍・中軍・下軍)の中軍。王が率いる軍隊の幟です。孚の原義は捕らえるです(孚獲、孚虜など)。ですので「風睪中孚」とは衣が風を得て膨らんだ状態、さらに進んで通常平べったい物が膨らむ状態を指すのではないかと推測されます。
ただしこれで解釈できそうなのは上爻と六三だけです。錯簡が疑われますが、しかし真ん中の六三と上爻が合っていて、それ以外が間違っているのも変です。どうも睪が関わる卦はよく分からない点が多いです。
(61)風睪中孚
初九・九二
爻辞 虞なり
他(たたり)あらん、燕(たの)しまず
鳴鶴陰にあり
其の子之に和する
我有り爵(さけ)を好む
吾と爾とこれに靡かん
和訳 森の番人が見ている
祟りがあるのではないだろうか、
楽しめない。
物陰から鶴の鳴き声がする
その子供がそれに答えている
神様は酒を好む
私は酒を神ではなくてあなたと一緒に飲もう
解説 「他」は元々「它」と同型で「蛇・祟り」を意味します。虞は森の番人、あるいは獣面をかぶって踊るシャーマンです。「燕」の原義は不明ないのですが「たのしむ」という訓があります。鶴が鳴いているとありますので、情景は野外であると分かります。
易経の中に出てくる「我」を私は「神」と推測しています。この卦の中にも出てきますが「私」の場合は易経は「吾」を出しており、我と吾を使い分けています。「爵」は酒を飲むための容器なので之は酒と呼んだ方が良いでしょう。「爾」は元々は女性を表す文字ですので、相手は女性です。神は酒を好むが、私はあなたと一緒に酒を飲んで酔っ払おうという意味です。
風睪中孚の九二は真心を表す最上の爻ということになっていますが、私は初九と九二は男女のいかがわしい密会を表現する詩ではないかと思います。この二人は、神官が守る神聖な森の中で密会し、神に捧げるべき酒を飲んで酩酊しているのです。周囲の非難が鳴鶴陰にあり、その子これに和するに表現されています。
六三
爻辞 敵を得たり
あるいは鼓し、あるいは罷る(まかる)
あるいは泣き、あるいは歌う
和訳 嫡子が生まれた
ある者は喜びの太鼓を叩いた
ある者は宮廷から去った(正妻?)
ある者は悲観して泣いた
ある者は風刺の歌を歌った
解説 「敵」の原義は「帝を祀ることができる者」なのでこれは「王の子供が生まれた」という意味です。男女の間に周囲から望まれぬ子供が生まれ。その子は嫡子となりました。退出したのは正妻ではないでしょうか。
六四
爻辞 月の幾き(ちかき)を望む
馬匹を亡ふ
和訳 月が満ちようとしているのが見える
庶民も逃げ出した
解説 何かの状況が進んで、いよいよ時が来たと行っています。馬匹とは庶民や奴隷ではないかと思います。この嫡子は暴虐なので人心が離れたようです。
九五 孚わる(とらわる)こと有らん
よじるがごとし
和訳 そいつは捕らえられるだろう
獲物のように吊されるのだ
解説 孚の本の意味は、捕らえる、捕虜です。この嫡子は戦争に負けて捕虜になり、殺されて晒し者になるのだと言っています。
上九
爻辞 翰音天に登る
和訳 中軍の幟が天にはためく
解説 翰は幟です。其れが天に登るというのですから、これは中軍の旗のことでしょう。地火明夷と同じで種明かしだと思います。
どうもわかりにくいのですが、これは不義の子供が家を継いで国を滅ぼすことを表した卦のようです。「中」が商の中軍を表す文字であることは確かです。三爻の「敵を得たり」も「王が嫡子を得た」という意味なのも間違いがないです。そして上爻に「翰音天に登る」とありますので、中孚が全体として商の高位の人間(おそらく王)のことを表現しているのは間違いなかろうと思います。神が酒を好むとしている点からも商が連想されます。
