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2011年8月 8日 (月)

易経勝手読み(二五)・・・火睪睽(火沢睽)その三

七月九日【立秋】

 イザヤ書は紀元前8世紀後半の神官イザヤに神から降りてきた預言を記録した書で、旧約聖書では非常に重要な位置を占めています。このときユダヤ人は北のイスラエル王国と南のユダヤ王国に分裂していました。メソポタミアではアッシリア帝国が勢力をパレスチナまで広げ、イスラエル王国はアッシリアに屈服し多神教を受け入れていました。

 アッシリアに浸食されて国は風前の灯火。文化的にも侵略を受けて、イスラエルは存亡の瀬戸際にありました。これに対してイザヤはアッシリアの侵攻を、イスラエル人の信仰が薄れたゆえに神が降した神罰ととらえ、純粋な一神教に回帰することで危機を乗り越えようとしました。

 イザヤ書が注目されるのは、一神教の思想的な深化が見られることです。イザヤは民族の間の連帯感を高め、弱者に救助の手をさしのべることが神の意志に沿うことだと述べました。先住民族を戦いで殺しまくることを後押しした、これより以前の一神教よりも道徳的な深化が見られます。

 けれどもイザヤの呼びかけもむなしく、イスラエル王国は紀元前722年に滅ぼされ、住民は遠くバビロニアに連れて行かれ、跡地にはバビロニアからの入植者が移植されてしまいました。これを第一次バビロン捕囚と呼びます。

 王もバビロニアに連れて行かれました。それ以降も散発的な反抗はありましたが、遺ったイスラエルの人民を守ろうとしたイザヤも紀元前696年頃に迫害によって殺され、イスラエル王国を構成していた人たちは歴史から消えてしまいます。これを消えた十部族と言います。

 この百年後に南のユダヤ王国も新バビロニア帝国に滅ぼされてバビロンに抑留される(第二次〜三時バビロン捕囚)のですが、こっちの方は奇跡的に民族的アイデンティティーを維持し、数十年後に解放されて国を再建し、現代まで続くユダヤ人の核になったとされています。

 イスラエル王国が滅亡した紀元前8世紀末期は、古代支那で言えば春秋時代の前期に当たります。ちょうど易経が現在の形に編集された時期です。

 第一次捕囚で東方へ強制移住させられたイスラエル人たちは、その後各地に広がっていきました。ペルシャやパンジャブ地方、インドあたりまで広がっていたらしいことが、古い記録から分かっています。パンジャブまで来れば西域まではあと一歩なので、少数のイスラエル人が春秋時代の支那に来ていてもおかしくはないと私は考えます。

 春秋時代に入って、西域に接する諸侯である秦と晋が急速に強化されたことや、法による支配が鄭や楚で始まるのは、アッシリア帝国や新バビロニア帝国の侵略によって、メソポタミアから難民が流入した影響もあると思います。あるいはアケメネス朝ペルシャがパキスタンからエジプトにかけて大統一帝国を作ったため(紀元前539年、丁度鄭で子産が活躍した時期)、通商が活発化し、支那を訪れるメソポタミアの人が増えたのかもしれません。

