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2011年8月31日 (水)

戦国期に儒教はおそらくトンでも扱いされていた

 易を当時の漢字の意味を頼りに解明していくと、儒学者が自らの主義主張に合わせるために易をかなり強引に解釈していたことが見えてきます。地山兼(謙)や風睪(風沢)中孚などはほぼ意味が反対になっています。

 論語が提唱した道徳は素晴らしいと思うのですが、儒者の古典学はかなり出鱈目で、支那の古代の姿をゆがめていると思います。当時はまだ商や西周の頃の記憶が残っていたでしょうから、儒者のトンでもな古代の想像図は鼻についたのではないでしょうか。

 秦の始皇帝が儒者を弾圧したのは、彼らのモラルを畏れたからではなく、実際出鱈目な知識を広めていたからではないのでしょうか。

 儒教の道徳は素晴らしいと思うのですが、儒者の五経解釈は間違いだらけだったのではないかと思うのです。

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易経勝手読み(三一)・・・山睪損(山沢損)、風雷益

八月三日

 山睪損と風雷益もペアになっている卦であることは卦辞を読めばすぐに分かります。損と益の字は両方の卦に出てきますし、或益之十朋之亀弗克違もまた両方に出てきます。この二つの卦は元々は一繋がりの詩で、後代に易として取り入れられたときに二つに分けられたのだと考えられます。

 では元々どういう意味を持つ詩だったかというと、おそらく父親が子に与えた教訓です。それもただの親子ではなくて、周王が太子に与えた家訓だろうと思います。詩の内容自体は難しくありません。従来の解釈の手直しで解明することができます。

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2011年8月29日 (月)

易経勝手読み(三十)・・・水雷屯

八月一日

 水雷屯は、震雷を事物が生じる胎動とみなし、それが坎水すなわち困難の下にあるので、生まれいずる苦しみを表しているとされています。屯という字がなんとなく植物の芽に似ているのと、上六に泣血漣如なんておどろおどろしい熟語があるからそのような解釈が生まれたのでしょう。

 水雷屯の卦辞には婚媾(結婚)という単語が二度登場します。素直に結婚式のことを表した卦と解釈するべきだと思います。

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2011年8月28日 (日)

易経勝手読み(二九)・・・雷火豊

七月二十九日

 雷に火、いかにも派手で盛んな様子を表しているように思えます。ですので従来の解釈では雷火豊とは、勢い盛んで向かうところ敵無しの状態とされてきました。

 豊は豆(食器)の中に黍稷(きび)の類を盛って入れた形です。そこから、てんこ盛り、勢い盛んという風に意味が変化していきました。しかし豊にはもう一つの意味があります。それは醴酒(あまざけ)です。

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2011年8月27日 (土)

易経勝手読み(二八)・・・雷天大壮

七月二十八日

 壮という字が後に立派な男性を表すようになってしまったため、雷天大壮の卦も気力が充実することを表すと解釈されてきました。

 字統によると、壮の字には二つの字形があるそうです。一つは牀でこれはベッドを表す象形文字です。商(殷)の金文には子が真ん中にあり、両側に鏡対象に爿を配し、その下に大(大きな人間の形象)を配した紋章とおぼしきデザインが多く残されています。

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2011年8月26日 (金)

易経勝手読み(二七)・・・睪地萃(沢地萃)

七月二十七日

 沢地萃は従来の解釈では、大勢の人間が集まって力を合わせることとされています。萃とは元々草が集まっている状態を表します。さらに卦辞には「王有廟にいたる」「大いなる牲(犠牲)を用いるに吉」とあり、これは王が国家の大事の成功を神に祈り、犠牲を捧げること推測されます。

 私の解釈でも大意は同じです。私の考察ではこれは、巫女が稲の無事な収穫を神に願って舞い踊る祭儀であり、伊勢神宮の斎宮の原型と考えられます。

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2011年8月20日 (土)

デンパ経済学再び

七月二十一日

 旅行中に宿ですることがないので、ぼけーっと熱力学と経済学の対応関係を考えていました。

 一国の経済を熱機関と考えると、内需は熱機関がする仕事、輸出(および海外投資)は廃熱、輸入(および海外からの借金)は熱の吸収でしょうね。私は最初GDPを仕事と考えていたのですが、それだと輸出入がうまく当てはまらなくなるのです。

 こういうとちょっと語弊がありますが、人間によって製造される物は廃棄物と同じなのです。役に立つ立たないは人間の価値観が決めますが、自然の立場に立ってみると、コンピュータも生ゴミも人間が作り出した廃棄物です。

 供給力過剰は、一生懸命ゴミをため込んでいると同じ事で、外界に製品を排出しないとその国の経済は熱的に死んでしまいます。支那の場合は国内で熱機関を回しすぎて、廃熱(輸出)をしないと熱的に死ぬ状態にあります。

