易経勝手読み(七七)・・・山水蒙
一月六日
山水蒙は従来は子供(児童)のように無知だけれども素直で、年長者が教え諭すことによって正しく導くことができる状態を表すとされてきました。
これは蒙という漢字が「よく見えない、ぼんやりしている」という意味で使われることが多いためです。古代の漢字の意味を調べるには、似たような形をした漢字を並べて共通する意味を探る方法が一般的です。蒙をつくりに持つ漢字としては曚・朦・濛・幪・蠓・艨などがあります。
曚は無知曚昧の古い字で、頭がぼんやりしていることを表します。朦は朦朧というように月明かりの薄ぼんやりとしていてハッキリと見えない状態のことです。濛は現代語では使われませんが、漢和辞典によると霧雨のことです。幪は幪巾といって刑の軽い罪人にかぶせる目印の頭巾のことです。蠓はヌカカという小さな羽虫。沼地や藪などに多くいて頭の周りにまとわりつきます。艨は艨艟といって軍船を意味します。
すでにこれらの漢字で爻辞のうちいくつかは解明ができます。幪は初九の後半部でしょうし、艨の艨艟は六五の童蒙と関連がありそうです。「ぼんやり」と「艨艟」の関連が見えにくいでしょうが、軍船というのは防禦のために亀の甲羅のような屋根をかぶせていて戦車のように小さなのぞき窓しかなくて視界が小さいので蒙がついているのです。
さて蒙の甲骨文字を見てみましょう。側身(横を向いた人)に二本の角が生えています。甲骨文字の側身は神官に関連する文字に使われることが多いです。漢和辞典や字統によると蒙は鬼のお面をかぶった人であるらしいです。お面をかぶっているので「よく見えない」となります。また艨艟のように「甲冑を着けて防禦する」という意味になります。
それでは爻辞を説明していきましょう。この卦は本来の繋がりと爻辞の分け方に齟齬が生じています。
初九の「蒙を発する」ですが、発とは矢を放つことです。鬼のお面をかぶった人に矢を放つのですからこれは節分の豆まきです。古い言葉で呼ぶと追儺(ついな)です。一年の終わりに鬼を追い払う行事は世界中で見られます。追儺は古代中国の年中行事を日本の朝廷が受け入れた物です。サンタクロースも元々はゲルマンやケルトの精霊で、一年の悪いことを掃除してくれる年神様でした。インディアンにも悪い精霊を豆で追い払うという神話があります。矢には悪霊を祓う力があるとされました。日本の神社の破魔矢ですね。発蒙とは鬼やらいのことでしょう。
初六の後半部は刑人つまり罪人に使う、さらに桎梏(手かせ足かせ)を説く(解く)ですので、幪巾のことでしょう。昔の中国では刑の軽く逃げる心配がない罪人には頭巾だけかぶせて懲役労働をさせていたそうです。罪人の自尊心を尊重し更正を促進させるやり方ですね。
九二〜六三の「蒙を包む、婦を納れる、子は家を克ぐ、女を取るを用いる勿かれ」ですが、ワープロには入っていない文字なのですが、蒙に食偏を付けて「食器に大盛りの食事」を表す漢字があります。これは椀飯振る舞いの「椀飯(おうばん)」のことです。
日本の貴族や武士は大事なお客様をおもてなしするときに、家の主人が大盛りにしたご飯を給仕しました。鎌倉幕府のお正月には椀飯という行事があり、将軍に大盛りのご飯を差し上げる順序が御家人の序列を表していました。椀飯は成人式などでも振る舞われました。椀飯には新しい仲間を迎え入れるという意味合いがあるそうです。納は古代中国の時代から結納の意味で使われています。ですから「婦を納れる」もおそらく結納。克は重責を担うという意味を持っていますので、日本の椀飯同様に成人式のことではないでしょうか。「女を取るに用いる勿かれ」は意味が良く分かりませんでした。
六三の後半の「金夫の見る、躬に有らず」ですが躬とは背骨が伸びている状態のことです。背骨は横から見ると弓(S字)になっているからです。「躬ではない」だから腰が曲がっている(杖をついている)という意味でしょう。金は楽器という意味を持っています。古代中国では盲人は音楽師になりました。日本でも平家物語を歌った琵琶法師は盲人でした。盲人は杖をついています。蒙には「よく見えない」という意味がありますので、これは盲人を表していると考えられます。
六五〜上九の「困蒙、童蒙、撃蒙」は軍船もしくは攻城槌のことでしょう。困は梱包というように箱に閉じ込めることです。童は瞳のことです。子供(児童)は瞳が大きいからです。箱に瞳(のぞき窓)をあけた兵器のことでしょう。軍船なら先端に鋭い棒をつけて敵の船を沈めます。攻城槌なら箱に丸太をかぶせて敵の城門を打ち破るのに使います。
上九の「寇をなすに利あらず、寇を禦に利あり」は甲冑のことでしょう。
最後になぜ山と水で蒙なのかですが、軍船を表しているのではないでしょうか。水の上に木でできた城が浮かんでいるので山水です。
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一ファンとしての意見ですが、
漢字の元の意味にこだわりすぎて
最近の解釈はかえって複雑になりすぎて
イマイチになっている気がします。。。
とくに白川静は無視したほうがいい気がします。
雷地予や火山旅でみせた、あの天才ぶり。
シンプルに漢字を読み直してみると、
すっきり意味が通ってしまうという面白さ。
あれがぺっちゃんさんの凄味に思います。
山水蒙は異民族というほうがすっきりします。
素直に「蒙古」の「蒙」だと思います。
投稿: 武丸 | 2012年1月29日 (日) 01時02分
武丸さんおはようございます。
なるほど、そういう面白味も大事にしないといけないですね。
蒙が東夷系の異民族ではないかという説もまだ捨ててはいません。お面とか戦船とか椀飯とかは、支那よりもむしろ古代日本を思わせる風習ですからね。
論文として理論をしっかりとさせようとするとどうしても漢字のつくりから攻める方がよいのですが、そうすると読んでいて退屈でしょうか。
それともそういうことはすっ飛ばして、この卦はそういうもんだとして結論だけ提示する方がわかりやすいですかね?