 長くなりました、イザヤ書の書き出しを見てみましょう。文語訳の方が原典に近いはずなので文語訳を使っています。口語訳のイザヤ書はこちらをご覧ください。

イザヤ書 第一章
(1:1)アモツの子イザヤがユダの王ウジヤ、
     ヨタム、アハズ、ヒゼキア、のときに
     示されたるユダとエルサレムとに係る異象
(1:2)天よきけ地よ耳をかたぶけよ、
     エホバの語りたまふ言あり、
     曰く、われ子をやしなひ育てしに
     かれらは我にそむけり、
(1:3)牛はその主をしり驢馬はそのあるじの厩をしる、
     然どイスラエルは識ず、わが民はさとらず、
(1:4)ああ罪ををかせる國人よこしまを負ふたみ、
     悪をなす者のすゑやぶりそこなふ種族、
     かれらはヱホバをすてイスラエルの聖者を
     あなどり、之をうとみて退きたり
(1:5)なんぢら何ぞかさねがさね悖りて
     猶うたれんとするか、その頭はやまざる所なく、
     その心はつかれはてたり
(1:6)足のうらより頭にいたるまで全きところなく
     ただきずと打傷と腫物とのみなり、
     而してこれを合すものなく包むものなく、
     亦あぶらにて軟らぐる者もなし
(1:7)なんぢらの國はあれすたれ(荒れ廃れ)
     なんぢらの諸邑は火にてやかれ、
     なんぢらの田畑はその前にて外人にのまれ、
     既にあだし人にくつがへされて荒廃れたり
(1:8)シオンの女はぶだうぞの廬(いほり)のごとく
     瓜田の仮舎のごとく、また囲をうけたる
     城のごとく唯ひとり遺れり
(1:9)万軍のエホバわれらに少しの遺(のこり)を
     とどめ給ふことなくば、
     我らはソドムのごとく又ゴモラに同じかりしならん


 イザヤ書(イ1:2)は、イスラエルの民がヱホバにそむいたことを記しており、これは従来から言われている睽の卦の意味に沿っています。

 (イ1:3)は牛と馬は自分の主を知り、すみかを知っているけれど(自ずから復へらん)、イスラエルの民は主を知らない(悪人)と言っており、(睽:初九)にあたります。そして主から逃げた奴隷は屋敷の外で主と会うことになるでしょう(睽:九二)

 (イ1:8)は、エルサレムの町をシオンの女に喩えています。別の箇所でもイザヤはイスラエルの民を不貞淑な女性(ヱホバの神を捨てて別の神に走ったから)に喩えています。これは(睽:九四)に当たります。

 (イ1:6)は(睽:六五)に当たるでしょう。ヱホバの神の守護を喪ったイスラエルの民は、アッシリアに蹂躙され、略奪や重い貢納にあえいでいました。

 また古代支那の商では、神に仕える神官や生贄にされる神の奴隷は、一般人と区別するために身体に傷をつけられていたことが分かっています。「臣」という漢字はそのような目に傷をつけられた神官を表す文字です。「宗に厥き」は、イスラエルの民が神殿に捧げられる犠牲であるから(選民だから)、あえて傷つけられたのだ、という意味も含まれています。

 もうすこし先を見てみましょう。

(1:11)ヱホバ言たまはく、なんぢらがささぐる
      おほくの犠牲はわれに何の益あらんや、
      我はひつじの燔祭とこえたるけものの
      膏(あぶら)とにあけり(飽けり)、
      われは牡牛あるいひは牡山羊の血をよろこばず
(1:12)なんぢらは我に見えん(まみえん)とてきたる、
      このことを誰がなんぢらに
      要めしや(もとめしや)、
      徒に(いたづらに)わが庭をふむのみなり
(1:13)むなしき祭物(そなへもの)を
      ふたたび携ふることなかれ、
      燻物はわがにくむところ、
      新月および安息日また会衆を
      よびあつむることも我がにくむところなり、
      なんぢらは聖会に悪を兼ぬ、
      われ容す(ゆるす)にたへず

 これはだいたい(睽:上九)の前半に当たると見て良いでしょう。イザヤ書では、イスラエルの民のお供え物は汚らわしいのでいらないと言っています。(睽:上九)の脂ののった豚も鬼のような物に対応します。

 (睽:上九)にある、張った弓が解かれるという部分ですが、これは最初は強い者が、最後は無力になるという意味です。神を捨てた者は最初はいい気になっているが、後に泣くことになるというのは様々な預言に共通する表現です。たとえば

