2023年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

« 詩経勝手読み(四八)・・・江有汜 | トップページ | 旧暦2033年問題 »

2012年9月29日 (土)

詩経勝手読み(四九)・・・何彼襛矣・野有死麕その一

 野有死麕と何彼襛矣は一組の詩で、春秋左氏伝きっての迷惑カップルを歌った詩です。人物を特定するヒントは何彼襛矣にありますので、先にこちらを解説します。

 何彼襛矣は従来から周王の娘と、斉公もしくは斉の太子の結婚を歌った詩とされてきました。何彼襛矣の第三聯に「齊侯之子、平王之孫」とあるからです。

 平王の在位期間は紀元前772年から720年にかけて、実に52年間も王位にありました。平王は波乱に富んだ人生を送っています。平王諱は宣臼、西周の幽王の子です。母后は申公の娘。幽王が西戎の姫、褒姒を寵愛しその子伯服を太子としたため、廃太子されてしまいました。

 その後幽王は西戎に攻められて殺害されてしまいます。漢中(西周の中心地、現在の陝西盆地)は西戎によって占拠されてしまったため、中原諸侯は洛邑にて宣臼を擁立して周を再興しました。これが平王です。これ以降周王朝は東周と呼ばれるようになります。

 漢中では西戎が平王の兄弟の携王を擁立しており、周王朝は分裂状態でした。平王は紀元前759年に携王を倒し、周を統一しました。平王の時代は鄭の黄金期に重なります。二代目鄭公の武公は幽王の従兄弟、平王の従兄弟半に当たる人物ですが、周の卿士(大老や総理大臣みたいな役職)として重きをなしました。

 鄭は周の東遷と同時期に殷墟に移住しました。殷墟は中原の交通の十字路に当たり、鄭は商工業で大発展します。平王は周の権威の復興にある程度成功します。平王の次の桓王と荘王の時代には周は中原の政争の中心になっています。

 平王の在位期間は長く、その間に大子洩父は早世してしまい、王位は孫が継承しました。これが桓王です。何彼襛矣の平王の孫はこの桓王の世代と言うことになります。

« 詩経勝手読み(四八)・・・江有汜 | トップページ | 旧暦2033年問題 »

易経・春秋・漢字」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 詩経勝手読み(四九)・・・何彼襛矣・野有死麕その一:

« 詩経勝手読み(四八)・・・江有汜 | トップページ | 旧暦2033年問題 »