詩経勝手読み(三十)・・・車舝
陰暦 六月七日
舝とは見慣れない漢字ですが、車の心棒の先にさして輪が抜けることを防ぐくさびです。さて、この詩も古来から難解とされてきました。嫁入りに関する詩であることは明白ですが、めでたいはずの嫁入りを、何か哀しいことであるかのように密やかに祝っている様子が読み取れるからです。
こういう場合は、なるべく素直に読んでいきましょう。この家は時ならぬ嫁入りをする末娘のために、ささやかなお祝いをするくらいの余裕はあるようです。親族で集まって会食をし、歌を歌い、舞を踊るのですから、それなりの文化人であるようです。
それなりの身分の家の結婚式なのに何故コソコソと祝わなければならないのでしょうか。そこから「親が決めた結婚相手と違う相手と結婚するのだ」とか「神に仕える女性が職務放棄をして結婚するのだ」などの解釈がなされてきました。
嫁入りなのに、どうやら新郎がその場にいないことは詩を読めば分かります。では新郎はどこにいるのでしょうか。第四聯は新婦が高い岡に登ると読むことができます。第五聯では詠み手(兄?)が太陽にたどり着くほどの高い山を仰ぐと言っています。娘の行き先は手の届かないような高い場所と言うことになります。
白川静は古代の中国には、一族の安寧を祈るために末娘は嫁に行かずに神に祈る風習があった、そのような神に仕える娘が、役目を放棄して愛する人の許へ嫁ぐことを親族だけでひっそりと歌った詩だろうと解釈しています。
私は逆に、これは末娘が一族の安寧を祈るために、神と結婚する儀式のことを歌った詩ではないかと思います。古代日本の宮中には斎宮という風習がありました。天皇の安寧を祈るために、皇族の未婚女子の一人が伊勢神宮に籠もって祈りの日々を送る信仰で、飛鳥時代から鎌倉時代まで続いていました。
処女が神と結婚するという信仰は世界中に共通してみられます。キリスト教の修道女もその一種です。聖なる処女は夫に仕えるようにして神に仕えます。食事の用意をし、服を準備します。そして夜は神殿の中で寝ます。神聖な役目ですが、外界と遮断され、人並みの幸福とは無縁の寂しい生活です。
車舝は一族の代表として選ばれてしまった末娘を不憫に思いつつも、送り出す家族の愛情を詠んだ詩です。
間關車之舝兮 車のくさびを打つ音
思孌季女逝兮 愛しい末娘の旅立ちを思う
匪飢匪渴 飢えたのではなく乾いたのでもない
德音來括 有り難い知らせが届いた
雖無好友 友達は呼べないけれども
式燕且喜 家族そろって飲んで栄誉を祝おう
依彼平林 野の林では
有集維鷮 山鳥が集まっている
辰彼碩女 早朝に先代の斎宮から
令德來教 有り難い斎宮交代のお知らせがあった
式燕且譽 家族そろって飲んで栄誉を祝おう
好爾無射 みなお前のことを大事に思っている
雖無旨酒 高い酒は用意できないけれど
式飲庶幾 式次第にそって飲みましょう
雖無嘉殽 豪勢な御馳走はないけれど
式食庶幾 式次第にそって食べましょう
雖無德與女 お前の横には新郎はいないけれど
式歌且舞 式次第にそって歌い舞いましょう
陟彼高岡 高い岡に登って
析其柞薪 薪を刈り取る(神様の世話をする)
析其柞薪 薪を刈り取る
其葉湑兮 葉には娘の涙のような露
鮮我覯爾 ああ旅立つお前は美しい
我心寫兮 神々しさに私の心も洗われるかのようだ
高山仰止 高い山を仰げば
景行行止 太陽が留まるところ
四牡騑騑 四頭立ての馬車が走る
六轡如琴 六本の轡は奏でる琴の如し
覯爾新昏 お前の花嫁衣装を見て
以慰我心 私の心の慰めとしよう
身売り、もしくは後宮へ入る娘を送り出す詩という解釈もできますが、第四聯と第五聯で、神聖な場所を連想させる高岡・高山・景行がありますので、斎宮を歌った詩と解釈したいです。
追記:国風の研究をして少し意見が変わりました。この詩は春秋一の美女として知られる夏姫の嫁入りを歌った詩である可能性があります。
とすると夏姫は鄭公の直接の娘ではなく、鄭公室の支流の貧しい家の娘で、美しさゆえに白羽の矢が立ち、鄭公の養女となった上で、陳公室に嫁入りした可能性が出てきます。
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