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2012年5月26日 (土)

詩経勝手読み(十三)・・・黃鳥

陰暦 四月六日

 黃鳥は一見簡単そうに見えて、その実は不可解な詩です。この詩は異国に来た人間が、ここは居心地が悪いから故郷へ帰りたいと願う望郷の詩です。それは間違いないのですが、しかしよく考えてみると詩のシチュエーションが不可解なのです。

 詩の中では黃鳥は読み手の周囲にいて、読み手の食糧(財産)を少しずつ奪っているように読めます。いわばたかりです。異国の地にいるのに、その地の人達からたかられる、ということはこの読み手はよっぽど裕福と言うことになります。

 この読み手の職業は何でしょうか。古代の中国では、土地はその国の部族の持ち物でしたので、異邦人が気楽に土地を買って豊かになることはできません。そもそもこの読み手は「故郷へ帰りたい」と言っているのですから、生活の根拠は故郷にあると考えるべきです。生活の根拠がその国にあるわけでもないのに、たかられるくらい裕福、どうにもおかしいのです。

 では商人や職人なのでしょうか。その可能性はありますが、商人がたかられるようではすぐに廃業してしまいます。職人がたかられるほど裕福であるというのも考えにくいことです。

 そこで前の詩である白駒が、周王朝の人間が、諸侯が来朝を怠っていることを嘆く詩であったことがヒントになります。白駒では周王朝は牧人として馬(諸侯)をもてなすのだと歌っていましたが、実態は果たしてそうだったのでしょうか。

 日本の参勤交代を思い出せばすぐに分かると思いますが、王が諸侯を呼びつけるのは、上下関係を確認し、貢ぎ物を集めるためです。王は諸侯をもてなしてくれるかもしれませんが、その元手は諸侯自身が王に納めた貢ぎ物です。

 さらに付き合いのために王の側近に贈り物をしなければなりません。都市は物価が高いですから滞在しているだけで生活費がかさむでしょう。参勤交代は諸侯の弱体化に貢献しましたが、周王朝も似たようなことをして、諸侯と上下関係を確認し、首都の鎬京に富を集めていたのでしょう。

 従って黃鳥は参勤交代をさせられた諸侯が早く国元へ帰りたいと嘆く詩と考えるべきです。そうすれば、異邦人なのにたかられるのが理解できます。

黃鳥黃鳥 ウグイスよ(都人たちよ)
無集于穀 私の升に群がるな
無啄我粟 私の食糧をついばむな
此邦之人 この国の人達は
不我肯穀 私によいことをしてくれない
言旋言歸 きびすを巡らして帰りたい
復我邦族 同族のいる地に帰りたい

黃鳥黃鳥 ウグイスよ(都人たちよ)
無集于桑 私の絹織物に群がるな
無啄我粱 私の食糧をついばむな
此邦之人 この国の人達は
不可與明 信用がおけない
言旋言歸 きびすを巡らして帰りたい
復我諸兄 兄弟のいる地に帰りたい

黃鳥黃鳥 ウグイスよ(都人たちよ)
無集于栩 私のトチの実に群がるな
無啄我黍 私の食糧をついばむな
此邦之人 この国の人達とは
不可與處 一緒にいたくない
言旋言歸 きびすを巡らして帰りたい
復我諸父 父母のいる地に帰りたい

 六月は周王が直轄地を巡遊する詩でした。周王朝は西の直轄地を巡遊して税を集め、東の諸侯には参勤交代をさせて貢ぎ物を集めていたのではないでしょうか。周は元々西の部族で、東は殷の息がかかった土地でした。ですから周王が直接支配することはできず、諸侯の自治を許していたのでしょう。

 しかし周が西方のオアシス都市の自立で弱体化し、東方の諸侯が牧野の戦いの痛手から回復するにつれ、力関係は逆転していったのではないでしょうか。やがて西周は遊牧民(秦?)に滅ぼされ、周王は東方の洛邑(成周)に逃げます。春秋時代の舞台は、西周時代には東方とされていた地域でした。

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