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2011年11月 2日 (水)

易経勝手読み(五二)・・・天水訟

十月七日

 天水訟は従来の解釈通り、訴訟を表した卦です。訴訟の中でも民事裁判や刑事裁判ではなく、百姓が領主を訴える裁判です。

 白川静によると、法という漢字はもともと訴訟に負けた罪人を獣皮にくるんで川に流すことを表した文字だそうです。罪をくるんで流すという発想は古代の日本の神話や風習に色濃く残っています。

 天で罪をなした素戔嗚尊は下界に流されましたし、一年の間に溜まった穢れは人形に吹き付けられ川に流されました、ひな人形の原型です。そして罪を犯した罪人は遠方に流されました。もっと卑近な例で言うと、簀巻きにして川に叩き込むぞという啖呵にこの風習の片鱗が残っています。

 天水訟の九二に帰而逋という句があります。逋には逃亡者、亡命者という意味があります。甫を旁として持つ漢字には包む、くるむという意味があります。匍匐前進の匍は庇うという意味ですし、圃は苗代ですし、浦は袋状になった海岸線です。哺は母親が赤ん坊を抱いて食事をさせるという意味です。

 春秋期の范蠡という軍師は、越王勾践を覇王にまで押し上げた勲国の臣でしたが、覇業を成し遂げて傲慢になった勾践から疎まれて排斥されることを避けるために、亡命しました。その後彼は鴟夷子皮と名乗りました。これは獣皮にくるまれた罪人という意味です。罪人をくるんで流す風習は古代の支那でも一般的だったことが分かります。

事とする所を永くせず
小の言うこと有り
訟に克たずんば
逋にして帰す
其の邑人三百戸は
眚无し(わざわひなし)
旧徳を食る(いつわる)
或いは王事に従ひて成すこと无し
訟に克たずとも
復た命に即かしむ
安に渝す(うつす)
訟するには
或は之に鞶帯(かわおび)を錫ひ(たまひ)
終びて(むすびて)朝に三たび之を褫ぐ(はぐ)

自己の所領の管理不行き届きで
小人(百姓)から訴えられ
訴訟に負けたら
獣皮にくるんで川に流す
訴え出た百姓は
お咎め無し
経歴を偽る
あるいは王の使者となって不首尾に終わる
その場合は(責任を問う)訴訟に負けても
同じ任務に就けても構わない
ただし謹慎をさせる
裁判で証言するときは
王から目隠しの皮を与えられ
裁判中はそれをかぶせられるが、
 朝廷で三度まで意見を表明できる

 食旧徳と褫之の二句は意味がハッキリとは分かりませんでした。

 食には偽る、取り消すという意味があります。食言です。その後に王の使者になって失敗しても大きな罪には問わないという句があり、それと同等の罪の程度であることから、軽い犯罪だろうと考え、経歴を偽ることと推測しました。

 褫はほとんど用例が残されていない字です。褫奪(官職を奪う)くらいしかありません。日本の古典では褫に「はぐ(剝ぐ)」と訓読みをした例があります。おそらく虒の意味は虎の皮を剝ぐであり、剝がれた虎の皮はぺたんこになって生きていた頃の勢いを失いますので、はぐ、弱まるという意味を持つようになったのでしょう。

 竹冠をつけると横笛という意味になります(ワープロの字がありません)。これも勢いのない音が出る笛という意味と考えられます。

 衣偏がついた褫の本来の意味は虎皮の衣でしょう。これと訴訟にどのような関係があるのでしょうか。かなり想像が入りますが、訴訟では被告と原告がお互いを威圧することがないように、法廷では見えないように衣をかぶせられていたのではないでしょうか。そして証言をするときだけ、目隠しの衣を取り外されたのではないでしょうか。

 法廷で目隠しをするという風習はケルトやゲルマンの神話にあったと思います。また三回まで証言ができるというのも、日本や西洋の古い風習にあったと思います。難解な句ですが、そのような古い風習を表しているのではないかと思います。

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