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2011年5月20日 (金)

孔子の出自

 孔子は巫覡集団(シャーマニズム)から出てきた、という異説があります。母親が山に籠もって得た子供という伝説があるからです。それと儒教教壇が葬式を生業としていたらしいことから来ています。孔子は迷信を嫌ったのですが、論語の中には巫覡を評価する発言もあります。

 蒙山を中心とする四瀆(長江、黄河、淮河、済水)に囲まれた地域は春秋時代には有名な邑はあまりなくて歴史に登場しません。これは中原とは異なった文化を持つ原住民が居住していたからだと考えられます。東夷、淮夷と呼ばれることも我利ます。

 この春秋の空白地域の周囲には北から斉、魯、宋、陳、蔡、楚、呉、越がありました。

 私の推測では「易経」の山水蒙には、蒙山を中心とする地域に居住した風姓部族の文化が記録されています。それは日本の神道に近いです。位置的にも日本の対岸ですので、淮夷が日本人と似た習慣を持っていてもおかしくないでしょう。おそらく我々の祖先の一部なのでしょう。

論語の中に出てくる「夷」の記事
子罕十四
子、九夷におらんと欲す。あるひとの曰く、
いやしきことこれを如何せん。子の曰わく
君子これにおらば、何のいやしきことかこれあらん。
(先生は自分の理想が世に受け入れられないので、東夷の居住地へ行ってしまおうかと望まれた。するとある人が「むさ苦しいですがどうしますか?」と尋ねた。先生は「君子がいればどこであろうとそこが理想の地になるのだ、むさ苦しさなんか物の数ではない」とおっしゃられた。)

憲問四十五
原壌夷してまつ・・・(以下原壌のものぐさを孔子がなじる言葉が続く)
(原壌は孔子の幼なじみ。夷は蹲踞のことで中原では卑しい仕草とされていた。原壌は孔子の家の前で蹲踞して孔子の帰りを待っていた。こづかいでもせびりに来たのだろう。それに対して孔子は原壌の不作法とものぐさをなじった)

・孔子は東夷に偏見を持っていない。
・孔子の古い知り合いは、東夷の風習を持っており
 それ故に社会になじめなかったらしい

また孔子の母親はシャーマンであったという説が古くから有ります。

 私の推測では孔子はおそらく風姓部族の血を引いており、これが孔子が平和的な思想を作った理由であり、孔子が出世できなかった理由であると思います。

 また司馬遷は孔子を王に値するとして史記の中で世家(王室の記録)を立てているのですが、もしかしたら孔子は滅びた風姓部族の国の中で高い位にあった一族だったのかもしれません。

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