 じゃあ日本はどうなのかというと、冷房を回して国内を冷やして、廃熱(輸出)を海外に輸出しているのと同じ事でしょう。物を作って売れば売るほど日本人が貧しくなるのは、熱力学的にいって、一生懸命クーラーを回しているのと同じだからです。

 新興国というのは、先進国の廃熱で動く補助的な熱機関みたいな物でしょう。新興国というのは国内の所得水準が低く、これは熱機関の温度が低いことを意味しますので、自分で発熱しなくても、先進国からの廃熱だけで熱機関を作動することが可能なのです。国際収支が赤字なのに経済成長が続けられる新興国が不思議で成りませんでしたが、廃熱で動く熱機関と考えれれば理解できます。

 そして廃熱で動くから熱効率は低いのですね。

 債務というのは、熱機関内部に滞留する熱エネルギーです。債務過剰になった国は熱的に死ぬので、クーラーを回して熱を外に排出しなければなりません。しかしクーラーというのは熱機関としては効率が悪いので、熱を作り出すときよりも廃熱をする方がエネルギーも時間もかかります。これが現在の先進国の状況でしょう。

 そして債務を返済するためには、海外に熱エネルギーを排出するしか方法がないのです。熱エネルギーは消えません。移動するだけです。これといっしょで、債務も消えない。移動するだけです。

 熱を消そうとしてクーラーを動かすと、余計に熱が発生します。部屋の温度は下がりますが、室外機からは部屋の温度低下分を上回る熱が排出されます。これが債務返済のからくりです。

 債務を返済しようとすると、それ以上の廃棄物(工業製品の輸出)か債務の付け替えによる総債務の拡大(政府債務の拡大)が生じます。

 バブル崩壊以降の日本の経済政策と、現在の欧米の経済政策がうまくいかないのは、消えるはずのない熱を消滅させることができると間違ったことにあるのではないでしょうか。

 債務は消えませんので、債務を問題でなくすには、国全体の経済規模を拡大して、債務のGDP(仕事量)に対する比率を減らすしかないでしょう。

 しかし私が考えるに、日本というのは気温が低すぎて、いくら中央銀行が気体を排出してもすぐに凝固する状態なんだと思います。こういうときはどうするべきか、家の中でたき火をするべきなのです。やはり一見無駄に見える公共事業を大々的にするべきだと言うことになります。

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2011年8月19日 (金)

アナログテレビを捨てちゃいけない

 ファミコンをプレーするためにはアナログテレビが必要です。ファミコンを持っている人はテレビを捨てる前に熟考しましょう。

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帰ってきました

七月二十日

 旅行&里帰りから帰ってきました。

 宇野線、津山線、因美線、播但線、姫新線、芸備線、三江線、木次線、呉線、岩徳線、山口線、仙崎支線、山陰線(長門市ー下関)、門司港ー門司、若松線をクリア、JR完乗率は83%から88%まで一気に上昇。

 宇高連絡船、下関ー門司連絡船、若戸連絡船(若松ー戸畑)にも乗ることができました。

 今回は日本の原風景とも言える中国山地と瀬戸内海を縦横に乗りまくり、日本は山と海の国なんだなと言うことを改めて実感しました。それと、倉敷で郷土の偉人である山田方谷と津田永忠の本を求め、現代の日本と引き比べて色々と得るところがありました。

 また写真を整理して、そのうち旅行記にしたいと思います。

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2011年8月11日 (木)

究極的には国が溶けていると言うことなのかも

七月十二日

 日経新聞がFRBにインフレターゲットをご提案していて腰を抜かしそうになりました。市場の混乱でかなり度を失っているのだろうなと思った。

 極限状態におかれて、財政出動ではなくインフレターゲットを主張すると言うことは、日経の中の人は日銀よりではなくて財務省よりなんでしょう。でも正解は財政出動なんだな。今の米国でさらなる金融緩和なんかしても景気には効果ないでしょ。金融商品の購入資金には向かわないよ。

 日本だけではなく世界中で、国益ではなくて所属する組織の利益しか頭に思い浮かべられない人が増えています。おそらく今のエスタブリッシュメントは「国」という意識が希薄なのだと思います。視点が会社とか省庁で止まっていてそれ以上高い位置から物事が見られないのだと思います。50代60代という社会の中心にいる世代からしてそれなんだと思います。

 国のことをさんざん敵視してきたヒッピーとか全共闘とかに学生時代に影響を受けた世代が社会のトップになった必然的結果だと思います。国という者を敵視した結果、彼らはもっと高い人類全体の観点に立った視点を手にしたのでしょうか?否、所属する組織の利益のみを重んじ、隣人を食うモンスターができあがっただけです。

