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2011年11月22日 (火)

アクセルの宗教、ブレーキの宗教

 コメント欄でオカルト的なことを言ってしまい驚かれた方もいるかもしれませんが、オカルトまで持ち出さなくても、易経がメッセージを弱める方向に改変されたことを説明することは可能です。

 物事は成功することが稀で、失敗する確率の方が高いのが普通です。ならば「イケイケドンドン」の占いよりも、たえず「慎重になれ」と呼びかける占いの方が当たる確率が高いのも当然です。

 従って、占いの書は、アグレッシブな解釈よりも、慎重で何を言いたいのかわからないようなややこしい解釈の方が長い時間を経て生き残ることになります。

 神道と仏教の分離によって、昭和初期の日本が暴走したのも同じように説明ができます。

 神道は正しければ何でも成功する、みたいな傾向が強い教えです。江戸時代に国学者によって再編されてしまった神道は特にそうです。

 それに対して仏教は、何もしないでじっとしている方が良いというものぐさな宗教であることはご存じの通りです。

 昔の日本人は神仏混淆の宗教を作り上げることによって、このアクセルとブレーキを上手に使いこなして生活していたのだと思います。

 国家神道の元となった国学者の教えはアグレッシブで強烈です。ブレーキがありません。それは国学が市井で生まれた学問であり、現実に対処する必要がなかったので過激化したのだと考えられます。政治家だったら正しければ何でもうまくいくというわけにはいかないはずです。

 日本人の精神はブレーキである仏教を失うことによって安定を失っていったのです。

 易に関しても似たようなことが古代の支那であったのかもしれないと私は推測しています。易経は本来は子供向けのナゾナゾ集であり、占いの書ではありません。これを占いに当てはめたのは鄭・もしくは衛の学者であり、私は子産を想定しています。

 なぜ子産かというのは易の方角占いから推定できるのですが、それについては別の機会に。

 春秋戦国時代に、アグレッシブな易の解釈に従って国の運営を誤った政治家が続出したのではないかと思います。そこで儒家が易をブレーキの占いに改めることにより、易はむしろ命脈を二千年の後にまで保ったのだと私は思います。

 ブレーキとしての易の大成者は荀子だろうと思います。

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