詩経勝手読み(十一)・・・祈父
閏三月二十九日
祈父は君側の奸を糾弾する詩とされてきました。それは「予」を「われ」と読み、「胡」を「なんぞ〜ざる」と読んだためです。
しかし金文では一人称は予ではなく「朕」です。朕は後に君主の一人称になりましたが、西周の時代には一般人も使っていました。
また「なんぞ〜ざる」も春秋時代に出てきた新しい語法です。詩経や易経では、猶「なほ〜のごとし」、将「まさに〜せんとす」といった複雑な表現は一般的ではありません。予や胡ももっと単純な意味で使用されていると考えるべきです。
予の単純な意味といえば「あたえる」です。そして胡は「胡人(西方の異民族)」です。祈父の詩は予をあたえると読み、胡を胡人として解釈した方が、無理なく理解が可能です。
なお祈父は「父に祈る」と読めそうですが、写本によって畿父や頎甫と書かれているので、個人名であることはほぼ確実です。
祈父 祈父は
予王之爪牙 王に爪や牙をあたえる
胡轉予于恤 あちこちで胡人に憂いをあたえる
靡所止居 湖の畔に住んでいる
祈父 祈父は
予王之爪士 王の爪というべき侍
胡轉予于恤 あちこちで胡人には憂いをあたえる
靡所底止 湖の畔に駐屯する
祈父 祈父は
亶不聰 ただし賢くない
胡轉予于恤 あちこちで胡人には憂いをあたえるが
有母之尸饔 母に朝ご飯を作ってあげる優しいお方
「予王之爪牙」は「王に爪牙をあたえる」と読みました。すなわち祈父は王の爪や牙となって、西方で転戦して、胡人に「恤(うれい、心配事)」をあたえる勇士であるとこの詩は歌っています。
第三聯の「亶不聰」の「亶」は漢和辞典によると「ただし」という意味があります。「不聰」は文字通り「聡ならず(かしこくない)」と読むべきで、つまり祈父は戦争は強いけれどちょっと頭が弱いといっています。
そして最後の「有母之尸饔」は素直に読めば「母有りて饔(あさげ)を尸る(つかさどる)」となり、「お母さんに朝ご飯を作ってあげる」という意味になります。勇猛果敢で、ちょっと抜けたところのある祈父は、老いた母に孝養を尽くす優しい侍だったのです。
気は優しくて力持ちそんな愛すべき勇士を歌った詩を、君側の奸が有能な武士が才能を発揮することを妨げる詩であるだなんて、何でそんなにへその曲がった解釈を従来の学者はし続けてきたのでしょうか。おそらく自分自身の怨みや妬みなどの鬱屈した感情が、学問にものりうつってしまったのでしょう。
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