易経勝手読み(七七)・・・山水蒙
一月六日
山水蒙は従来は子供(児童)のように無知だけれども素直で、年長者が教え諭すことによって正しく導くことができる状態を表すとされてきました。
これは蒙という漢字が「よく見えない、ぼんやりしている」という意味で使われることが多いためです。古代の漢字の意味を調べるには、似たような形をした漢字を並べて共通する意味を探る方法が一般的です。蒙をつくりに持つ漢字としては曚・朦・濛・幪・蠓・艨などがあります。
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一月六日
山水蒙は従来は子供(児童)のように無知だけれども素直で、年長者が教え諭すことによって正しく導くことができる状態を表すとされてきました。
これは蒙という漢字が「よく見えない、ぼんやりしている」という意味で使われることが多いためです。古代の漢字の意味を調べるには、似たような形をした漢字を並べて共通する意味を探る方法が一般的です。蒙をつくりに持つ漢字としては曚・朦・濛・幪・蠓・艨などがあります。
一月三日
書籍版「易経勝手読み」を作成していたら、どうやら火天大有は青銅器を意味する卦であるらしいことが分かりましたので大幅に修正します。以前は大いなる捕虜と解釈しましたが、その後私も金文を勉強するなどして新しく知識を得て考えが変わりました。
「易経」には既に火風鼎という卦がありますが、これの主題は青銅器の鼎ではなくて蚕です。鼎は糸繰りの道具として登場するに過ぎません。実は鼎を意味するのは火風鼎ではなくて火天大有であったのです。
十二月二十八日【大寒】
水火齊(水火既済)と火水未(火水未済)は共通した句を複数持っています。そのため一見すると一繋がりの文章のように思えますが、全く別の事柄を扱った卦です。ナゾナゾにはそっくりの文章だけれど答えは違うというのがあります。あんまり出来の良い例ではないかもしれませんが、「鼻の長い動物はなあに?」(象)、「鼻が長くてお掃除が好きな物はなあに」(掃除機)?といった具合です。
火水未の六三には「未済」とあります。この句から未済と既済という卦が生み出されたのですが、これもまた他の卦と同様にナゾナゾの一節です。十二支の謎で見たように「未」の原義はブナの大木に寄生するヤドリギという植物です。
十二月二十五日 【土用】
以前に水火既済と火水未済は商(殷)の高宗武丁の鬼方征伐を歌った詩であるという説を提唱しましたが、武丸さんのご指摘により、それはどうやらこの卦の一面に過ぎないことが判明しました。
その後分析を進めた結果、水火既済と火水未済は非常に似通った句を多数含んでいる物の、全く別の事柄を取り扱った卦であることが分かりました。私の推測ではおそらく水火既済とされている卦は「齊(水草の菱、禊ぎ)」を表す卦であり、火水未済とされている卦は「未(ヤドリギ)」を表す卦でないかと考えられます。
十二月二十三日
さて量は満杯の袋の上に計量カップで「はかる」です。重は満杯の袋を手で持ち上げている状態です。童は眼球や瞳のことです。ではなぜ袋で東なのでしょうか。従来の解釈では東は音を使ったにすぎず方角と東という字の間には連関はないとされてきました。
商というのは実在が確認されている支那の最古の王朝です。漢字の元となった甲骨文字を生み出したことで知られてる文明です。商という呼び名は学者の白川静や作家の宮城谷昌光氏のお陰で近頃はだいぶ市民権を得てきましたが、この王朝のは長い間殷と呼ばれていました。前漢後期に書かれた司馬遷の史記がこの王朝を殷と呼んで記述しているからです。
このエントリーはあんま根拠のない妄想なので真に受けないでください、思ったことを書き綴っただけです。
人類という種が生まれて二十万年くらいと言われています。人類が世界中に散らばり、最も繁栄する生物となってからまだ一万年くらいです。
人類は暑さにも寒さにも強く、免疫も非常に発達していて病原菌にも強く、肝臓も発達しているので毒物にも強く、今回の福島の事故によりどうやら放射線にも強いことが分かってきました。
人類は今のところ氷河期の地球に最も適応した生物です。
通常環境に適応して支配的となった生物は短くても数十万年くらいは繁栄し続けます。長いときで一千万年ぐらい繁栄が続くこともあります。そのかわり、もっと強い生物が生まれたり、環境が変化したりすると呆気なく滅びます。
その時が来れば人類だっていくら省エネをしようが自然を守ろうが呆気なく滅びるでしょう。だから地球が人類の生存に適している間は、遠慮なく繁栄を謳歌すればよいと思います。それが自然の摂理です。
けれども今の人類はいずれ人口は頭打ちの情勢ですし、省エネに励んでいます。風力エネルギーや原子力は似非省エネですが、火力発電やエンジンなどの内燃機関の発達がこのまま進めば省エネは実現できるでしょう。
みんな意識の上では温暖化に対処するためにこのようなことをしていますが、人口減少も都市への集中も省エネも全て温暖化ではなくて寒冷化に対処するための方策です。肥満の増加もその範疇に入ると思います。