中孚がどうも男女関係を指しているらしいということは、伝統的な解釈にも伝わっています。卦辞の「豚魚なり」も「豚」の原義は「胎児をもった獣」ですし、甲骨文や金文の中では魚やさかなへんを持つ漢字は女性を表す言葉として頻繁に使用されます。女という文字は女性と言うよりは家族・部族のニュアンスで使用されます。
そこから中孚は真心ある交際という意味だと伝統的には解釈しているのですが、初爻には「祟りあらん」とあり、二爻も風諫の詩に私には読めますし、三爻では王が嫡子を得たはずなのにほとんどの人は悲嘆しています。
ですので、中孚は商の王が、周囲から非難を浴びるような女と昵懇になって子供が生まれ、それによって王から人心が離れることを意味すると私には読めます。
九二の「其の子之に和する」も「其子(箕子)之に和する」と読むこともできます(地火明夷参照)。鶴が陰で鳴くというのも非難的ニュアンスがあり、この男女関係は周囲が望まぬものであったのだと推測されます。
「孚」は「まこと」等と読まれていますが、原義は「捕らえる」です。易経に出てくる「孚」は全て「獲物を捕らえる」と読むべきだと私は考えています。
そこで飛躍かもしれませんが、中孚とは周の武王によって滅ぼされて処刑された商の最後の王、帝辛(紂王)を表しているのではないかと思います。
周が商を滅ぼした際、商の王家は余り抵抗をせずに周に降伏しています。箕子は帝辛の叔父で、微子啓は帝辛の兄ですが、周に協力しています。最終的には反抗しますが、帝辛の息子の武庚禄父も周に降伏して生かされています。帝辛はなんらかの理由で商の王家内では人望がなかったことが分かります。
何故人望がなかったか、暴虐であったからと言うのは後世の人間の牽強附会です。王宮内で一番問題になるのは血筋ですので、帝辛の母が卑しかったか、帝辛が卑しい妃から生まれた子に帝位を継がせようとしていたのが王宮内で帝辛が人望を失っていた理由だと思います。
中孚が男女の関係を表す卦であるのはその通りだと思いますが、中孚が表現している男女関係は野合であり、古代では非難されるべき異常な男女関係でした。
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この卦、易占い本では、
雌鳥がひなを温めているといったイメージで語られますが、
やっぱり鳥の話なんじゃないかなあと思ってます。
燕、鶴といった記述、翰音=鶏とする従来の説をみると、
この卦だけやたら鳥っぽいイメージがあります。
易経なぞなぞ理論でいくと、鶏あたりを意味する話とかじゃないですかね。
もしくは鳥を使った祭事とか。
投稿: 武丸 | 2012年1月 2日 (月) 17時53分
武丸さん、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
そうなんですよね、風沢中孚については自分でもこの説明に納得していません。もう一揉みする必要がありそうです。
いま少し考えてみましたが、初爻の「他(蛇)あり、燕あらず」は、「蛇がいるところにはツバメは巣を作らない」と素直に考えるべきかもしれません。虞というのは森の番人や狩人のことらしいので、手入れがされている森にはツバメがいるが、人気のない森にはツバメがいないと、そういう意味かもしれません。
ニ爻の「鳴鶴在陰。其子和之。我有好爵。吾興爾靡之」ですが、鶴が鳴くであれば鶴鳴になるはずですので、これは鶴が鳴いているのではなくて、鶴のように鳴く、つまり人間が鶴のまねをするという意味かもしれません。だとすると、「鳴くこと陰に在りて鶴なれば、その子これに和する」となり、鶴の雛をおびき出して捕らえる方法を表しているのかもしれません。
もしかしたら鳥の生態や捕獲の方法を表した卦なのかも知れませんね。
投稿: べッちゃん | 2012年1月 2日 (月) 19時01分