三陸旅行記(二)
十二月五日
1時20分に小本駅に着きました。残念ながら岩泉行きのバスは5分前に出たばかりでした。予想していたこととはいえがっかり。無茶苦茶寒くて外へ出る気も起きませんので、仕方なくそこで次の岩泉行きまで3時間半待つことにしました。寒そうにしていたら見かねたのか駅を管理している売店のおばちゃんがストーブをつけてくれました。おばちゃんありがとう。
神社新報3本とThe Economistを半分くらい読んだところでようやくバスが来ました。宮古から到着した三陸鉄道のお客さんと一緒にバスに乗って岩泉へ。小一時間で到着、意外と近かったです。
岩泉線は昨年の7月に土砂崩れとそれによる脱線事故が発生し鉄道は運休中で代行バスが岩泉から茂市(便によっては宮古市まで)まで運行しています。岩泉には高校がありますので、通学客が多いそうです。バスまで一時間半ありましたので、駅前の焼き肉屋で石焼きビビンバと熱燗をいただいて暖まりながら待ちました。とにかく岩手の山奥は寒いので、目一杯の厚着をしていてもじっとしていると寒くて仕方たなく、暖かいものを食べて酒でも飲まないとやっていられません。
夜七時過ぎに温泉の送迎に使うような小型バスがやってきました。お客は私一人だったので、運転手さんから助手席の後ろに乗って話でもしながらいこうやということになりました。代行バスの路線は、電灯もなく、すれ違うのにも苦労するような細い山道が続き(国鉄民営化の際にJRが路線廃止をあきらめて鉄道が存続したのは、路線バスを走らせるのがこのように困難であったから)、慣れていても夜は一人だと心細いのだとか。
話し好きな運転手さんで、いろいろと面白いことが聞けました。岩泉は昔は耐火粘土の鉱山があったそうで、岩泉線はこれを運び出すために戦中に建設された路線であるそうです(代行バスの運ちゃんの話)。地震の直後は被災地は停電でテレビが見られなかったため、沿岸に住んでいても浸水しなかった地区では、返って津波の悲惨さが数日間伝わらなかったのだそうです。あと、岩泉線は秘境駅があって、全国から物好きが来るそうで、地震の前は休みになると結構鉄道オタクがバスに乗りに来たとそうなのですが、地震の後はそういう物好きも来なくなって寂しくなったと言っていました。
やはり地震と原発の放射能のことは気になるらしく、いろいろニュースや口コミ交えて情報を集めているようでした。それが意外と言っては失礼ですが、いずれ来るであろう最大余震に対する認識や今回の地震によってむしろ活発化したとされる震源域の話や放射能がどの方向へ飛びどのくらいの危険性があるのかについて、かなり正しい認識を持っていました。庶民の口コミと経験知をなめてはいけないなと思いました。政府が情報統制なんかできると思ったら大間違いですね。
原発、政権交代・・・日本人は素直で為政者に騙されやすいとインテリは一様に言いますが、みんなそこから学んでいます。二度は同じ手には引っかからないでしょう。
代行バスで二時間、宮古駅まで行きその夜はビジネスホテルに泊まりました。宮古の中心部はもうすっかりきれいになってお土産屋さんも賑わっています。ホテルも一階は津波に漬かったそうですが、きれいで快適でした。
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