私は人類はまだ種としての環境への適応能力を失っていないと思っていますので、これは人類が全体として頭はともかく身体では寒冷化が来ると予測して種全体として寒冷化への適応を始めていると考えています。
ただの思いつきなんですが、そう思います。
十二月二十二日
易経勝手読みの原稿を執筆していたら四番目の山水蒙のところで引っかかってしまいました。以前書いた山水蒙の説に不十分な点が多々あったからです。昨日の夜は山水蒙の再検討に暮れました。
蒙を解明するにあたって、童という字の原義を解明する必要性が出てきました。童は蒙を解明する鍵になるからです。童というのは従来の説では、奴隷を意味すると言うことになっています。奴隷は髪を結んでおらず、それが子供を連想させるからだそうです。しかし私が見た範囲では童を奴隷の意味で使った用例はありません。
易経から支那の古代史についていろいろなことが分かってきました。龍がワニだと言うことや辰がカワイルカであることなど、想像上の生物とされていた生き物にもかつてはきちんとした根拠があったことが分かります。
古代人は根拠のない妄想はしません。かならず現実を手がかりにして物事を考え、記述します。
十二月二十一日
ヨウスコウカワイルカは元々20世紀初めの段階で生息数が数千頭と少なかったことに加え、日華事変や国共内戦による混乱があり、そしてその後成立した中華人民共和国が鎖国的な政策をとったため、ほとんど研究が進みませんでした。
そして80年代に中華人民共和国が保護の重要性に気がついたときには既に生息数は数百頭にまで減っていて観察の記録がほとんどありません。人工飼育例は一例しかなく。分かっていることは余りありません。しかし西洋の研究者がまとめた「クジラ・イルカハンドブック」は、その数少ない貴重な観察から支那の研究者が得た知見をのせてくれています。
十二月十八日
白川静の説にばかり依存するのは偏っているので昨日八重洲まで図書券をはたいて甲骨文字と金文の資料そしてイルカとワニの資料を探しに行き、「古代文字辞典、甲骨・金文編」(城南山人編、マール社)と、「甲骨文字小辞典」(落合淳思、筑摩選書)、「クジラ・イルカハンドブック」(S・レザーウッド、R・リーヴス著、吉岡基、光明義文、天羽綾郁訳)を買ってきました。ワニの資料はなかったです。
「古代文字字典」には甲骨文字と金文の表記例が多数掲載されており、「甲骨文字小辞典」には白川静を初めとして甲骨文字の語源の学説が複数載っています。甲骨文字が流行っているせいか便利な本が出るようになりました。
火水未済のことを考えていて思いついたのですが、あのけったいな形態をした古代支那の商(殷)の爵という青銅器、あれは蒸留器だったのではないでしょうか?
昨日八重洲ブックセンターへ行って甲骨文字の資料を入手してきました。
火水未済と水火既済についてはどうもまだ隠された秘密がありそうですので、解明を続けていこうと思います。
済の旁である斉(斎・齊)は武丸さんが指摘するように、現代では「斎場」というようにお祭りをするという意味があります。字統によると、婦人の髪飾りの象形文字で「そろう、等しい」という意味を持つそうです。
前の自民党や現与党の民主党がなかなか衆議院を解散しません。理由は当然負けると分かっているからでしょうが、戦前は今よりももっと頻繁に政権交代が起きていたのにもっと気軽に解散をしていました。与党が負けると分かっていたのに解散とかもありました。
これは思うに、戦前は国会と政府というのが分離していて、国会は政府と戦うために「国民の意見を聞いてみようじゃないか」ということで解散を使うことができたのだと思います。与野党にも政府と戦う同志という連帯感があったのでしょう。
しかし今や政府と国会は一体化していますし、今の日本政府の体たらくは官僚の責任と言うよりは与党の無責任な政策の色合いが濃い。となると間違いは認めたくないから解散はしたくない、となるのでしょう。
これは取りも直さず、国会議員が国民の声を代弁していると言うよりは支配者となってしまっていることを意味すると思います。国会の権能が強くなったのはよいことですが、国会議員が支配者になってしまっては本末転倒です。
私は官僚支配打破よりも国会議員の支配者意識の方をなくす方がよっぽど重要なんじゃないかと思うんですよね。
十二月十五日
「マクロスプラス」を見ました。20年前にあれだけの音楽と映像を表現したのはすごい。00年代にCGの映像表現のテーマになった物は全て出尽くしている。菅野陽子も20年前にあれだけの音楽を作っていたとは驚きでした。
大衆を洗脳してコントロールする、そのために音楽を利用するという悪役側のプロットはマクロスFに受け継がれているんだろうなと思います。余り有名な作品ではないですが、マクロスシリーズの中では欠かせない作品だと思いました。
ただ、一言だけ言わせて欲しい!シャロンと対峙したミュンに私は言いたい!「パソコンを止めるには電源を抜けば良いんだよ!」
易経勝手読みの原稿を書きますので、また数ヶ月更新が滞るかと思います。申し訳ありません。挿絵や写真も入れて読みやすく、面白い本にしたいと思っています。
