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2012年5月 2日 (水)

詩経勝手読み(六)・・・六月

閏三月十二日

 六月は王が北方の異民族玁狁征伐に出掛ける詩とされてきました。中国人の遊牧民憎しの感情は詩経解釈の隅々に及んでおり、彼等の眼を曇らせています。

 この詩が詠まれた西周時代には厳允に犭がついた玁狁などという複雑な文字はなく、詩経の他の詩でも、春秋でも、金文でも遊牧民は戎・狐・鬼方などと呼称されています。

 厳は厳かであることを、允は慈悲深いことを表す文字ですから、厳允は権力者を褒め称える語であったと考える方が自然です。

 詩経から西周がモンゴル平原やタクラマカン砂漠で何者かと交戦していたのは事実でしょうが、それと玁狁(厳允)という語は分離して考えるべきです。

六月棲棲 六月は大忙し
戎車既飭 西方の馬車の準備をして
四牡騤騤 四頭の馬を走らせる
載是常服 儀礼服に着替える暇もない
厳允孔熾 威厳有り、慈悲深く、度量が広く、意気盛んなる
我是用急 王のために私は馬車を急いで走らせる
王于出征 王が領内の巡回に出掛ける
以匡王國 王国に正義を行うために

比物四驪 競うように走る四頭の馬
閑之維則 これを制御するのは手綱
維此六月 六月には巡回裁判を開く
既成我服 私の領地は異常ありません
我服既成 私の領地は平定しました
于三十里 三十里四方まで
王于出征 王が巡回に出掛ける
以佐天子 領主たちよ天子様をお助けせよ

四牡脩廣 四頭の馬(王の側近)は優れており広い眼を持っている
其大有顒 いずれも大人物でありながら慎み深い
薄伐厳允 罪あるを容赦なく罰し、罪なきは厳かに許す
以奏膚公 事情を委細漏らさず公平に王に報告する
有嚴有翼 厳かであり、翼のような明智をそなえている
共武之服 武威盛んでありながら王に従順
共武之服 武威盛んでありながら王に従順
以定王國 王国を支える

厳允匪茹 許すと言っても甘いのではない
整居焦穫 居住まいを正し容疑者を震え上がらせる
侵鎬及方 首都の鎬京を出発して地方を回る
至于涇陽 河の南側の涇陽にまで馬車を走らせる 
織文鳥章 模様の入った旗と鳥の紋章が取り囲み
白旆央央 そして中央の王の馬車は純白の旗を掲げる
元戎十乘 帰服したばかりの西方の民族の馬車十両が
以先啟行 一行を先導する

戎車既安 西方の馬車は今や味方
如輊如軒 時に重々しく、時に軽やかに進む
四牡既佶 側近たちは頼りがいがあり
既佶且閑 頼りがいがありなおかつ公正
薄伐厳允 罪あるを罰し、罪なきを許す
至于大原 大原にまで至る
文武吉甫 文武に優れた宰相吉甫
萬邦為憲 全ての国が模範となすべきお方

吉甫燕喜 吉甫様は酒を好まれる(殷人?)
既多受祉 王から数多くの褒美を頂戴している
來歸自鎬 鎬京から故郷へ帰られると
我行永久 お勤めは長く永遠に続くかのようだったと漏らし
飲御諸友 お友達と酒を楽しまれる
炰龞膾鯉 スッポンと鯉のなます料理に舌鼓を打つ
侯誰在矣 お酒の相手をなさるのは
張仲孝友 誠実なる友である張仲様

 六月は周王の巡回裁判を歌った詩です。昔は交通手段も通信手段も発達していませんでしたので、支配者は領内を回って、税金を徴収し、裁判を開き、施政に関する指示を与えることで領地を維持していました。

 春は麦狩りと田植えの季節で、秋は収穫の季節、冬は厳しい寒さですので、比較的暇な夏に周王は領内を回ったのでしょう。


 第二聯の「服」は西周時代の地方自治区分で、首都の外に五百里(250km)ごとに設けた区画です。そこに鎬京から任命された知事がいて領地を治めていたのでしょう。王はこの服を順々に回って、知事の仕事ぶりを監視し、知事の手に負えない事柄(一揆や周辺地域との紛争など)を処理したのでしょう。

 250km離れた区域(東京〜名古屋間)を巡に回るのは少し広すぎるようにも感じられますが、これは我々の先入観で、周はそれだけ広い直轄地を持っていたと考えるべきでしょう。あるいはこの巡回というのは何年もかけて行ったのかもしれません。首都が毎年移動するのは、古代では珍しいことではありませんでした。

 第二聯の「維」は易経の天水訟や雷水解にも出てきた文字で、裁判の法廷を表します。当時の裁判は王の庭や、六月のように巡回先で開かれた、いわば青空裁判です。天の神にも領民にも隠し立てしないという意味がありました。外ですので、縄を張って被告と原告を分けます。

 王は三十里を回ると言っています。周代の里は500mですので、三十里は15kmにすぎません。これは一つの邑が管轄する地域に当たりますので、王は服の中にある邑をそれぞれ訪問し、領内をくまなく回ったのでしょう。

 第三聯以降は王の側近を褒め称えています。広大な領土の支配を王一人で行うのは困難ですから、実務は王から権限を委任された大臣(四牡)が見たのでしょう。

 第四聯には王の行列の描写があります。織文とは紋様を刺繍した布(旗?)で、鳥章とは鳥を描いた旗もしくは鳥の像です。白旆とは白い旗です。央央ですから、王は白い旗を掲げていたことになります。面白いことにこれは神武天皇が東征したときの行列と同じです。やはり日本には古代中国の古い伝承が伝わっていたのだと思います。

 第四聯の後半と第五聯の前半から、王の行列の先触れを務めていたのが西方の異民族であったことが推測できます。秦は殷王の厩番であったとか、東周の平王を騎馬で守っていた、という伝承を持っているのですがおそらく秦は西周の配下に入った胡人であり、周王の親衛隊を務めていたのでしょう。

 王朝が子飼いの親衛隊のクーデタで滅びるのは良くあることです。

 第六聯は、故郷に帰ってくつろぐ吉甫という宰相を歌っています。吉甫は金文にも残っている西周の有力者です。わざわざ「酒好き」と書かれていることから、殷人であった可能性があります。

 吉甫が東夷であることは、スッポンや鯉のような魚介類が好きと言うことからも推測可能です。前半は王のことを歌っていますが、途中から吉甫を褒める歌に入れ替わっており、六月の真の主役は吉甫でしょう。最後に脈絡なく登場する飲み友達の張仲は、この詩を詠んだ本人かもしれません。

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