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2012年5月16日 (水)

詩経勝手読み(十)・・・淇奥

閏三月二十六日

 淇奥は地方の詩を集めた国風の衛風に納められている詩です。衛とは黄河の中流域、中原の中心にあった国で、春秋時代には文化の中心でした。元は商(殷)があった地域で、三監の乱の後に分割されて、北方が衛に、南方が宋になりました。

 衛があった地は現在で言うと河南省に当たります。春秋時代に開けていたのは河川の周辺部だけで、周辺の山地には森林が広がり、そこには狩猟採集民や、半農半猟の生活をする人々が暮らしていました。

 淇奥は切磋琢磨の語源となった詩です。切磋琢磨の原意は山から玉の原石を切り出し、ヤスリがけして形を整え、文様を刻み、砥石で磨いて、玉器にすることで、現代の日本では志を同じくする物が、欠点を修正し合い、競って才能を伸ばす意味で使われていますが、本来の意味は「ダイヤの原石」に近いです。

 鶴鳴で見たように、河南省の奥地には玉の産地がありました。淇奥もまた、山深くに分け入って、玉を手にする詩です。

 鶴鳴は山奥で動物が平和に暮らす桃源郷のようなイメージの詩でした。淇奥もまた生き物が楽しく暮らす山奥で、原住民が玉の加工をしているのを歌う詩です。おそらく衛の玉商人は、南方に分け入って、これらの原住民と玉を取引していたのでしょう。そして衛や鄭の富は、これらの玉、或いは原住民を通して獲得した楚の産物を、中原に輸出することで実現していたのではないでしょうか。


瞻彼淇奧  淇水の奥地に
綠竹猗猗  緑の竹林があって動物の奇声がする
有匪君子  そこに土人がいて
如切如磋  玉を切り出し削り
如琢如磨  模様を入れて研いでいる
瑟兮僩兮  たくさん集まって猛々しく吠える
赫兮咺兮  赤い顔をして鳴く
有匪君子  土人がいる
終不可諼兮 それともあれは猿だったのだろうか

瞻彼淇奧  淇水の奥地に
綠竹靑靑  竹林が青々と茂っている
有匪君子  そこに土人がいて
充耳琇瑩  耳には大きなピアスをはめて
會弁如星  冠にはきら星のごとく宝石をつけている
瑟兮僩兮  たくさん集まって猛々しく吠え
赫兮咺兮  赤い顔をして鳴く
有匪君子  土人がいる
終不可諼兮 それともあれは猿だったのだろうか

瞻彼淇奧  淇水の奥に
綠竹如簀  簀の子のようにびっしりと竹が生えている
有匪君子  そこに土人がいて
如金如錫  金と錫がふんだんにあり
如圭如璧  玉器もふんだんにある
寬兮綽兮  のんびりゆったりと暮らしている
猗重較兮  奇声を上げ、集まって、踊る(歌垣?)
善戲謔兮  善良で、愉快で、冗談が好き
不爲虐兮  けっして残虐なことはしない

 これは桃源郷の詩の走りではないかと考えられます。中国では昔から南方の山奥に豊かで平和な別世界があるという伝説がありました。特に南北朝時代に別世界への憧れは盛んになりました。このような南方の神聖視は、道教の神仙思想の元になったとも言われています。

 おそらく鶴鳴や淇奥は、まだ中原の開発がそれほど進んでおらず、農耕民が暮らす近くに、半農半猟の人達が暮らしていた頃のことを歌っているのでしょう。

 戦車や馬が入り込めない森は、黄河文明の農耕民にとっては別世界でした。寒冷乾燥化が進んで森が後退した黄河平原では、熾烈な生存争いが繰り広げられていましたが、南方にはまだ森林が残り、自然の恵みの中で狩猟採集民がゆったりと暮らしていたのでしょう。

 別に狩猟採集民だからと言って、技術がないわけではありません。縄文人は現在でも加工が難しいヒスイの形を整えて穴をあけ、勾玉を作っていました。漆塗りの技術も持っていました。長江流域に住む人達は、こんにゃくや納豆や醸造酒などを製造する技術を持ち、豊かな食生活を楽しんでいました。

 淇奥は伝統的な解釈では、衛の名君武公を讃える歌と言うことになっています。それは「諼」という文字の意味が分からなかったからでした。このほとんど用例のない文字は、元々はただの「爰」であり、猨(猿)を表していたのでしょう。

 猗猗は猿がキッキと鳴く声であり、赫は赤色で、咺は鳴き声ですので、猿です。長江流域には今でも野生の猿が棲息しています。

 充耳琇瑩は大きなピアスをぶら下げて耳たぶを伸ばして福耳にしている状態を表し、古代の日本や現在の中国南部やミャンマーで見られる風俗です。會弁如星は冠や簪に宝石をぶら下げることで、これも四川省やミャオ族の風俗です。

 またこれらの地域では、犬の遠吠えのような声で叫ぶ歌が残されています。日本でも隼人(南九州の原住民)が遠吠えをしたという記録が残されています。中原の民族には、これらの豊かで不思議な風習が印象に残ったのでしょう。そして森の奥の夢の世界で猿が人間の真似をして暮らしているように見えたのかもしれません。

