十二支の秘密(三)・・・未申
十二月十i日
未は従来の解釈では木の枝葉が茂る様子、申は稲妻の形とされています。
先に未を解明しましょう。未が木の末端ではないところが味噌で、木の末端を表す文字としては末端を強調した「末」という字があります。「未」の甲骨文字は延びた木の末端の枝、もしくは枝が多い状態を現した形です。
従来の解釈では、木の先のほうに、育ちきっていない幼い枝葉が伸びている状態を「未」で表現し、それが「いまだ~ではない」という意味に変化したとされてきました。
しかし私が考えるに十二支の字は全て祭祀に関連する何らかの神聖な事物であるので、末端の枝葉というだけでは、意味が弱い気がします。私が推測するに、これは古代の支那でも神聖視されていた、木の末端に寄生する植物である「ヤドリギ」ではないかと考えられます。ヤドリギとその生態
「未」を旁に持つ字には味、昧があります。未を木の若芽とする解釈では未熟な状態を表す無知蒙昧の「昧」は理解できますが、味は理解できません。味は食物を口に含んだ時に得られる感覚です。 昧にも「もやもやしている、はっきりしない」という意味があります。これも口に含まれた食べ物のもやもやした状態と言えないこともありません。両方とももやもやした状態という意味を持っています。
「未」が持つ「もやもやした」という意味は「未」が「ヤドリギ」であることの決め手となります。ヤドリギの種(胚)はねっとりとした液体にくるまれているからです。ヤドリギの種
私が考察するに、「未」とは木の上に寄生する不思議な植物「ヤドリギ」のことであり、ヤドリギの種のように「ねっとりとした液体に包まれた」状態を表す字です。そこから、口に含まれて唾と一緒になった食物の状態を表す「味」という字が出てきて、もやもやしたと言う意味の「昧」が導き出されたのではないかと思います。リンク先にもあるようにヤドリギは生命力の強い植物でありそれもヤドリギが神聖な植物とされた理由の一つでしょう。
次に「申」です。申を旁に持つ漢字としては神・伸があります。申の甲骨文字は雷紋(ラーメン鉢の模様)のような形をしています。
雷に神威を感じるのは万国に共通する感情ですので、雷を表す「申」から「神」という字が導き出されたと解釈されてきましたが、これでは「伸」という字は解明されません。
私の推測では、雷の前にもう一段階あると思います。「申」の甲骨文字は雷と言うよりはむしろ「つる草」のように見えます。詩経や易経には神聖さを表現する句として「葛藟(塁)」があります。つる草のことで、古代の支那人は巨木にツタが絡まっている状態を神聖視したらしいのです。
つる草から「伸」という字はすぐに連想できます。それにつる草の形は稲妻に似ています。そこから「神」が導き出されます。
以上の考察から、未と申は神聖な植物であるヤドリギとツタではないかと考えられます。
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