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2011年11月26日 (土)

易経勝手読み(五九)・・・天睪履(天沢履)

十一月二日

 履の原義は沓(くつ)ですので、天睪履(天沢履)もまた沓や歩き方を意味する卦です。位を履むという言葉があるように、踏むという動作もまた宗教的な意味合いを持っていました。日本の雅楽や田楽でも踏むということに地霊を呼び覚ます効果や悪霊を追い払う効果を持たせています。

素履なり
道を履むこと擔擔たり
幽人は
眇にして能く視る
跛にして能く履む
虎の尾を履むものは
人を咥る(あなどる)
武人は大君となりて
虎の尾を履む
朔朔として夬履なり
視履むは考ひの祥し(おひのしるし)
其れ旋る(めぐる)

おろしたての沓で
軽やかに道を歩く
神降ろしをする人は
目が悪い人のようにじっと見て
びっこのように摺り足で歩く
虎皮のブーツを履く者は
尊大な態度である
武者は領主になると
虎皮のブーツを履くようになる
よちよち歩きの子供はサンダルを履く
目が弱くなり足を引きずるのは老いのしるし
そして徘徊するようになる

 履虎尾が難解です。咥人の咥はもともとは嘲笑的な態度を意味する字です。後半で、武人すなわち武将は大君すなわち領主になると虎の尾を履むようになるとあります。ですからこの虎の尾は大君の身分標章だろうと推測できます。

 睪火革(沢火革)の爻辞で位の高い商の捕虜が虎に変身し、位が中くらいの商の捕虜が豹に変身したという句がありました。ここでもはやり虎は身分と繋がっています。

 履で再び虎が出てくることから、この身分標章は虎の尻尾に見える何かと言うことになります。虎の尻尾は太く腕ぐらいの長さがあり、先が丸まっています、ですのでブーツか刀の鞘のどちらかではないかと思います。履に出てくるのでブーツでしょう。もしも虎皮のブーツがあったとしたら、虎の尻尾をはいて歩いているように見えるに違いありません。

 初九の素履はおろしたての沓と解釈しましたが、あるいは六三と対句と考えると、何らかの軽快な踊りの様子を描写した爻辞かもしれません。

 六三の眇能視、跛能履は雅楽や能のような舞楽における摺り足の歩き方を意味しているのではないかと思います。

 九五の夬は「欠ける」という意味であり、夬履というのは欠けた部分のある沓でサンダルのことでしょう。朔朔は初めという意味なので、小さい子供にはサンダルを履かせると解釈しました。

 上九の考の原義は老です。視と履は六三で、目が弱いこととびっこの意味で使われています。ですのでここは素直に読んで、年を取ると目が弱くなり足を引きずるようになると解釈しました。旋も徘徊のことでしょう。そうすると上九は「老人の歩き方」の意味となり、「幼子のよちよち歩き」を意味する九五と対句になります。

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