 そして、中原の南方に山奥に暮らしていた、我ら日本人と共通の文明を持つ人達が平和を愛していたことは、末尾の「善戲謔兮、不爲虐兮」からよく分かるのです。

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コメント

「君子」を土人とするのはちょっと厳しいのではないですか。
あと、「諼」という文字の意味が分からなかったからでした。このほとんど用例のない文字は、元々はただの「爰」であり、猨(猿)を表していたと、解するのもちょっと変です。「終不可諼」の部分が通じません。他にも沢山変なところがあります。
勝手に解釈するのはよろしいですけど、全体で整合性が取れていないと、ただの妄想になってしまいます。事実、誰もこんなゴミみたいな翻訳なんてしてません。

初めまして、感想ありがとうございます。

この訳はちょっと粗かったかもしれませんね。

ご疑問にお答えしますと、君子ではなくて、匪君子を土人と訳しました。君子を人格者の意味で使い始めたのは儒学者で、詩経に収録されている歌が詠まれたであろう西周から春秋時代にかけては、君子には「生業を持った大人」という意味しかなかったと言われています。そこで、匪君子を中原とは違う文化の中で生活している人達と解釈しました。

諼についてご説明しますと、甲骨文字や金文にはこのような文字の用例はなかったと思います。漢字が今私たちが見ているような形に定まったのは漢帝国以降でして、春秋・戦国時代までは、偏と旁の組み合わせも確定していませんでしたし、地域によって全然違った文字を使っていました。

金文には出てこない諼という漢字ができたのはおそらく漢帝国以降でしょう。最初に記録された詩経ではこの文字はただの「爰」と記されていた可能性が高いと私は考えています。

「爰」だけでサル、ゆるい、など様々な意味を表していたのでしょう。

そして漢代になってこの詩の原意が失われてしまった後、儒学者がこの詩を、漢代になって確定した漢字で書き表した際に、推測で爰を諼と言偏を書き足して記録したのではないかというのが私の仮説です。

易経と詩経にはこのような字の書きかえが生じてしまっている可能性が高いと私は推測しています。

以前の者です。
べっちゃんさんの返信をいただけて嬉しいです。どうやら自分でも思い違いがあって書き込んでしまったようです。すいません

さて、べっちゃんさんの「匪君子」という句の考え方については、なんともしっくりきました。斬新であり、綺麗にはまっているな、と思いました。ただ、態々「土人(あるいは野蛮人)」を表すために、「君子ではないもの」というのは少しばかりうるさい感じだと思います。私は、この頃の中国発音を知らないので、果たして「有匪君子」と言わないとゴロが悪いのかどうかはわかりませんが。それでも整合性という意味では、素晴らしい訳だと思います。
しかし、「諼」については今だに納得がいきません。「諼」を「猿」というのであれば、「終不可諼兮」でやはり不可解になってしまいます。「ついに猿すべからず」という感じになってしまいます(真似することができない、ならしっくりきますけど)。もし原典で「諼」が「爰」であったのなら、「爰」は動詞である可能性が高いです。なんとなれば、不可のあとには動詞が来ることが詩経の中では多いからです。そう考えると、私としては、「爰」は「引く」という動詞に儒学者たちは解していると思います。要するに「邪魔をしてはいけない」という感じに。

さて、べっちゃんさんの文字の原義に戻って、古代中国文献を解する考えは素晴らしいと思います。特にべっちゃんさんの易経解釈なんて見ると、なかなか斬新な考えで、古代の風習を準拠にした解釈が出ていて面白いです。
そしてなにより、べっちゃんさんが大学で科学(物理)を専攻していたことに驚きです。それでいて漢文に造詣が深いことはなんとも「有難き」ことです。理系の人で、漢文を喜んで読むなんて人は少ないですからね。最近では、古典なんて不必要な非合理的なものとして隅に追いやられていますが(そこらへんの本屋に行っても古典の本がない!)、べっちゃんさんはそんな訳でもなく、淡々と漢文を読みこなしているところが感服に値します。やはり日本人としてはこうでないといけません。理系だけではなく、文系の学生ですらも、古文・漢文なんて読めない、という人が多くなって嘆かわしいです。それでいて、芥川どうの、太宰どうのって言うもんなんですから、みっともないです。べっちゃんさんもこれから皆さんに古典を思い出させてください。今の日本人に必要なのは、古典を読む余裕、だと思います。

ただ、古典を好むとオタの方向に走ってしまうのは、道理であるのかなと思いました。

安誉人さん、こんばんは

終不可諼兮を私は反語と解釈しました。

ついに、猨なるべからざるか

しかし、わたしはこの詩の解釈をするにあたって、この句の解釈は一番心配を感じていた部分です。ですので、安誉人さんが疑問を感じるのは当然と思います。

爰をもつ漢字を調べていただければ分かると思うのですが、どれも「伸びる、ゆったり、ぶらさがる」という意味を持っています。

私が考えるに「爰」という漢字そのものがテナガザルが木からぶら下がる様子から連想されて作られた漢字です。甲骨文字から調べてくだされば納得できるはずです。

「爰」の原義がテナガザルなのです。

テナガザルは中国奥地の生物ですからね。

私の易経解釈は本ブログと、書籍版とではいくらか違いがあるので、できれば最新の分析結果である書籍版からご判断いただけると有り難いです。

これは宣伝です(笑)

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