« デンマークの豪壮なイルカ漁 | トップページ | 憲法第九条の改正を望まない理由 »

2011年11月20日 (日)

易経勝手読みが完成

 易経勝手読みが六十四卦全て完成しました。

 いやはや易はとても面白い書です。今まで誰も想像もしなかったような、自然と呪術の混じり合った古代支那の庶民の暮らしが易からは浮かび上がってきます。

 このブログの内容を整理し、いつか本にして出したいと思っています。

 易が一段落付きましたので、政治・経済についてもまた少しづつ書いていけたらなと思います。

« デンマークの豪壮なイルカ漁 | トップページ | 憲法第九条の改正を望まない理由 »

易経・春秋・漢字」カテゴリの記事

コメント

お疲れ様です。
易経連載、毎回楽しみにしてます。
既済、未済あたりとか、ぺっちゃん解釈待っていたので、
ここで終ると寂しいです><。。
沢山感も何を感じているんだろうと気になってます。

武丸さんこんにちは、

説明が不十分ですみません。
終わったというのは64卦全て解明が終わったという意味です。残りの卦も随時公開していきます。

よかったです。
期待してます。ダビンチコードよりも面白いですよ。

易経って、地山兼みたいに本来の意味(敵をぶっ殺せ)が謙遜という風に正反対の意味にされているのがいくつかあるのですが、これって本当に儒学者が間違えたせいなのだろうか、と少し疑問に思っています。

そういうことかというと、まあオカルトになっちゃうんですが、民族の代表的な呪術にわざと致命的な間違いが入っている、これは何を意味するのかと。

その民族の精神の健やかな成長、精神の発露が阻害されて、ねじけるのではないかと思うのです。

完全なオカルトなんですが(笑)

つまり・・・易経の間違いが意図的なものだったとすると、儒学者の易経解釈は支那人の精神力を押さえ込むための呪いだったのかもしれないってことなんです。オカルト的に言うと。

ただ、間違いが悪いこととばかりも言えないのです。

神仏混淆は、神学的にはおかしいのですが、明治の時に仏教と分離させられた神道は暴走を起こして、最終的にあの敗戦の惨禍を招きました。

だから儒家は、易を士大夫の専有物から大衆化させるにあたって、わざとブレーキを呪術に組み込んでおくというのもあったのかもしれません。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/173723/53290426

この記事へのトラックバック一覧です: 易経勝手読みが完成:

« デンマークの豪壮なイルカ漁 | トップページ | 憲法第九条の改正を望まない理由 »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