 見たこともない地球の裏側の国に雀の涙ほどの寄付金をして、世界市民とか気取る前に、景気を良くして自分の身の回りの人たちの生活を改善しようとは思わないんですね。

 彼らの左翼思想は、身の回りの弱者から目をそらすためのエクスキューズになっています。自分は反階級の思想を奉じているので、搾取する側にはいない。社会の富を再分配するために自分から動く必要はない、と。金持ちによるバーチャルプロレタリアなんだな。頭の中で妄想の階級闘争(もちろん自分は搾取される側にいるつもり)を繰り広げることにより、自分が搾取する側にいて、身近な弱者を救うために動かなければならない、事から目をそらすのです。

 ここら辺に、学生時代に左翼思想に染まった人たちが動かしているはずの現代の社会が、なぜか戦後最も弱者に厳しい社会となってしまっている原因がありそうです。

 これからしばらく旅行に出かけます。皆様、良いお盆休みを。

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2011年8月 9日 (火)

易経勝手読み(二六)・・・睪風大過(沢風大過)

七月十日

 「字統」によると咼は頭蓋骨、髑髏(どくろ)の前に祝詞を納めた器を置いて行う呪術とあります。禍はこの呪いによってもたらされる災厄。過はこの呪いによって通行の安全を図ることを言います。

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2011年8月 8日 (月)

易経勝手読み(二五)・・・火睪睽(火沢睽)その三

七月九日【立秋】

 イザヤ書は紀元前8世紀後半の神官イザヤに神から降りてきた預言を記録した書で、旧約聖書では非常に重要な位置を占めています。このときユダヤ人は北のイスラエル王国と南のユダヤ王国に分裂していました。メソポタミアではアッシリア帝国が勢力をパレスチナまで広げ、イスラエル王国はアッシリアに屈服し多神教を受け入れていました。

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2011年8月 7日 (日)

易経勝手読み(二四)・・・火睪睽(火沢睽)その二

七月八日

 火睪睽の卦辞の解説にうつります。卦辞をみてみましょう。

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2011年8月 6日 (土)

易経勝手読み(二三)・・・火睪睽(火沢睽)その一

七月七日【七夕】

 火睪睽は非常に難解な卦です。まず私が使っているテキスト「易」(本田濟著、朝日選書)の解説によりますと「睽は目を意符とし、癸を音符とする字。癸は乖と音が等しい。目を乖ける(そむける)。転じて乖離する、異なる。」とあります。また「火と沢から成る。水と火は性格相そむく。また離火は中女、巽風は少女、女二人が同居すれば、必ず反目する。その点で癸を名付ける。」としています。

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2011年8月 5日 (金)

易経勝手読み(二二)・・・火雷噬盍

七月六日

 以下の文章には残酷な記述が含まれますので、そういうのが苦手な方は読まないでください。

 火雷噬盍は従来の解釈でも刑罰を表す卦とされています。卦辞にも「履校」(あしかせ)、「何校」(くびかせ)、「滅趾」(足斬り)、「滅鼻」(鼻削ぎ)、「滅耳」(耳削ぎ)などの凄惨な刑罰が並んでいます。ですので易をする人の中にも「噬盍は残酷な刑罰を表す卦ではなかろうか」と気がついている人は本当は多いのではなかろうかと私は思います。

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2011年8月 4日 (木)

易経勝手読み(二一)・・・地睪臨(地沢臨)

七月五日

 「臨」という文字は、お供えを入れた器を前にして人がうずくまって、神の降臨を待っている状態を表していますので、地睪臨(地沢臨)は睪(器)を地面に並べて、あるいは銅鐸や木檡などを鳴らして、地霊を呼び出す祭祀ではないかと考えられます。

 睪には「抜け殻」「中空」「窪地」という意味があり、それ故に地睪臨や水睪即で「器」の意味でこの文字が使われているのだと思います。

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2011年8月 3日 (水)

易経勝手読み(二十)・・・風水渙

七月四日

 白川静の字統によると「奐」は分娩を表す「免」と左右の手を表す「廾(きょう)」が組み合わさってできた文字で、出産するときに子供を取り上げることを表しています。

 天風姤、風火火人、風睪中孚、風山漸と「風」に関わる卦は女性が関連している物が多い傾向がありますので風水渙は「奐」の原義の通り、出産を意味する卦でしょう。風が女性で、そこから水が出てくるので破水、出産というわけです。

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2011年8月 2日 (火)

易経勝手読み(十九)・・・水睪即(水沢節)

七月三日

 「節」は祠に籠もって祈ることを意味する卦でないかと考えられます。節のつくりである「即」は、神へのお供え物を入れる器である皀の前に人が端座していることを表している文字です。この卦は元々「即」であり、たけかんむりは儒者が儒教の道徳に沿って易経を再編したときに付け加えられたと考えられます。

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