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2012年8月18日 (土)

詩経勝手読み(三七)・・・黍苗

 黍苗は召伯(召公)を讃える詩です。召公は殷周革命期の人物で、伝説では周の王族で、武王と成王を助けて創業期の周を支えた名臣とされています。

 召公は名前を刻んだ青銅器が多く見つかっており、実在の人物とされています。殷から送られたものが多いそうです。さらに中国東部に関連する伝説が多いことから、最新の研究では、もともと殷の人物だったのではないかとされています。

 私の詩経研究では、詩経の小雅には東夷が詠んだ詩が多数収録されており、そのなかには召公に関連する詩が数点あります。そして詩経では召公は養蚕・機織と関連付けられています。

 召公の名を刻んだとされる青銅器は各地で出土しています。召公というのは果たして個人名なのでしょうか。私は召公とは個人名ではなく、普通名詞なのではないかと考えています。

 召という漢字には招くという意味があります。招は文字通り人をまねくという意味ですし、沼は川筋が迷い込んでできた水溜りと言う意味です。紹は受け継ぐと言う意味です。

 他に召というつくりを持つ漢字として、昭・炤・劭などがあります。これらには明るい、美しい、精を出すという意味があります。邵は地名です。

 召にはまねく、明るいという全然関連がなさそうな二つの意味があります。易経の研究で明らかになったように、漢字のつくりが一見無関係に見える複数の意味を持っていたとしても、語源は両方の意味を持っているのが普通です。

 召公は殷から周へ行き、養蚕の技術を広めました。私が推測するに、召とは渡来人・お雇い外国人という意味の言葉だったのではないでしょうか。召が明るい・働くという意味を同時に持っているのは、こうした殷からの渡来人が、養蚕と機織の技術を中原各地に移植したからではないでしょうか。

 その中でも指導的地位にいた人物がいたのかもしれません。各地で養蚕・機織の技術を広めて、民生を向上させた殷の技術者達の記憶が集合して、召公という伝説の人物が作り出されたのではないでしょうか。

芃芃黍苗 すくすく伸びる黍の苗

陰雨膏之 雨が潤す
悠悠南行 ゆったりと南にいく

召伯勞之 召伯は働き者

我任我輦 私の荷物、私の輿

我車我牛 私の車、私の牛
我行既集 私の一行はすでに集合した

蓋云歸哉 さあ帰ろう

我徒我御 私の人夫、私の御者

我師我旅 私の軍勢、私のキャラバン
我行既集 私の一行がすでに集合した

蓋云歸處 さあ帰ろう

肅肅謝功 労をいたわり

召伯營之 召伯は働き者
烈烈征師 激しい遠征

召伯成之 召伯はそれを成し遂げた

原隰既平 湿地は平定され

泉流既清 泉の流れのようにきれいになった
召伯有成 召伯は仕事を成し遂げて

王心則寧 王様の心を安らかにされた

 この詩は召伯が淮夷征伐を終えて帰還するのを歌った詩です。西周は洛陽を基地にして、淮河方面に入植を進めていました。西周の金文には淮夷との激しい戦闘を記録したものが複数残されています。

 殷人は高度な技術を持っていたので、ある者は職工や商人として成周や洛陽の都を造るのに呼ばれ、あるものは官僚として周の中枢で働き、ある者は戦闘技術者として戦ったのでしょう。

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