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2012年7月10日 (火)

白川静礼賛に警鐘を鳴らす

 中国古典学者白川静の洞察力は素晴らしいと思うのだが、彼の説には間違いも多い。私の見たところ代率は二割弱ぐらい。大当たりと大外れの差が大きい。

 彼の金文や古典の解釈は、40年前の説としては近代的だと思うのだが、いろいろと研究が進んだ現在からすると珍妙と思える解釈も多い。特に私が今研究している詩経については、白川静はほぼ全部間違っている。

 白川静の問題点は、当たりなのか外れなのか区別が付かない点。どれももっともらしく見えてしまう。よっぽど漢文に親しんだ人間でないと彼の間違いには気がつかない。現代の日本人(もしかして世界全部?)で一番漢文を読み込んでいるのではないかと推測される作家の宮城谷昌光先生ですら騙されているんだからどうしようもない。

 白川静の間違いは、金文・甲骨文字・五経を読まないと気がつかない。諸子百家・史記・漢書を読んでいても白川静の間違いには気がつけない。

 白川静の文字学を学校教育に取り入れようという動きがあるが、子供に誤った知識を植え付ける可能性があるので、ちょっと待った方がいいと思う。

 私の易経と詩経の研究によると、現代の漢和辞典はかなりいい線を行っていると思う。敢えて白川静の当たり外れの大きい文字学を学生に教える必要性はないと思う。

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コメント

最近流行りなのですか?

昔、井沢板でべっちゃんが白川静先生の解釈を何度か提示されていましたよね?

実は最近、新聞の日曜版に白川先生の解釈による漢字の成り立ちの解説が入っていることに気が付きました。子供向けのコーナーだったと思います。

mixiでも白川先生の孫弟子かひ孫弟子の方とメール交換をしたことがあります。白川先生もかなり高齢だそうですね。

( ̄ー ̄)ニヤリ

なかなか面白いので見つけたときは読むようにしています。

hnさんも白川先生の記述を引用されていたと思います。

Dragon_Suplexさん、お久しぶりです。

自分で金文や五経を調べるうちに、白川静のすごさと問題点を両方感じるようになりました。当たりも多いけれど、外れも多い。

白川静の解釈は呪術に変調しているきらいがあります。感じはもっと合理的に解釈できるんじゃないかと私は思っています。

白川静の功績は偏ではなく、旁を中心とした漢字研究の方法論を確立したことではないかと思います。面白いですし、あと数十年は巷では定説扱いされるでしょうから、読んで楽しむ分には良いと思います。

あと、白川静かは数年前に死去しました。

2006年にお亡くなりになられているようですね。

ということはmixiをはじめて6年たつのか。

光陰矢のごとしですね。

昨日のレスは酔っ払いながら書いたため、字のミスが多くてすみませんでした(^^;文字学の話なのに誤変換はまずいですよね。

白川静は辞書を作るために少し焦っていたのではないかという感じがします。辞書を作るためには、検証不十分な字に対してもそれなりの解説を書かなければなりません。

そこで白川静は、まだよく分からない文字については「これは古代祭祀だから」で片付けてしまったのではないかと思います。

白川文字学を読んでいると、何かというと「古代祭祀」という決まり文句が出てきます。いくらなんでもこの魔法の言葉を濫用しすぎでしょう。

自分一人で甲骨文字も、金文も、五経も、万葉集の研究も全部やろうとせずに、ある程度は弟子に任せて、もうちょっと漢字の起源を深掘りしても良かったのではないか、そのような感想を持っています。

<ほぼ全部間違っている

えらそう。
業績残している人と、そうでない人、どちらが説得力あるか。

完全でないにしろ画期的な研究成果に、ケチをつけるのは楽。学術的批判なら、ブログでなく論文でやるべき。
専門家でない一般人相手にしか言えないのであれば研究者ではない。

全部間違っているとかえらそうにいうのは、説得力のある反証論文書いてから言えば?

『詩経』は漢字が読めて、解けるものではない。『万葉集』の読みに折口学的な視点が必要であるように、『詩経』にも神話学的な視点、祭祀的な視点が必要である。というのは、漢字は単なる文字ではなく、ドゥルーズの襞のようにびっしりと意味の詰まった容器だからである。着衣の思想でできたもの、それが漢字である。皮膚の下に皮膚があるように、漢字の一字を形成するすべてのツクリ(皮膚、骨、肉、血液、筋肉
、中国人なら「四面八方」というだろう。きっと)にはその読みを豊かにするための無数のシニフイェが対応している。『詩経』を解こうとするものは、フランスのミッシエル・セールの混合体の哲学というノマド的な「五感」を有したものでなければならない。白川は少なくともそのような五感を持った存在である。上位の視覚を下位の触覚と結びつけて、「ローマの哀歌」が詠めるゲーテのような偉人でなければ、すべての根底であるシケー(沈黙)を保った方がいいだろう。凡人は辛うじてメンツーを失わずに済むためには、無底の根底なるシケーに自らを委ねた方がいいだろう。あるいは、象牙の塔に自ら入って、中西進と戯れたり、小島憲之と仲良くなったりした方がいいだろう。そうしたら、彼ら、汝に言うだろう。明朝、琴を抱きて来たれ、と。無学を誤魔化すのによく効くものあり、李白の弟子曰く、其の名は「酒」なり。家に豚あり、酒あれば、祖先の祭祀、安泰なり。それを白川なら、家に「女」がいるから安全だという奴は園児の脳味噌(夏目漱石なら牛の脳味噌と言っただろう)家に豚肉という肴があるから、今日も陶酔して酔えるし、祖先もあの世で安泰なり。ほら吹かないで、祖先の供養だけは怠らずに真心を込めて勤めよう。そのような者にきっと幸あり、と人は言うだろう。白川の川床には蛇が住んでいる、と言ったのは「猟銃」の井上靖。そのような蛇を敬おう。そうしたら、持てない男にも三人の素晴らしい女性から手紙が届くだろう。

なるほど、白川静の何が間違っているかの詳しい説明なしに、批判だけでは無責任ではないかとのお言葉、ごもっともだと思います。

しかし残念ながら現在多忙のため、貴殿の疑問にお答えすることができない状態です。落ち着きましたら、古代中国史の研究も再開し、書き込みにもレスしていきたいと思っております。時間がかかるかもしれませんが、お待ちいただければ幸いです。

なぜ誰もその金文・甲骨文とやらを現代の文字に起こして、この文脈はこうだから「サイ」だとか、あるいは「サイ」じゃないとか論じたり、あるいはコーパスを作って計算言語学をやってみたりせず、こう考えると辻褄が合うからこの考え方は正しいという自己完結に終始してしまうのか。そう残念に思わずにはいられません。誰にも検証されない研究は結局無いのも同じことかと存じます。

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