イザヤ書 第二章
(2:12)そは万軍のヱホバの一つの日あり、
      すべての高ぶる者おごる者みづから
      あがむる者の上にのぞみて之をひくくし、
(2:13)またレバノンのたかくそびえたるすべての香柏、
      バシャンのすべての橿樹(かしのき)
(2:14)もろもろの高山、もろもろの聳えたる峰
(2:15)すべてのたかき櫓すべての堅固なる石垣
(2:16)およびタルシスのすべての舟すべての慕ふべき
      美はしきものに臨むべし、
(2:17)この日には高ぶる者はかがめられ
      驕る者は低くせられ、
      唯ヱホバのみ高くあげられ給はん
などです。

 さて残るは(睽:六三)と(睽:上九)の後半「寇(あだ)するにあらず婚媾せんとす」です。

 (睽:六三)は簡単で、バビロニアに拉致されたイスラエル王国の民たち、とりわけ最後の王のホセア王でしょう。このときバビロンに抑留された人数は、アッシリアの碑文によると2万8千人に上ったと言われています。いまでも結構な人数です。人口が少ない古代ではほとんど民族全員の強制移住に近かったでしょう。抵抗したホセア王はバビロンの牢獄に繋がれたとされています。

 (睽:上九)の後半「寇(あだ)するにあらず婚媾せんとす」はイザヤ書にぴったりの部分はないのですが、イザヤ書のテーマです。ヱホバとイスラエルの民の契約を結婚に喩えた表現は旧約聖書の随所に出てきます。そしてユダヤ教は歴史上初めて結婚に宗教的な意味づけをした宗教です。結婚とユダヤ教は切っても切れない繋がりがあります。

 イザヤ書のテーマは「これほどまでにエホバに逆らった民でも、悔い改めればエホバの神はきっとイスラエルの民に恩寵を与えてくれるはずだ」です。ここが罰則一辺倒だったこれまでのユダヤ教と一線を画す部分で、イザヤの神は許す神でもあるのです。キリストがイザヤから強い影響を受けたのではとされる所以です。

 (睽:上九)の後半「寇(あだ)するにあらず婚媾せんとす」は、水雷屯の一部分の抜粋なのですが、似た表現を使って、イザヤ書の真髄を表したのだと考えられます。

 自分でも信じがたいのですが、火睪睽(火沢睽)は、春秋初期に滅びたイスラエル王国の亡命者が古代の支那に存在した証拠と考えざるを得ません。ルートは陸路かもしれませんし、海路かもしれません。睽の卦辞は紀元前8〜7世紀当時祭神の思想だったイザヤの影響を強く受けており、バビロンからの解放は書かれていないので、アッシリアの侵攻を耐えたユダヤ王国の人々ではなく、第一次捕囚によって消えたイスラエル王国の人々の伝承を記録したと考えられます。

 イザヤ書風に訳した睽の卦辞です。

初九。驢馬は主人のまぐさ桶を知るので
   居なくなっても、いずれ自分で帰ってくるだろう
   しかしイスラエルの民は悪をなす人々である
九二。彼らは主を捨て遠ざかったため、
   自分の家の外で主と出会う
  (故郷から遠くへ連れて行かれる)
六三。イスラエルの人々は、(バビロニアによって)
   車に載せられ、牛に引っ張られ、
   虜囚の地に連れて行かれる、
   王は罪人となり、
   異教の神殿で犠牲として捧げられる
九四。シオンの女(エルサレム)はただひとり残った
   けれども元の夫は、不貞淑な妻でも
   再会すれば受け入れるだろう
六五。足の裏から頭まで、完全なところがなく、
   キズと打ち傷と生傷ばかりだ
   (しかしこれはイスラエルの民が神から選ばれた
    犠牲である証拠であり、試練である)
上九。なんぢらが神殿に背負ってくる
   犠牲も獣の膏(あぶら)も(エホバにとっては)
   車いっぱいの化け物の山にしか見えない
   (ヱホバの臨む日には)
   高ぶる者はかがめられ
   驕る人は低くせられる
   けれどもヱホバはイスラエルを
   滅ぼそうとしているのではない
   結婚しようとしているのだ
   (神との契約を思い起こすべきである)

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