詩経勝手読み(一)・・・四牡
三月二十五日
易経の分析では普通の漢和辞典が大いに力を発揮しました。どうやら西周や商の時代と現在の漢字の間にはあまり意味に差はなく、別に摩訶不思議な呪術体系を想定しなくても、三千年前の古代中国世界を解明することは可能であるようです。
それが分からなくなっているのは「儒教の聖典にナゾナゾのような不真面目なことが書いてあるはずがない」とか「まさか龍が実在したはずがない」とか「古代中国とメソポタミアの間に交流があったはずがない」という思い込みが邪魔しているからです。
そういった思い込みをなくせば、学者でなくても漢和辞典一本で易経・詩経・書経・礼記といったこれまで難解とされてきた聖典を理解することは可能です。
四牡騑騑 四頭立ての馬車が進む
周道倭遅 周の道をはるばるゆっくりと
豈不懐帰 ああ早く帰りたい
王事靡盬 砂漠の塩湖の畔で防人につく
我心傷悲 故郷を思って悲しむ
四牡騑騑 四頭立ての馬車が進む
嘽嘽駱馬 ラクダは荷物の重さにあえぐ
豈不懐帰 ああ早く帰りたい
王事靡盬 砂漠の塩湖の畔で防人につく
不遑啓処 軍の先鋒はだらだらと進む
翩翩者鵻 ウズラの方がよっぽど早く飛ぶ
載飛載下 よたよたと飛び落っこちる
集于苞栩 日差しを避けようと
兵士はナツメヤシの木陰にうずくまる
王事靡盬 砂漠の塩湖の畔で防人につく
不遑將父 老いた父の手を取って歩くかのようにのろい
翩翩者鵻 ウズラの方がよっぽど早く飛ぶ
載飛載下 よたよたと飛び落っこちる
集于苞杞 日差しを避けようと兵士はヤナギの下にうずくまる
王事靡盬 砂漠の塩湖の畔で防人につく
不遑將母 老いた母の手を取って歩くかのようにのろい
駕彼四駱 これがラクダに乗るキャラバンであれば
載驟駸駸 スイスイ荷物を運べるだろうに
豈不懷歸 ああ早く帰りたい
是用作歌 だからこの歌を作った
將母來諗 だれかお母さんを連れて来てくれ、
そうすればこのつらさを打ち明けられるのに
この歌は周王の家臣が、整備された王の道をひっきりなしに往来して、忙しく働くことを意味する詩とされています。しかし遅は文字通り遅いことですし、遑は急ぐが原義ですので、不遑は急がないとなります。
したがってこの詩は素直に読めば、やる気のない兵士が嫌々防衛任務に就いていることを歌った詩となります。西周時代には王の威令は行き届いていたという先入観がこの詩の理解を妨げています。
駱は素直に駱駝と解するべきであり、盬は塩湖ですから、これは西域の砂漠地帯で防衛任務に就いた周の兵隊が故郷を懐かしんで歌った歌です。
これもまた、周の時代に駱駝がいたはずがない、周がタクラマカン砂漠に進出していたはずがないという先入観が邪魔してて理解を妨げています。
この詩は、土地の事情を無視して馬を砂漠の輸送に用いて失敗した遠征を批判する詩ではないかと思います。あるいは馬は戦車そして戦争を連想させますが、駱駝は隊商(キャラバン)を連想させますので、戦車を送って戦争なんかするのは止めて、駱駝を往き来させて貿易をしましょうという主張をこめた風諫の詩であるかもしれません。
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