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2011年8月 4日 (木)

易経勝手読み(二一)・・・地睪臨(地沢臨)

七月五日

 「臨」という文字は、お供えを入れた器を前にして人がうずくまって、神の降臨を待っている状態を表していますので、地睪臨(地沢臨)は睪(器)を地面に並べて、あるいは銅鐸や木檡などを鳴らして、地霊を呼び出す祭祀ではないかと考えられます。

 睪には「抜け殻」「中空」「窪地」という意味があり、それ故に地睪臨や水睪即で「器」の意味でこの文字が使われているのだと思います。

 臨の卦辞には「矢」が数回登場します。悪霊を追い払って土地を浄化したり、宮殿を建設するのに適した土地を選定するために、弓矢を放つ祭祀は日本では古くから行われています。矢を放って地面に突き刺すことには、こういった地霊に対する呪術的な意味があるのでしょう。

 「既憂之」という語句は喪に服する状態を意味していますので、臨はあるいはお墓に適した土地を占うための祭祀であるのかもしれません。だとすると「睪」は器ではなく、この文字の原義(獣の皮)に従って「殯が済んで抜け殻となった死体」と解釈するべきとなります。

 「敦」は大きな鍋付きの青銅器ですが、この場合お棺を表しているのだと考えられます。

 以上の考察から、地睪臨には埋葬とお墓の前でのお祈りの両面があると私は考えます。地下に亡骸を納め、墓の前にお供え物をする一連の葬礼を意味する卦と考えられます。地と睪が合わさるのでこの解釈が妥当ではないかと思います。臨という漢字も、一族がお墓の前で祈ることで祖先の霊を呼び寄せて、その守護を願うという意味だったのではないでしょうか。

 金文には「この宝器で祖先にお供え物を欠かさないようにしなさい、そして我が子孫に福がもたらされますように」という語句が必ずといって良いほど刻まれており、古代の支那において「臨」すなわちお墓参りや今の日本で言うお仏壇でお勤めすることが重要な祭祀であったことが分かります。仏壇に祖先の位牌を祀るのは仏教の風習ではなく、儒教の風習です。

咸臨す
甘臨す
既にこれを憂える
至臨す
知臨す
敦臨す

干戈で(悪霊から)亡骸を守る
鍵をかけた祠で亡骸を保管する
服喪の期間を過ぎる
弓矢を放って、地面に突き刺す
矢が突き刺さった地に墓を作る
お棺に遺骸を納めて埋葬する

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