詩経勝手読み(四五)・・・汝墳
汝墳は恋愛詩といわれています。未見君子〜(あなたにお会いできなくて〜)、既見君子〜(あなたにお会いできたので〜)が恋愛詩の定型句だからです。
汝墳が恋愛詩であることに私も異論はありませんが、一つ前の漢廣が夏姫を歌った詩であったことを頭に入れて読み直すと、更に理解が深まります。
楚の国で二人目の夫の襄老を喪った夏姫は、再び未亡人となってしまいました。その頃三十代の前半だったと考えられる夏姫を男は放っておきませんでした。楚の外交官屈巫は夏姫に言い寄って恋仲となり、結婚を誓い合う中になります。
あるいは夏姫の方から言い寄ったのかもしれません。祖国鄭を楚から守る密命を帯びていた夏姫は、外交を担う屈巫から楚の機密を聞き出そうと自分から近づいたのかもしれません。
この当時の中国では、北の大国晋と南の大国楚が対峙していました。楚の外交とは晋との駆け引きでした。両国は間に挟まれた小国を奪うために、あるときは友好的に手紙や贈り物を交わし、またあるときは強硬な態度を取ったり、戦争をしたりしていたのです。
中でも富裕な鄭の取り合いは晋と楚の最大の係争案件でした。夏姫は当時の鄭公の妹、もしくは従妹ぐらいに当たるはずなので、楚の外交を担当する屈巫と夏姫は自然と会う機会が多かったはずです。お互い情報を集める必要があったからです。
夏姫はいわば楚にとっては鄭から奪った人質でした。夏姫が楚王の妾にならずにすんだのも、夏姫が鄭の人質だったからです。人質を陵辱すれば鄭を晋に追いやってしまいます。ですから、夏姫は楚ではそれなりに丁重な扱いを受けていたはずです。
最初はお互いを利用するつもりで近づいたのでしょうが、どうやら夏姫と屈巫の間には真の愛情が芽生えたようでした。二人は将来を誓い合うようになります。屈巫には屈庸という成人した息子がいますので、屈巫の方が十以上年上であったと考えられます。
更に楚の荘王が死去し、共王に代替わりしました。楚では代替わりとともに政策ががらりと変わってしまうことが多いです。政策の変更と同時に、先代の重臣は粛正される運命にあります。荘王も先代の重臣を数百人殺したと言われています。荘王に信頼されていた屈巫は、一転して危険な立場に立たされました。外交官はスパイの疑いをかけられやすいからです。
屈巫は夏姫を手がかりにして亡命することを決意します。まず、夏姫を鄭に里帰りさせることにしました。夏姫は襄老の亡骸を受け取ることを口実に楚から脱出して鄭に里帰りし、そのまま居着いてしまいました。
屈巫は共王から斉への使者に任じられたのにかこつけ、一切合財と親類を連れて出かけ、そのまま斉に亡命しました(その後更に晋に亡命)。そして鄭公に申し出て夏姫と結婚しました。屈巫と夏姫に騙されて怒った共王は、楚に残った屈巫の一族をことごとく殺しました。
屈巫は晋に重用されました。そして屈巫の息子の屈庸は呉に入って、国を強くし、楚と戦わせて滅亡の淵に追い込み、一族を殺された恨みを晴らしたのです。
汝墳は鄭で屈巫を待つ夏姫の気持ちを歌った詩です。汝水は鄭を流れる川です。屈巫の亡命事件の20年後に、鄭は汝水の付近を楚に割譲しているので、汝水は鄭の南側の国境だったのでしょう。南の国境で愛しい人が来るのを待つ夏姫の姿が目に浮かぶようです。
遵彼汝墳 汝水の堤を行ったり来たりしてあの人を待つ
伐其條枚 柴を刈る(楚を倒す)ために
未見君子 愛しい人に会えなくて
惄如調飢 私の心は飢えるように苦しむ
遵彼汝墳 汝水の堤を行ったり来たりしてあの人を待つ
伐其條肄 柴を刈る(楚を倒す)ために
既見君子 愛しい人に会えた
不我遐棄 あのお方は私を見捨てなかった
魴魚赬尾 魴魚の赤い尾のように
王室如燬 楚王は無慈悲にも屈一族を処刑した
雖則如燬 焼けるほど愛する人を待ち焦がれた夏姫は
父母孔邇 やっと父母の地で幸せを手にした
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