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2012年4月28日 (土)

詩経勝手読み(五)・・・杕杜

閏三月八日

 杕杜は征夫(防人)の帰りを待つ妻の悲しみと兵役を終えて帰ってきた喜びを歌う詩とされています。しかしそれだけでは詩に何度も出てくる有杕之杜との関連が分かりません。

 従来の詩経解釈では、意味が不明の語句があるとすぐにこれは「興」である「比」であるという分かったような分からないような理屈で逃げていました。興や比というのは和歌で言う枕詞や縁語のような物で、ある言葉を導き出すための、常套句ですが、果たしてそのような物が本当に古代の中国にあったのでしょうか。

 詩経勝手読みでは、詩経を読むときの逃げ道である興と比を封じて理詰めで分析をしていきます。

 有杕之杜は従来の解釈では一本立ちのリンゴの木と読みます。杕は一本立ちという意味で、杜は森・リンゴ・妨げという意味の漢字だからです。けれどもこの解釈は漢文の文法に反しています。

 漢語の「之」は所有格を表す後置詞です。もしも杕之杜の之を後置詞とみなす場合は杕は主語でなければなりません。しかし「一本立ちのリンゴ」は明らかに杕を連体修飾語として扱っており、主語は杜です。日本語では何となく誤魔化されてしまいますが、杕之杜を「一本立ちのリンゴ」と解釈するのは漢語の文法に反しています。

 とはいえ、これは中国の宋学者たちが言っていることですので、彼等もこの間違いに気がつきながら、ある事情から正しい意味を口にすることができなくて、古代は文法が未熟だったのだろうと誤魔化してきたのが実態です。

 之のもう一つの用法は関係代名詞です。「これ」です。杕之杜の之は「これ」と読むべきです。

 また有は通常目的語の直前に置かれます。有CDEという文章があった場合、CDE有りと読むことはあまりありません。「C有りDE」と読むのが普通です。特に詩のような四文字で終わる短い文章でこういう使い方をするのは希有です。

 有杕之杜を素直に文法に従って読むと「杕あり、これ杜なり」となります。しかし杕は一本立ちの木であり、杜は森・リンゴ・妨げです。杜をリンゴと解釈するのは有睆其實がリンゴを連想させるからですが、一本立ちのリンゴと言いたい場合は之を挟まずに杕杜と書くのが普通です。そこで従来の解釈では、音を合わせるためとか、文字数を合わせるためという理屈で之をわざわざ挟んだのだとしてきましたが、本当にそうでしょうか?

 五経には修辞法や冗長法という概念はありません。五経の文章には全く無駄がなく、全ての文字に意味があり、言葉の最大限の力を使って読む人にメッセージを伝えようとしています。

 之Bという句が有った場合、Bは状態を表す語であるのが普通です。リンゴは名詞です。状態ではありません。とすると、杜の意味として最も適しているのは「妨げ」と言うことになります。

 有杕之杜は「一本立ちの木がある、それが妨げになっている」と読むべきです。つまりこれは、無用の戦役で国民を疲弊させ、自らは贅沢を続ける周王室を強烈に批判した詩であるのです。

 有杕之杜を理詰めで追求するとこのような解釈になりますので、私なんかよりもずっと博識で、更にロジックを重視する宋学者がこのことに気がつかなかったはずはありません。しかし時の政権批判になりかねないのと、西周を神格化する儒教の原理に反するので、この解釈は封印されてきたのでしょう。

有杕之杜 一本立ちの木が邪魔をしている
有睆其實 その木だけは実が丸々と太っている
王事靡盬 塩湖のほとりでの戦役
繼嗣我日 いつまでたっても終わらない
日月陽止 強烈な日差し
女心傷止 男を送り出す女たちの心は痛む
征夫遑止 兵士たちは次々と戦場へ送られる

有杕之杜 一本立ちの木が邪魔をしている
其葉萋萋 その木だけは葉が青々と茂っている
王事靡盬 塩湖のほとりでの戦役
我心傷悲 私の心は傷み悲しむ
卉木萋止 働き手が駆り出されて畑は草ボウボウ
女心悲止 女たちの心は悲しむ
征夫歸止 夫よ早く帰ってきてください

陟彼北山 北方の山地へ行き
言采其杞 材木を取れと言う(砦を築けと言う)
王事靡盬 塩湖のほとりでの戦役
憂我父母 私の両親も心配している
檀車幝幝 箱の車がやってきた
四牡痯痯 四頭の馬が棺を引いている
征夫不遠 夫は近くにいる

匪載匪來 戦車に乗ったのではなく、歩いてきたのでもない
憂心孔疚 不吉な予感に心は病む
期逝不至 待っていたけれど死んでしまった、生きて帰ってこれなかった
而多爲恤 私は血の涙を流す
卜筮偕止 占いは当たってしまった
會言近止 もうすぐ会えるという
征夫邇止 夫は近くまで来ているという

 この詩は、儒教の「西周は理想的な時代であった」というドグマが邪魔をして正しい解釈ができなかった詩ですが、周王朝に対する強烈な批判がテーマであるとわかればあとはすらすらと読むことが可能です。

 通常第四聯は夫の帰りを喜ぶパートとされていますが、憂心孔疚、期逝不至、而多爲恤は最大級の悲しみと死を意味する語が並んでいます。

 第三聯の痯痯はこの詩くらいにしか用例がない漢字です。官と言えばこの場合は棺(柩)を連想するのがごく自然な成り行きです。

 この詩は夫が死体になって帰ってきたのを嘆く悲しい詩です。

 後半期の周王朝は余り良い政治をしていなかったようです。春秋では周王朝は内紛ばかりしており、さらに諸侯の相続に介入しては戦乱の種をまく録でもない王朝でした。孔子は数百年前の西周を理想化することで、春秋時代の乱れた世を批判しようとしたのですが、実際は西周も乱れていたのでしょう。

 詩経の大雅は確かに西周の宮廷で歌われた公式の歌である可能性が高いのですが、小雅はこのように赤裸々な体制批判が含まれており、公式の歌とは思えません。また詩経を編集したのが西周王朝、もしくは東周王朝であるという想定も考え直す必要があるでしょう。

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