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2012年4月25日 (水)

詩経勝手読み(四)・・・出車

閏三月五日

 出車は南仲という武将が異民族の玁狁に勝利したことを讃える歌とされています。私もこの解釈に基本的に反対ではありませんが、第五聯と第六聯の解釈に異論があります。そして、この部分をどう解釈するかによって、第一聯から第四聯までの内容も若干変わってきます。

 詩経を理解するのに特別な知識は必要ありません。詩経の詩は、丹念に言葉の前後関係を追い、修飾被修飾の関係を整理し、文字の古い意味を調べれば、理解できるようにできています。

我出我車 私は戦車を出して出陣した
于彼牧矣 邑の外の広場に集合させられた
自天子所 天子様が命じられた
謂我來矣 私に出陣せよと
召彼僕夫 邑の外に住む農夫を呼び出し 
謂之載矣 戦車に乗せろとおっしゃる
王事多難 戦(いくさ)は辛い
維其棘矣 牢獄につながれるのと変わらない

我出我車 私は戦車を出して出陣した
于彼郊矣 邑の外に
設此旐矣 我が軍の先鋒は旗を立て
建彼旄矣 敵は毛の飾りを掲げている
彼旟旐斯 あの旗は葬式行列の旗だ
胡不旆旆 我が方の戦意は上がらず、旗は風に靡かない
憂心悄悄 心は憂え落ち込む
僕夫況瘁 戦に慣れぬ兵たちは疲れ切っている

王命南仲 王は南仲将軍に命じ
往城于方 辺境に砦を築かせた
出車彭彭 車は盛大に出陣した
旂旐央央 旗印も意気揚々と中軍にひらめく
天子命我 天子様は私に命じて
城彼朔方 北方の地に砦を築かせた
赫赫南仲 偉大なる南仲商軍は
嚴允于襄 威厳を持ち我らを閲兵された

昔我往矣 私が出陣した頃は
黍稷方華 娘たちが髪に花飾りをしてくれた
今我來思 長い戦陣に疲れた今は
雨雪載塗 白髪が交じり雪を乗せたようだ
王事多難 戦は辛い
不遑啓居 屯田の開拓も遅々として進まない
豈不懷歸 ああ我が家へ帰りたい
畏此簡書 王の命令書さえなければ

要要草蟲 イナゴ(敵兵)が草むらに伏している
翟翟阜螽 バッタ(異民族)が草むらに潜んでいる
未見君子 敵がどこに隠れているのか分からない
憂心忡忡 恐ろしくて気の休まる暇もない
旣見君子 しかしようやく優秀な指揮官を迎えられて
我心則降 我らの心は安堵した
赫赫南仲 偉大なる南仲将軍は
薄伐西戎 草原で異民族に勝利した

春日遲遲 春の日はうららかに
卉木萋萋 草木は茂る
倉庚喈喈 倉に脱穀の杵をつく音が響く
采蘩祁祁 娘たちはおしゃべりしながらヨモギを摘む
執訊獲醜 南仲将軍は敵の戦士と会談し
薄言還歸 草原で不可侵条約を結んで敵を解放した
赫赫南仲 偉大なる南仲将軍は
嚴允于夷 厳格でありながら敵を許す優しさを兼ね備えておられた

 出車は南仲という武将が異民族の玁狁に勝利したことを讃える歌とされています。私もこの解釈に基本的に反対ではありませんが、第五聯と第六聯の解釈に異論があります。そして、この部分をどう解釈するかによって、第一聯から第四聯までの内容も若干変わってきます。

 第一聯から第四聯までが遠方での苦しい戦役を歌っていることは何となく分かる人も多いと思います。しかし第五聯で不意にイナゴとバッタが登場し、さらに恋愛詩の常套句である「未見君子、憂心忡忡、旣見君子、我心則降」がはさまれており古来この詩の理解の妨げとなっていました。

 同じく第六聯の前半も詩経国風の豳風からの引用で、春のうららかな日を表現する常套句です。第五聯と第六聯の唐突な引用がどうしても殺伐とした外征にそぐわず、民謡が混じり込んだのだろうとか苦しい解釈がされてきました。

 しかしこれは実はこの歌の核心なのです。詩の重要な部分は最後に含まれるのですから当たり前の話ですが。

 漢和辞典を引けば分かりますが、要には伏兵という意味があります。そして翟には異民族という意味があります。第五聯は、草原に隠れて神出鬼没で、周軍を悩ませた蛮族のゲリラ戦を、イナゴとバッタに仮託しているのです。

