保員簋
保員簋、西周早期、出土地未詳
(金文)惟王既に燎、それ東夷を伐つ。十又一月、公周より反へる。己卯、公(早?)に在り、保員麗辟公、保員に金車を賜り曰く「事に用ひよ」と、ついにき(皀殳)を宝とす。公、逆の舟事を饗せよ。
(和訳)王の治世野焼きの終わった季節、東夷を討伐した。十一月、公は遠征を終えて周から帰還した。公は早?に滞在していた。保員麗辟公は保員に地金を下賜して言った「これで祭器を作れ」と、そこでここに宝器を作った。公は水上のまつろわぬものを屈服させるためにこの宝器を用いて祭祀を欠かさぬようにせよ。
(解説)これも東夷の征伐を記念した金文です。「燎」の拓本を見てみると、△(三角印)の上に「火」が描いており、まさしく「火山旅」です。「火山旅=野焼き説」は間違いないでしょう。普通「惟王」の後には時期を表す語が続きますので、これは春、もしくは秋の野焼きを意味しているのでしょう。
出土地も不明で、記された地名も不明なので、東夷がどこに居住していたのか分からないのは残念ですが、保員は西周の軍人らしく、昔の遠征ですので長くて二〜三ヶ月でしょうから、漢中からそう遠くない場所にこの東夷は住んでいたのだと考えられます。
「逆舟事」の読みがわかりにくいのですが、「逆」は古くから「反逆者」の意味で使われています。だから舟に乗った反逆者をやっつける仕事といった意味でしょう。保員は西周の水軍指令だったのではないでしょうか。東夷が水上生活者だったらしいことからもそう言えると思います。
西周の早期なので、この頃の東夷はまさしく、漢中のすぐ東、黄河や済水が分岐するあたりに居住していたのではないでしょうか。
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