易経勝手読み(二九)・・・雷火豊
七月二十九日
雷に火、いかにも派手で盛んな様子を表しているように思えます。ですので従来の解釈では雷火豊とは、勢い盛んで向かうところ敵無しの状態とされてきました。
豊は豆(食器)の中に黍稷(きび)の類を盛って入れた形です。そこから、てんこ盛り、勢い盛んという風に意味が変化していきました。しかし豊にはもう一つの意味があります。それは醴酒(あまざけ)です。
醴という漢字の初文(元々の形)は豊です。甘酒とは、煮立った粥の中に麹を入れて一晩保温したらできる促成の酒です。金文には醴の字が多数用いられています。現在と同様に、君臣の間の儀礼、すなわち宴会に用いられていたことが分かっています。
そして醴(あまざけ)を用いて行う儀式の手順を禮(礼)といいます。
雷火豊の卦辞の中に出てくる蔀という漢字の古い意味が失われているため、推論に弱い部分があるのですが、雷火豊はおそらく醴の製法とお供えの仕方を記録した卦です。
其れ主に配して遇す
其れ蔀に豊す(かもす?)
日中に斗を見る
其れ沛に豊す
日中に沫を見る
其れ蔀に豊す
日中に斗を見る
其れ主に夷きて(ひざまづきて)遇す
章来る
其れ屋に豊す
其れ家に蔀す(部す?)
其れ戸に規す
其れ无人に具す
三歳見ず
(醴酒は)祖先の位牌に配膳する
麹を入れて発酵させる
その日のうちにヒシャクですくえる(飲める)
お粥を煮立てて発酵させる
その日のうちにブツブツと泡が出てくる
麹を入れて発酵させる
その日のうちにヒシャクですくえる
(醴酒は)祖先の位牌に跪いて捧げる
入れ墨をした死者が来たる
殯屋(もがりや)で醸す
死者を殯屋に安置する?
殯屋の戸には悪霊を避ける文様を描く
鼎に醴酒を満たし両手で死者に捧げる
三年間外界と交流を絶つ
雷火豊の卦辞には「其れ蔀に豊す」が二回出てきます。培や部はつぼみが膨らんで割れようとしている状態であることから、蔀は膨らんだ米粒から菌糸(艸:草冠)が伸びている状態、乃ち麹ではないかと私は考えました。ただしこれは私独自の想像で、他にそういった説を唱えている人はいません。
従来は「日中に斗を見る」を「昼間に北斗七星が見える」と解釈しているのですが、西周時代に北天のあの星座を北斗七星と見なしたという記録はないので、斗を字義通りにヒシャクと読みました。漢文の「見る」は、可能もしくは受動を意味する助字です。
ヒシャクと可能で、「その日のうちにヒシャクですくえる」と解釈しました。そうするとまさしく醴酒のことになります。醴酒は早朝に仕込めば、午後には飲めるようになります。
「日中に沫を見る」も、お粥が発酵して、細かい泡がぷくっと表面に出てくることと解釈しました。
後半は卦辞の様子が変わり、建築物の描写が続きます。
屋は死者を安置する殯屋です。古代は、生と死の境がハッキリしなかったので、動かなくなった屍はしばらく離れに安置されました。これが殯(もがり)です。
規はもともとコンパスであり、コンパスを使って描く悪霊を避ける渦巻き文様です。具は両手で鼎を捧げる形象です。鼎の中には当然に醴(あまざけ)が入っているのでしょう。三年間外界と交流を絶つとあることから、これは父の喪に服する礼を表しています。
雷火豊の卦辞の前半は祖先の位牌に醴を捧げる礼、後半は父の殯で醴を捧げる礼を表していると考えられます。
震雷を含む卦は商(殷)関連の事物が多いです。震雷が表す方角は東であり、これは周から見て東にあった商を指しています。商と言えば、盛大に酒を使用する祭儀を行ったことが知られています。
商人(しょうひと)の飲酒好きは有名で、商が滅びたのも飲酒にうつつを抜かしたからだとさえ言われていました。
また、甘酒は照葉樹林文化に共通する風習で、おそらく縄文人や弥生人も楽しんでいたのではないかと考えられます。飲酒を楽しむのは東夷に広く伝わる文化です。
以上の考察から、商人(雷)が米を熱して(火)造る醴酒(あまざけ)という意味で雷火豊なのだと思います。あるいは宴会につきものの酩酊を雷で表したのかもしれません。
気力充実やそれに伴うあやうさを意味するようになったのは豊という漢字の意味が変化したのと、飲酒による酩酊への連想からでしょう。
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