易経勝手読み(二三)・・・火睪睽(火沢睽)その一
七月七日【七夕】
火睪睽は非常に難解な卦です。まず私が使っているテキスト「易」(本田濟著、朝日選書)の解説によりますと「睽は目を意符とし、癸を音符とする字。癸は乖と音が等しい。目を乖ける(そむける)。転じて乖離する、異なる。」とあります。また「火と沢から成る。水と火は性格相そむく。また離火は中女、巽風は少女、女二人が同居すれば、必ず反目する。その点で癸を名付ける。」としています。
この本は日本の易の最も基本的なテキストで、大変に参考になるのですが、伝統的な解釈とは言え、これでは支離滅裂としか言いようがありません。癸と乖の音が同じというところに飛躍があります。姉妹が必ず反目するというのも意味不明です。おそらく睽の卦は「そむく」という意味を持つという伝承が先にあり、理由を後付けしたからこのような混乱が生じているのでしょう。
そもそも睽という漢字には用例がほとんどありません。漢語林には「睽乖(にらみあう
)」「睽離(たがいにそむきはなれる)」の二例しか用例がありません。いつも頼りにしている「字統」には字は「<易>の卦名にみえるほか、古い用例はない。」とあります。
白川静も睽の字の成り立ちには苦労しています。「癸は物を立てる台座の付足として、×字に組んだ木の形で、相そむくものの意がある。」と説文解辞の推測をそのまま載せています。字統は説文解辞に反論をしていることが多いのですが、睽に関しては説文の説明を踏襲しています。
金文の「睽」は以下ような字形をしています。
なかなかインパクトのある形象です。確かに目の下に×です。しかし×には小さい棒がついています。これは網の目の一部を取り出したとは言えないでしょうか?
他にも「癸」をつくりに持つ漢字は「揆」と「葵」があります。
揆は一揆の字です。漢語林によると、「はかる、はかりごと、みち、方法」とあります。用例としては漢書から「揆一也」道は同じである。よりどころとしている道は同じであることを言う。を引いています。現代語で言う「軌を一にする」です。
葵は葵のご紋の葵で、これは現在も古代も同じ種の植物を指していたようです。「字統」は観賞用の葵には向日性(太陽の方角へ花を向ける性質)があるので、人を思慕することを葵心、傾葵のようにいう。としています。漢語林も同じ事を取り上げています。
揆、葵どれもわかったようなわからないような解説です。けれども両者に共通しているのは「一斉に、そろう」という字義です。揆は規格に沿って物事を進めるという意味です。葵はに花が一斉に同じ方向を向くという俗信が残っています(これは漢字の成り立ちが忘れられたゆえに誤りであることを後で説明します)。どうもなんらかの「癸」という漢字には「パターン」というニュアンスがついて回っているように私には思えます。
なぜ葵は草冠に癸なのでしょうか。葵と言えば、徳川家の家紋の三つ葉葵や下鴨神社・上賀茂神社の双葉葵を思い出します(武家の家紋の由来より)。葵は花よりも葉がモチーフとして採用されている珍しい植物です。徳川氏の三つ葉葵と下鴨神社の双葉葵は、地を這う小さな植物である「フタバアオイ」のハート型の葉をデフォルメしていますが、もともと中国ではタチアオイの方が一般的です。
実は日本語でも「葵」の語源は「あおぐ日」で「太陽の方向を向く花」という意味と推測されています。この場合の葵はタチアオイ(岡山理科大学のページより)です。たくさんの花が何となく同じ方向を向いているように見えないこともないです。
タチアオイの葉は六つの角を持つ星形をしています。ここで中近東の帰化植物を出すのはちょっと反則なのですが、ゼニバアオイも丸に六つの角を持つ形をしています。
ここで癸という漢字が持つ意味をもう一度確認してみましょう。「一斉に、そろっている」です。六つの角を持つ星形でそろっているものは何かというとこれ以上ないほど的確なものがあるのです。
籠目です。
籠目は竹や木の皮を120度づつ方向を変えて組み合わせて編んで籠を作る技術です。籠目は同じ形ぴったりとそろっていますから「揆」です。六つの角がある星形なので、「葵」の葉っぱと形が同じです。目が並んでいるように見えるので「睽」です。
金文の「睽」の×印も、編み目の一部と解釈すればよいのだと私は考えます。×の端っこについている短い棒は、隣に続く編み目の一部なのでしょう。
籠・篭が竹冠に龍という字なのは、籠目と鰐皮の模様が似ているからと考えられます。
籠目は目が並んでいるように見えますので、籠目の星形は古来から魔除けとして利用されてきました。伊勢神宮の灯籠には六芒星(籠目)が刻まれています。元伊勢の籠神社は六芒星を紋章にしています。
注意深くこの言葉を使うのは避けてきたのですが、籠目(六芒星)とはダビデの星です。この話はトンでもの世界では有名で、日ユ同祖論の最大の根拠として使われてきました。「ダビデの星、伊勢神宮」とか「ダビデの星、秦氏」で検索すればいくらでも特集をしているサイトを探し出すことができますのでそこから見てください。
ただし「癸」という漢字がダビデの星を意味するから、下鴨神社が(葉っぱの形は変わってしまったけれど)ダビデの星を意味する葵の葉をイメージとして使っているから、伊勢神宮にダビデの星が刻まれているからといって、ユダヤ人が古代日本に来ていたとか、想定する必要はないと私は考えています。
籠目を魔除けとして使う風習は、日本〜長江流域〜東南アジアに広がっているからです。東南アジアの一部には村の外れに6本の稲藁でダビデの星を作って魔除けとして吊す風習があります。籠目に魔除けの性質を見いだしたのはユダヤ人だけではなく、人類にかなり広く見られる風習なのだと思います。
けれども「火睪睽(火沢睽)」の卦辞だけは、春秋時代に古代ユダヤ人が支那に来ていた証拠と私は考えます。これについては続きをご覧ください。
« 易経勝手読み(二二)・・・火雷噬盍 | トップページ | 易経勝手読み(二四)・・・火睪睽(火沢睽)その二 »
「易経・春秋・漢字」カテゴリの記事
- 易経勝手読み(八七)…沢水困(2018.08.28)
- 易経勝手読み(八六)…水風井(2018.01.24)
- 古代シナ史の三重構造(2018.01.14)
- 機織りと漢字(3)…哉・載・歳(2017.07.02)
- 機織りと漢字(2)…成・戒・國(2017.06.28)
コメント