仕事も忙しいですしね・・・ついでみたいなことを言ったらいけないか(笑)
世界の政治家で最も高給取りとされるシンガポールの首相や閣僚の年間給与が3~5割カットされることが4日決まった。
政権が新たな任期に入った昨年5月にさかのぼって適用される。
リー・シェンロン首相が指名した給与改定委員会が同日答申したもので、首相の年間給与は36%カットの220万シンガポール・ドル(約1億3100万円)に減額される。それでもオバマ米大統領(40万米ドル=約3000万円)の約4倍。
シンガポールでは昨年5月の総選挙で与党・人民行動党(PAP)の得票率が約60%と過去最低を記録した。国民の所得格差が拡大する中、閣僚らの高額給与への反発が強まっていた。
(2012年1月4日19時27分 読売新聞)
経済学者やエコノミストの星の一つであったシンガポールでも経済に綻びがではじめているようです。シンガポールの一人あたりのGDPは確かに日本よりも大きいのですが、私が推測するにその多くが金融で上げた儲けで、国民には分配されていないのではないでしょうか。
シンガポールは欧米や支那や湾岸諸国などに多く投資をしていると思うのですが、どこも経済が余りうまくいっていない地域です。与党の統制が緩んでいるのはこの経済の変調が影響しているのではないかと思います。
インテリの星がまた一つ落ちようとしています。次はどこなんでしょうね?私は北欧ではないかと思っています。北欧の福祉国家を支えているのは貿易黒字です。高福祉高負担の裏には貿易黒字があります。
しかし北欧でも新興国との経済競争激化により生産の海外移転が進んでいます。輸出先の欧州の長期低迷もあります。遠からずして北欧諸国は福祉国家モデルを維持できなくなるはずだと私は推測しています。
富の再配分のために税率を引き上げ、弱者への給付を増やすのは必要だと私は思いますが、北欧が経済成長したのは北海油田や機械類の輸出による物であって、福祉国家のおかげではありません。教育にお金をかけ、女性や高齢者が働きやすい社会を作っていることは輸出産業の振興に役立っていると思いますので、そういう意味では福祉国家は経済を成長させていると思います。弱者への富の再配分は消費水準を底上げしているのも事実です。
しかし北欧の福祉国家は、内需が非常に大きい日本にそのまま持ち込むことはどうやら難しいと言うことに私は最近気がつきました。富の再配分にプラスして、公共事業がないと日本の景気は良くならないでしょう。
十二月十一日
十二支の解明の最終回は一番初めの「子」と一番最後の「亥」です。「子」の元の字はややこしいですが、意味は難しくありません。
以前に考えた風睪中孚(風沢中孚)の解釈はやはり自分でもしっくり来なかったので、もう一度素直な目で原点に帰ってこの卦を解釈し直してみました。易経はナゾナゾ集だという私にとっての原点です。すると、やはりこれもナゾナゾであることが見えてきました。
まず初九に「有它不燕」とあります。こういう語順の場合、有と不は述語で它と燕は目的語になります。したがってこれは、「蛇に有りて、燕にあらず」と読むのが妥当と言うことになります。次の九ニには「鳴鶴在陰」とあります。これも動詞+名詞という語順ですが、鳴くは自動詞なので、この場合は条件文として解釈するべきでしょう。したがって「鶴が鳴けば陰に在り」となります。両方とも主語を隠した文章です。ナゾナゾらしくなってきました。
十二月十i日
未は従来の解釈では木の枝葉が茂る様子、申は稲妻の形とされています。
先に未を解明しましょう。未が木の末端ではないところが味噌で、木の末端を表す文字としては末端を強調した「末」という字があります。「未」の甲骨文字は延びた木の末端の枝、もしくは枝が多い状態を現した形です。
十二月九日
次に丑午酉戌をご説明しましょう。これは生物ではなく、祭祀の道具です。丑は組みひも、午は杵、酉は酒甕、戌は矛です。午酉戌については甲骨文字の一般的な解釈に従っています。
十二月八日
お正月なので十二支に使われている漢字の本来の意味について考えてみたいと思います。十二支の漢字は子丑寅卯辰巳午未申鳥戌亥の十二文字、それぞれ動物が当てられています。ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・いは大和言葉でして、それぞれの動物を漢字で表すと鼠牛虎兎龍蛇午羊猿(猴)鳥犬豚(猪)となります。これらの動物を表す漢字は、詩経や春秋にも出てきますので、春秋戦国時代から変わっていないとされています。
十二支には動物が当てられているけれども漢字は動物とは関係のないことは、すでに漢の時代には明らかになっていました。そのため陰陽五行説や植物の育ち方などからの説明が試みられてきましたが、どれもしっくりきません。甲骨文字と金文の研究によって子卯巳午酉戌については意味が明らかになりましたが、丑寅辰午未申亥については現在でも諸説入り乱れています。
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