そこは私も迷っているところです。
投稿: べっちゃん | 2012年1月29日 (日) 11時04分
昨日今日と風邪でぶっ倒れていました。
いま山風蠱まで進みました。
感覚としては、これ以降はこれまでここで発表してきた内容を基本的に変更することはなさそうです。
このように天火同人あたりからは武丸さんがおっしゃるところの切れのある解釈が書けるのですが、天地否あたりまでは、八卦と爻辞の間にほとんど連関がなくて、どうしても難しい解釈になってしまうんですよね。
多分天地否あたりまでは、殷にまでさかのぼるようなかなり古い時代に書かれた文章なんでしょう。
天火同人から先は周や春秋の知識で解釈できる内容が多いので、比較的新しくて、八卦とも繋がりが深いのではないでしょうか。
投稿: べっちゃん | 2012年1月29日 (日) 19時48分
ぺっちゃんさんのセンスだったら、
論文っぽくないほうがいい気がしますけどね。
シンプルであればあるほど、読者の衝撃がでかい気がします。
他の易経解釈の本は、偉そうなうえに、こじつけがましい解釈ばかり。
儒教=えらい、易経=えらい、安岡正篤=えらい
という思い込みのもとに無理やりな解釈がされている気がします。
だからこそ、ぺっちゃんさんの雷地予や火山旅の解釈は革命的。
シンプルに漢字を読みなおしているのに、意味が通る。思い込みがないからこその読み方です。
安岡正篤がただの細木数子の旦那にしかみえなくなります。
火沢ケイとか、かなり強引な解釈ですが、あれくらい自由な発想なのは楽しいと思います。正しいかどうかはともかく。
漢字の成り立ち系の話は話を複雑化するばかりで、ぺっちゃんさんの大胆さを損なう感じがします。
たとえば易経の「孚」は明らかに捕虜じゃないと思いますよ。
あれを捕虜としたらあまりに捕虜の話が易経のなかに多すぎます。「孚」はなんらかの精神状態をあらわしているんだと思います。トランス状態になって気持ちよくなっているとか。
投稿: 武丸 | 2012年2月 1日 (水) 00時25分
武丸さんこんばんは、過分なお言葉ありがとうございます。
とはいえ・・・大胆に解釈できればわかった気にはなるのですが、易以外の同じ時期に成立した漢文(金文資料とか春秋とか菅子とか)と対比すると間違いと言わざるを得ない部分というのもあるので、学説としての正確さを優先させるか、読み物としての面白さを優先させるか、難しいのです。
易経が占いの書となる以前の原易経を復元した本(学説風味)を作った上で、もう一つその次の段階の初期占い易経を解説した本を作りますかね。
私の原易経はおそらく易を占いの本として読んできた人には受け入れられないと思うんですよね。
でも、この原易経を元にして、私なりの占い易経を作れば、これはこれで面白いものができると思います。
たとえば、天地否は伝統的解釈では不通の意味になりますが、私の易経では養蚕ですので、富や変身の象徴となります。
けれども蚕というのは絹を取る時に殺されてしまうので、収穫を横取りされて、自分は踏み台とされてしまうと読むこともできます。
原易経はもしかしたら武丸さんにとっては期待はずれの作品となってしまうかもしれませんが、新しい占いのテキストを望む人のためにまた別の本を作ることも考えています。
孚が捕虜であるのは、白川静を持ち出すまでもなく間違いありません。これは原易経が商にまでさかのぼる書である証拠だと思います。商は大量の捕虜を人身御供に使っていましたからね。だからそこらじゅうに捕虜の記録が出てくるのはむしろ当然です。
それと、モンゴルが支那の歴史書に登場するのは唐以降です。紀元前には影も形もありません。蒙がモンゴルというのは歴史学的にはあり得ない解釈です。
山水蒙と異民族が関連あるとすれば、それはモンゴルではなく、山東半島の付け根付近に住んでいたとされる東夷の霊山の蒙山です。山水蒙に描かれている風俗は、古代の日本を思わせる物があるので、蒙が東夷の風習を表している可能性はあります。
投稿: べっちゃん | 2012年2月 3日 (金) 00時47分