易経勝手読み(四十)・・・漸漸之石
漸漸之石はおそらく星座の詩です。前後の瓠葉と苕之華も星座を表現した詩である可能性が高いです。
漸漸之石の第三聯に「月離于畢、俾滂沱矣」(月が畢にかかると雨が降る)という句があり、これは古来より中国の星座である二十八宿の畢(あめふり星)を表しているとされてきました。
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漸漸之石はおそらく星座の詩です。前後の瓠葉と苕之華も星座を表現した詩である可能性が高いです。
漸漸之石の第三聯に「月離于畢、俾滂沱矣」(月が畢にかかると雨が降る)という句があり、これは古来より中国の星座である二十八宿の畢(あめふり星)を表しているとされてきました。
白華は従来の解釈では捨てられた妻が夫をなじる詩とされています。しかし注意深く分析すると、恋人に捨てられた作者は野にいて、不実な恋人は天もしくは宮にいると推測できます。
第八聯では「平たい石を更に踏みつけて卑しめる」と言っています。どうやら不実な恋人は手の届かない高貴な人の所へ行ってしまい、捨てられた昔の恋人が悔しがっている詩であるらしいと分かります。
よく考えてみると3年先の政府の手足を縛ることができるわけで、その際には国民の選択によって違う政権ができている可能性がある、その国民の選択によってできた新しい政権の手足を縛るんだからこれは国会の予算審議権の侵害にならないのだろうか。
いや国会は行政が作った予算をチェックするだけだからならないんだよでは国民主権の侵害だし。
国民主権、国会は国権の最高機関というそもそも論で言うとおかしなシステムだと思う。
隰桑は養蚕・機織の技術者としての召公の徳を慕った詩です。先の黍苗では召公は湿地を征服していました。隰桑では召公は丘に桑を植えて養蚕を広めています。隰桑では召公は民衆を思いやる慈悲深い君主です。
召公の人物像が複数あって定まらないのは、召公は特定の人物を表していたのではなく、周の初期に社会の発展のために尽くした殷の技術者一般を「召」と呼び、彼らの伝説が集合して召公という人物像が作られたからでしょう。
黍苗は召伯(召公)を讃える詩です。召公は殷周革命期の人物で、伝説では周の王族で、武王と成王を助けて創業期の周を支えた名臣とされています。
召公は名前を刻んだ青銅器が多く見つかっており、実在の人物とされています。殷から送られたものが多いそうです。さらに中国東部に関連する伝説が多いことから、最新の研究では、もともと殷の人物だったのではないかとされています。
采綠は草摘みや釣りをして、祭祀のお供え物をそろえる詩とされています。しかし私は易経同様にナゾナゾの詩なのではないかと思います。
何故ここまで消費税増税法案の成立にこだわったのか、急激な引き上げは景気を冷やすことが確実視されているのに二年間で5%から10%まで、実二倍に引き上げる無謀な増税をしようとしているのは何故か、学者や新聞が無理筋の説明で通しているのは何故か。
思うに、団塊の世代がいよいよ完全に退職して年金として支給するお金が必要となるからではないか。これまで保険料、株式、国債などの購入部門であった年金会計が今後は保有資産を売却する側に回る。言い方に語弊があるが赤字部門となる。
都人士は菀柳同様に時流に乗り切れない人が、都の繁栄にケチを付けている詩です。狐裘(狐の柔らかい毛で織ったコート)、臺笠(背高帽子)、琇實(宝石のピアス、耳飾)、垂帶而厲(ピカピカに磨いたベルト)、卷髮如蠆(サソリの尾のような髪型)、豪華絢爛なファッションが読み込まれています。しかもこのファッションには西洋の香りがします。成周は国際色豊かな都市だったようです。
豊かで栄えた都市の中でこの詩人はうだつが上がらず、取り残されたような思いをしています。けれども口に出して非難はしません。これは贅沢ではなくて、ちょっとベルトが長いだけだ、髪の毛が盛り上がっているだけだと自分を納得させようとしています。
菀柳はアーチ型をした柳という意味ですが、頭をぺこぺこ下げることの比喩でしょう。私は柳のように腰が低いけれど、その生活に満足している、上を向いてもきりがない、今の生活のままでよいのだという、謙虚のような、諦念のような詩です。
菀柳は驕り高ぶった周の幽王をそしった歌とも言われていますが、そこまで考える必要はなく、うだつの上がらない男が独立不羈を気取って負け惜しみを言っているだけの詩ではないかと思います。
現在放送中であるエウレカAOの第14話で「一人の母親のエゴが世界を変えたとしてもすべての女性はその母親の側に立つべき(大意)」という台詞があった。
これは未来から来たエウレカが、現代に残してきた息子のアオが生きていける環境を作り出すために、スカブコーラル(風邪の谷のナウシカの腐海の種みたいな物)をばらまいているのではないかという疑惑を匂わした台詞である。
この台詞には作品の進行上必要性以上の深い意味がある。
なぜなら・・・各人の中には未知の病原体や予期せぬ環境変化を人類が生き残るために必要な遺伝子が隠されているかもしれないからである。ある病原体のせいで、他の全ての人類が死に絶えても、ある特定の遺伝子を持った一族だけが生き残ると言うことはあり得る。
ミトコンドリアイブの研究では、人類は数万年前に一時期数十人まで減少したことがあるのではないか(あるいは数十人の子孫だけが現在まで生き残った)という推測がある。
そういう意味では一人の人間が人類を滅亡から救う可能性を持っているのだから、一人の人間の命は確かに地球より重い。しかしどの遺伝子が人類を救うかは誰にも分からないので全ての人間の命は皆重い。
そして母親には確実に自分の遺伝子を残すために、自分の子供を守るためにはなんでもする権利があるというのもその通り。
しかしそうすると返って遺伝子の多様性が失われてしまうが、性染色体に限ってみると女性というのは子供に、自分の母親の染色体を与えるか父親の染色体を与えるのか自分では選択できないので、一人一人の母親が自分の子供を守ることだけを考えていれば、自然と遺伝子の多様性は保たれるわけで、遺伝子という仕組みは良くできていると思う。
角弓は、無軌道な生活をしていれば、民衆がまねをして秩序が崩れるとありますので、支配者の子弟(おそらく周の王子たち)を戒める教誡詩です。
陰暦 六月十四日
采菽は周王が諸侯を謁見する際に流れた歌ではないかとされています。私も基本的にその考えに賛成ですが、各聯の一行目と二行目の「興」と呼ばれる部分の位置づけが多少異なります。
菽(豆)摘みも泉もクヌギの葉が茂ることも、全てめでたいしるしであるという分かったような分からないような解説が従来はなされてきました。そして第三聯の赤い腰絹と第五聯の楊船(細長い丸木舟)については意味が不明と言うことにされてきました。
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