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2011年10月12日 (水)

易経勝手読み(四五)・・・水天需

九月十六日【望】

 水天需の需は巫(シャーマン)が雨乞いをするという意味の字であり、この卦は雨乞いや葬儀などの祈祷を生業としていた需という集団(宗教団体?)を表しているのではないかと考えられてきました。

 やがて需から出た孔子は需の思想を深化させ、人間の理性を重んじる儒教を作り上げたと言われています。しかし需の実態についてはよく分かっていません。需という漢字が雨乞いを意味すると言うことと、孔子の言行録である論語の記述から、拝み屋のごとき集団だったのではないかと推測されているだけです。

 論語の子罕第九の六に「吾少くして賤し、故に鄙事に多能なり、君子多ならんや、多ならざるなり」という下りがあります。現代語訳すると「私は若い頃身分が低かった、それ故につまらないことがいろいろとできるのだ。君子はいろいろとするものだろうか、いろいろとしたりはしない。」となります。孔子が若い頃、おそらく出身集団である需にいる間に様々な生活する上での技術を身につけたことを回想した発言です。

 孔子は音楽と料理に大変なこだわりを持っていました。素晴らしい音楽を聴いた日は、感動のあまり一日中ぼーっとなって飯も喉を通らないほどだったそうです。さして知識がない弟子でも、楽器が弾けると言うだけで高い評価を与えたりしています。音楽の教習本を編纂したという伝説もあります。

 論語が食べ物に関する記述で満ちあふれていることはご存じの通りです。当時食べ物が贈り物、お供え物として重要視されていたからだと言うことになっていますが、保存の仕方や賞味期限、加熱の方法まで事細かに孔子は発言しており、端的に言って彼は食いしん坊、もしくは自分で料理をしたのであろうことが推測できます。

 孔子は恋愛についても一家言あったらしく、恋愛詩を読んで「この詩はまだ感情の表現が未熟だ」と批評したりしています。恋愛詩を口ずさむこともあったようです。なかなか情熱的な人だったらしいです。

 孔子の父親は怪力の持ち主であったという伝説があります。孔子自身も大変な偉丈夫(長身)でした。それ故、孔子は若い頃に軽業師のようなことをしていたのではという説があります。

 母親は尼山という霊山の巫女で、孔子は士大夫と巫女の間に生まれた私生児だったのではないかと言われています。しかしこれは孔子が神格化されてからの後付けで、孔子は「尼」によって生まれた私生児というのが伝承の核でしょう。字統によると、「尼」というのは、正式な手続きを踏まずに男女が肉体関係になるという意味で、野合や売春を表す字です。なんとまあ仏教徒はビクニ(女性の出家)の訳語として不適当な字を使ったものです。

 需というのはおそらく拝み屋、手工業者、遊女、医者など雑多な技術者が集まった流浪の集団で、西洋のロマ(ジプシー)のような団体、あるいは民族ではないかと考えられます。やがて孔子を始祖とする儒教が国家宗教となってしまったため、需の実態は歴史の記録から消されてしまいましたが、他ならぬ儒教の根本教典である易経の水天需に、その真の姿が残されていました。

需は郊
亙を利用す
需は沙
小を言つ有り(うがつあり)
需は尼
致寇に至る
需は血
穴より出す
需は酒食
穴に入る
速ねかれざる(まねかれざる)客三人来るときに有り

需は邑の外に滞在する
城壁を利用して簡易な住居を作る
需は小さい玉石を加工する
玉石に穴をうがち装飾品(勾玉)を作る
需は遊女
正式な手続きを経ない男女の道(水商売)を行う
需は医者
患部に鍼を刺して瀉血を行う
需は料理人
料理は口から入る
(需は)天災、病、葬儀などの有り難くない出来事を処理してくれる

 亙は城壁を表す字です。塀に屋根を立てかけてバラックを作って住んでいたという意味でしょう。今でも発展途上国へ行けばいくらでも見られる光景です。

 言は針で穴をあける、入れ墨をするという字です。玉を加工してネックレスなどの装飾品を作るという意味でしょう。

 致寇至は匪寇婚媾の対義語で、水商売のことでしょう。寇とは不純性異性交遊のことです。寇は従来から「あだ」と訓読みします。貞操概念の薄そうな女性のことを「あだっぽい」と表現します。興味深いことにこの場合も日本語の方に寇という漢字の非常に古い意味が残されています。

 出自穴と入于穴は言葉遊びです。血は穴(傷口)から出てきます。そして料理は穴(口)から体内に入ります。需が悪い血を排出させる瀉血治療(衛生的にかなり問題がある治療法ですが前近代には一般的でした)を行っていたことと、優秀な料理人であったことを表す句でしょう。

 需というのはおそらくメソポタミア・ペルシャ・中央アジアから流れてきた高度な技術を持つ難民に、支那の流民が合流してできた流浪の職能集団だったのではないでしょうか。それ故に平等的な考えを持っていたのではないでしょうか。戦争の技術に秀でていたという墨家集団も似たような集団から派生したのでしょう。儒者の特徴とされるだぼだぼの衣装というのも、元々はアラブ人が着ているようなトウブを意味していたのではないでしょうか。

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