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2011年5月10日 (火)

易経勝手読み(十一)・・・山水蒙

 「貝塚茂樹著作集」の第一巻に収録されている「戦士国家」に、「魯国の勢力圏内には済水の流域があり、そこは水神の祭りに奉仕する風姓諸国の領域があり、また風姓のぜんゆ国が東部の東蒙の山神に奉仕して魯国の社稷の臣つまり譜代の臣と認められていた。この原住民たちに、その土着の山川の神の祭祀にそのまま奉仕することを許可した。祭政一致の神政政治の世界では、この土着の祭祀特権を容認することは、その部族自治権を認めることを意味する。」という記述があります。

 歴史的な漢文学者の貝塚先生が言ってくれているのだから心強い。

 「蒙」というのはどうやら、無知蒙昧のことではなく、古代支那で山東半島から江南にかけて、豊かな山川の中に暮らした原住民の自然崇拝(爻辞から推測するにシャーマニズム)のことを呼ぶようです。もしかしたらこれは日本の神道に近い信仰かもしれません。あるいはこの「蒙」を信じる人たちが、中原の部族に圧迫されて、海を渡って日本列島に多く渡ってきたのかもしれません。

(4)山水蒙:さんすいもう



(卦辞)蒙は亨る。我は童蒙を求むるにあらず。童蒙は我を求むる。
 初は筮が告る(つげる)、再は三を瀆める(きよめる)、瀆(きよめ)は則ち告げず。貞って利あり。
(和訳)童蒙の信仰は神が生け贄を童蒙に求める形式の信仰ではない。童蒙が神を求める(神降し)をする信仰である。
 初は巫(シャーマン)がお告げをする祭祀、再は清水で禊ぎをして天地人に祈る祭祀、再ではお告げは行われない。
(解説)山雷頣で気がついたのですが、どうやら「易経」では「我」は神様、神意、の意味で使われているようです。童というのはボサボサ髪をしたシャーマンではないかと思われます。中原では童は神様への生け贄にされましたが、風姓部族では神降しをする神官だったのでしょう。
 「字統」によると、「初」は衣を裁ち切るという意味であり、「再」は衣を結びつけるという意味です。「瀆」の原義は川であり、「四瀆」といえば「長江、黄河、淮河、済水」の四大河です。ですのでこれは川に囲まれた湿潤な地域で行われた祭祀を意味しているのではないかと考えられます。


初六
(爻辞)発蒙する。刑人を利用す。もって桎梏を説く。
(和訳)矢を発射する祭祀。入れ墨をされた霊能力がある者が行う。この祭祀によって悪霊を追い払う。
(解説)「発」の旧字は「弓」が含まれています。「発射」というように弓を射ることを「発」といいます。従って初爻は、お祭りの初めに悪霊をはらうために弓矢を四方に射る日本の神社でおなじみの祭祀と考えられます。「刑」とはかんざしや入れ墨の針で傷をつけることです。日本では穢れに携わる人々は、異能力者として恐れられていました。異能力者を区別するために、あるいは悪霊を追い払うために異様な風体をしていました(髪をボサボサにする、入れ墨をする、自傷をする等)。であるので「刑人」とは穢れに携わる異能力者を指す者と考えられます。

九二
(爻辞)包蒙す。吉。子家を克くす。
(和訳)妊婦が岩田帯を締める祭祀。吉。生まれてくる子供は家を栄えさせるであろう。
(解説)「包」は妊娠を表す形象文字です。安産を願って帯を締める祭祀は古く、神功皇后の記録にもあります。

六三
(爻辞)婦(よめ)に納れる。吉。女を取るを用いるなかれ。金夫に見ゆ(まみゆ)。身(みおも)に有らず。
(和訳)結納をする。吉。女と仲良しになっても、家に連れて行ってはいけない。結納金をたくさん積めば女の実家は嫁入りを許してくれる。
(解説)風姓部族の女性と恋仲になったときの心得でしょう。周は嫁取り婚でした。しかし風姓部族が日本人と似た習慣を持っていたとすれば、妻問い婚となります。嫁取り婚の部族と妻問い婚の部族が恋愛をすると色々と摩擦が起こります。夫が家に連れ帰って「誘拐だ!」と騒ぎになることもあったのでしょう。
 ですので、女と仲良しになってもすぐに家に連れて帰るようなことをしてはいけない。きちんと実家に贈り物をすれば、相手も理解してくれて、嫁として家に連れ帰っても大丈夫だ、といっているのだと考えられます。身にあらずは今のところ不明です。

六四
(爻辞)困蒙す。吝。
(和訳)家に籠もる祭り。死者を悼む祭り。
(解説)辞が短すぎるので難しいのですが、「字統」によると「吝」は死者に文身(入れ墨)をして黄泉の国へ送る祭りとありますので、葬式のことを表しているのだと考えられます。象辞の「独遠実也」から類推するに、死者を悼み、穢れを外に出さないために、一定期間交際を断つ祭りを指しているのでしょう。

六五
(爻辞)童蒙す。吉。
(和訳)子供の祭り?吉
(解説)六四よりもさらにわかりません。「童」とは髪の毛を結わずに、子供のようにボサボサ髪にしている人のことです。奴隷や神に仕える人ではないかと白川静先生は推測しています。
 あるいは子供に関する何らかの祭りかもしれません。初七夜、七五三、元服のような子供の通過儀礼かもしれません。

上九
(爻辞)撃蒙す。寇をなすに利あらず。寇を御ぐ(ふせぐ)に利あり。
(和訳)地面を突いたり、太鼓を叩いたりする祭り。戦いに勝つためのまじないではなく、敵を威嚇して追い払うまじないである。
(解説)日本の神楽では神様が憑依した踊り手が、地面を踏みしめる所作をすることがよくありますがこれを指しているのでしょう。土に籠もった悪霊を追い払って、豊かな実りを期待する祭りです。
 戦いに勝つための呪いではないとことわっているのは、風姓部族の祭りを見た(音を聞いた)人が、風姓部族が魯へ反逆を企んでいる勘違いするような文化摩擦が頻発したことを意味するのでしょう。


 風姓部族は魯の友好的な原住民で、魯としては彼らの風習をよく知る必要があったと思われます。「蒙」とは中原とは異なる風姓部族とつきあう上で必要な基礎知識と考えられます。

 嫁や子供が出てくるのは、魯と風姓部族が通婚して同化していったことを表しているのでしょう。「蒙」とは風姓部族と親戚付き合いするときの心得を記した卦ではないでしょうか。

 孔子は「論語」の中で、「中原で礼が失われたら私は東海に浮かぼう(日本へ亡命しよう)」と言っています。魯と風姓部族が同化していたのだとしたら、これはよく理解できます。自然を崇拝し、礼を重んじ、温厚な人たちが東シナ海の両岸に住んでいたことを知っていたのでしょう。魯は他の中原諸国と比べて戦争が弱く、あまり残酷な事件も少ないのですが、これは風姓部族と同化したからかもしれません。

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