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2011年10月12日 (水)

シャカ族

 水天需を書いていて思い出したのですが、お釈迦様も料理には大変なこだわりがあるんですね。初期の仏典はお供え物の記述が事細かに記してあります。また、初期の仏教は出家の女犯を大変に罪悪視しているのですが、それはお釈迦様が若い頃に散々女遊びをして身にしみていたからです。シャカ国の王子だった頃、浄飯王は息子のために季節ごとに別荘を作り、王子は遊女に囲まれて妙なる音楽を聴いて過ごしたと言われています。また、布教の初期に火を使う手品のような奇術を使って、論争を挑んできた宗教者を屈服させたりしています。芸達者だったのです。

 シャカ族はアウトカーストだった、あるいはコーカソイドではなく黄色人種だったという説があります。一族の間で王位持ち回りをしていた、ヴェーダとはだいぶ異なる神話を持っていた(お釈迦様の前世の物語の形で残されています)、ヴェーダで重視される麦ではなく米を神聖視していた(王族の名前に必ず米を意味する"〜ダナ"が付いている)、バラモン教団の権威を認めていなかったなどの特徴からです。ヴェーダを作り上げた民族の後からインドに来たのか、それともその前からインドにいたのかは定かではありません。

 シャカ族の子孫と考えられる人たちは、現在インドで文明を失って狩猟採集生活をしているのですが、シャカ族も孔子の需同様に流浪の技術者集団であったのかもしれません。古い仏典から浮かび上がってくるシャカ族は生産から遊びに至まで様々な技術を持った集団であり、仏教があれだけ為政者から大事にされたのも、その教団が持つ技術を政治家や商人が利用しようとしたからかもしれません。

 仏典ではお釈迦様とその従弟のデーバダッタとアーナンダの間の対立と交流の物語が異彩を放っているのですが、私が考えるにヴェーダとは異なる宗教を伝えるシャカ族の教団がシッダールタ王子が登場するより以前から存在し、シャカ族の王族はそこで勉強していたのでしょう。

 お釈迦様の前世物語や修行物語、そしてデーバダッタの言行から、その教団は厭世的で厳しい修行を第一とする教義を持っていたのでしょう。反面、前世物語には人類の歴史を技術の進歩として捉える思想や、進化論的な発想も見られますので、神憑り的なヴェーダと異なった合理的な思想がその教団に伝わっていたらしいことも分かります。

 デーバダッタはその教団の秀才で、お釈迦様から教団の幹部として招かれたけれども、お釈迦様の急進的な考えについて行けず最終的に袂を分かったのでしょう。アーナンダはまだ若く、柔軟だったのでお釈迦様に終生尽くしたのだと思います。

 仏典では宗教界と浄飯王がシッダールタ王子を取り合いしているように描かれているのですが、シャカ族の教団と王国の間に緊張関係があったのかもしれません。マガダ王国に付くかコーサラ王国に付くかという外交に関する対立だと思います。デーバダッタがマガダ王国の阿闍世王と昵懇であったことから推測するに、教団がマガダ王国側で王国がコーサラ王国側なのでしょう。お釈迦様が両国を往復しているのは、戦争を防ぐための意味合いもあったのでしょう。

 シャカ王国はコーサラ王国に滅ぼされてしまいます。これは教団を通じてシャカ王国がマガダ王国に寝返ったのが理由ではないかと考えられます。お釈迦様とダイバダッダの対立にはこういった国際関係が背景にあるかもしれません。シャカ王国が亡んで以降はデーバダッタは精細を失います。デーバダッタがマガダ王国に近づきすぎた結果としてシャカ王国が滅びてしまったので、シャカ族の信頼を失ったのでしょう。仏典に刻み込まれたデーバダッタへの呪詛は、国を失ったシャカ族の恨みの裏写しだろうと思います。

 おそらく日本の秦氏も古代支那の需や、古代インドのシャカ族、そして欧州のロマ(ジプシー、チガニー)と似たような流浪の技術者集団だったのでしょう。日本では特に職能者と流浪は分かちがたく結びついているのですが、これは、二千年間外部からあまり干渉を受けなかった日本に、世界各地の二千年以上前の古い伝統が保存されて残っていたからでしょう。

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