 「未見君子、憂心忡忡」は、通常思い人に会えないことを嘆く句ですが、この場合は神出鬼没の蛮族に悩まされて気の休む暇もないことを言っています。

 「旣見君子、我心則降」は、優秀な指揮官である南仲を迎えて辺境軍の士気が上がったことを表しています。

 「薄伐西戎」の「薄」は「しばらく」とか「薄伐(はくばつ)」とか読まれることが多いのですが、薄には「草むら」という意味があります。これも漢和辞典に載っています。前半のイナゴとバッタと対応しているのです。したがってこれは「草むらで西戎(西の蛮族)に勝った」と解釈するべきです。

 第六聯の春の引用は、南仲将軍の武人らしい優しさを表現しています。采薇で指摘したように、玁狁は厳允であり、異民族の名前ではなく、「厳に允する」と解釈するべきです。西周時代にはまだ会意文字が発達しておらず、偏なしの旁だけで様々なことを表現していました。厳に獣偏をつけるような複雑な文字は西周時代にはまだなかったはずなのです。

 允には「まこと、のぼる、ゆるす」といった意味があります。この場合は「許す」と読むべきで、南仲将軍が勝利をおさめた蛮族を徹底的に滅ぼしたり、捕虜を虐待するようなことはせず、蛮族との間に不可侵条約を結び、蛮族の捕虜を解放したことを表しています。

 周軍が当時かなり疲弊していたことは四牡、皇皇之華、そして出車から明らかですので、追撃戦ができなかったのでしょう。そのかわり蛮族に憐れみをかけることによって、平和をもたらしたのでしょう。出車は南仲将軍の勝利をただ単に喜ぶ無邪気な歌ではなく、周と蛮族との間に平和がもたらされたことを讃えた奥の深い歌だったのです。

 そして南仲将軍はただ単に戦争が強いだけの猪武者ではなく、味方の兵士をいたわり、敵の兵士も人道的に扱い、平和をもたらすために必要なことは何であるかをわきまえていた真の武人だったのです。漢詩で個人名が出てくることは珍しいのですが、南仲将軍はその栄誉に値する人物だったと言えます。
 

 付け足しになりますが、第一聯から第四聯の解釈も書いておきましょう。

 第一聯は指示語の此と彼の関係を丹念に整理すれば理解ができます。我この歌の読み手、即ち南仲将軍の下で戦った戦士と推測されますが、は「彼牧」という場所に車を出します。牧というのは邑の周辺に広がっていた牧草地で、食用の牛や軍用の馬が飼育されていました。我はそこに戦車を出すのですから、邑の仲の人間、即ち貴族もしくは士です。

 そして天子は「彼僕夫」に「戦車に乗れ」と命じたとあります。詩にわざわざ書いてあると言うことは、彼僕夫は普段は戦車に乗らないような人だろうと推測できます。この詩では彼は邑の外を指していますので、僕夫は農夫でしょう。農民兵が戦争の主力となったのは戦国時代になってからで、西周時代はまだ貴族の戦車が主力でした。

 けれども、長く続いた戦役によって正規兵が底を突いて、普段なら動員しない農夫までかり出さねばならなかったことを第一聯は嘆いているのです。

 第二聯は戦意が最低の遠征軍の様子。旐は霊柩車を先導する旗です。自らの軍を葬式行列と表現しているわけです。よっぽど戦況は思わしくなかったのでしょう。無理矢理兵士に仕立てられた農夫も、慣れない戦陣に疲れ果てています。

 第三聯でようやく南仲将軍が登場します。詩の読み手が朔方(北方)で嫌々城を築き、どうやら遠隔地での長引く戦乱で食糧輸送がままならず、食糧を自給するために、屯田を作っていたらしいのですが、戦争をしているのだか生活をしているのだか分からなくなってきたところに、厳格な将軍が来て、城壁から我々を見下ろしていると歌っています。

 第四聯は長い退陣を嘆く歌です。雨雪は采薇と同様に白髪頭を表現しています。長い苦しい戦乱で、兵士が年老いて疲弊していることを歌っています。「畏此簡書」は「王様の命令書が怖い」という意味ですが、正式な戦士である読み手ももう逃げ出したい気持ちでいっぱいだったことの裏返しです。

 こうしてみると、出車にはかなり自由な気持ち、政権の中枢への痛烈な批判が込められていることが分かります。西周時代には王の威令が行き届いていた、最高権力者の王への批判などはなかった、というような儒学者の妄想にとらわれていては、詩経は理解できないでしょう。

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