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2011年5月10日 (火)

日本神話の星座的解釈(二)

四月八日  【灌仏会】

 鵜草葺不合命と玉依姫の間には四人の子供が生まれました。五瀬命(いつせ)・稲飯命(いなひ)・御毛沼命(みけぬ)・若御毛沼命(わかみけぬ)です。五瀬命は東征の最中に命を落とし、稲飯命は母のいる海原に帰り、御毛沼命は常世に渡り、末子の若御毛沼命が東征を成功させて神武天皇となります。

 これは高い位を持つ部族の兄弟が、新しい部族長の補弼者、母親の一族の継承者、神に仕える神官、父親の一族の継承者という風に役割分担していたことを表しているのでしょう。だいたい古代は末子相続が多いです。早いうちから子供を作るので、長子が大人になった頃でもまだ父親は元気です。ですので長子は父親の仕事を手伝い、父親が死んだら、次の代の族長を大臣として手伝うことになります。だから末子の神武天皇の東征に長子の五瀬命が従い、率先して陣頭に立って死ぬことになるのです。

 古代は生産力が低く、しかし未開拓の原野は広がっていましたので、部族が繁栄して人数が増えると、飢餓を防ぐのと新たな可能性に賭けるために、部族を分割して開拓に出かけたのでしょう。これが現地に残った稲飯命と東征に出かけた神武天皇に反映されています。

 また、兄弟のうち一人が世俗生活から離れて神に仕える身となっていたらしいことは、世界中の古い部族に見られる風習です。これが常世に出かけた御毛沼命でしょう。もっと昔には生け贄として捧げられていたらしいことが、伊弉冉・伊弉諾が最初に生まれたヒル子を海に流した話や、旧約聖書でアブラハムが息子のイサクを神に捧げる話から推測されます。

 こうして狭いところにひしめき合うことによる自滅を防ぐのと、新天地に賭けるために神武天皇の東征が始まります。神武天皇は、瀬戸内海の海部のネットワークと考えられる津(港)を伝いながら、浪速に到着しますがここで一敗地にまみれ、熊野まで南下し、そこから上陸して吉野から大和を攻めました。

 裏をかかれた原住民の長髄彦(ながすねひこ)と邇芸速日命(にぎはやひのみこと)はあっけなく屈服し、神武天皇は大和の支配者になりました。東征の間、大分県の豊予海峡で槁根津彦(さおねつひこ、椎根津彦、タコの神様)の先導を受けて航海をした、猿田彦に通せんぼされたとか、熊野に上陸してからは鴨族の祖先の八咫烏の道案内で宇陀まで出たとかの挿話が残されています。

 邇邇芸命から神武天皇までの神話をざっと見てみましたが、古代日本の風習がよく保存された話となっています。物語としての面白さも十分です。主な舞台は瀬戸内海で、海部たちの間で伝承されてきた神話を編集したのではないかと考えられます。皇室が記紀神話を編纂するに当たって、日向の山中の部族を祖先とし、そして海部の力を借りて大和を征服したという手の込んだ話を作ったのはおそらくこれが事実だったからだろうと思います。

 古代から富裕を誇った出雲の神様の子孫だとか、最初から大和にいたと言うことにしておいた方がよっぽどわかりやすいはずですが、そうしなかったのは日向から出てきたというのが事実なのでしょう。

 さて、私は邇邇芸命から神武天皇までの神話は海部が海を航海する上で道しるべとなる星座の知識を読み込んだ物語だと考えています。次回以降それについて解説していこうと思います。

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