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2012年9月 6日 (木)

物々交換の経済とは?

 よく経済学の本などに「昔は物々交換の世界だった」と書かれていることが多いですが、さて物々交換の世界とはどのような世界だったのでしょうか。

 日本などは宋銭が普及する鎌倉時代後期までは、貨幣がなかったので、歴史学の本でも物々交換の世界、米や布が通貨の変わりをしていたとまことしやかに書いてあります。

 では当時の人達はどのように買い物をしたのでしょうか。歴史マンガで下級役人が袋に米を入れて市へ買い物へ行く絵を見たことがありますが、いちいち米や布を市まで持っていって交換したのでしょうか。

 それはあり得ないだろうというのが私の推測です。

 貨幣がない世界の買い物というのは掛け売りの世界でしょう。年に数回の決算日以外は全てが信用取引の世界です。お互い誰にどれだけ貸し借りがあるか覚えておき、差し引きで足りない分だけ請求する、その時には実物を請求したかもしれません。

 おそらく古代日本のようにある程度発達していたけれど貨幣がなかった世界だけではなく、縄文人の世界も、アフリカの奥地も、インディアンの世界もすべてこのような信用取引の経済で成り立っていたはずだというのが私の推測です。

 古代の帳簿記録に出てくる、石(米の単位)疋(布の単位)は貸借関係を記録するための架空の概念で実際に米や布が取引で使われることはほとんどなかったはずです。

 従って貨幣がなくても、帳簿の概念さえあれば、かなり高度な経済を実現することは可能です。記憶力と信頼関係さえあれば基本的に現在と同じ経済活動は可能です。今だって経済の中で現金はほとんど動かないのですから。

 しかし富の蓄積が難しいのと、信用がない人にとっては非常に生活がしにくい世界であるのも事実です。こうした世界では、人はなかなか移動ができませんし、どうしても土地が富の源泉となるでしょう。

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コメント

うーん、でもクレジットカードオンリーと考えるとむしろハイテクな気がしないでもないです。

決済に使うための米や布の価値自体が絶えず変動しますので、会計係の計算は大変だったろうと思います。

お寺で勉強した人が、僧侶になるケースは稀で、ほとんどが会計士みたいな仕事に就いたらしいんですよね。

信用買いが全てだとすると、ある人が死んだとしても、遺産で債務を生産するということができませんので、その人が社会で果たしていた役割は必ず誰かが受け継がなければならなくなります。

だからどうしても職業が世襲化するでしょう。

なるほど、だとしたら平安末期に宋銭が流入して社会が大きく流動化したのも理解できますね。江戸初期にその流動化が何とか落ち着くまで、400年以上かかりましたからねえ。

室町幕府なんか、財政基盤を土地ではなくて、関銭・日明貿易・そして借金に置いていました。

間接税・関税・国債ですから、ものすごく先進的な政権なんです。

まあ早すぎて失敗しますけれどね。

末期の鎌倉幕府や室町幕府が濫発した徳政令も、幕府にお金を払えば債権の一部が保証されました。

当時の金貸しは総じて高利貸しですぐに債務が発散して非現実的な数字になります。こういう言葉があるのかは分かりませんが、債務インフレ、債務バブルが頻発する世界です。

貨幣量はあまり変わらないので生活必需品の物価はそれほど変化がないのに、債務だけがむやみに膨らむ世界です。こういう世界では定期的に債務をリセットする徳政令は、経済活動の健全化のために必要不可欠でした。

徳政令によってインフレした債務を、実質値に近づけて、精算を促すのです。そして幕府は手数料をちゃっかりいただきます。

これ、実は現在の所得税と同じなんですよ。時間があればこれについての解説を書きたいと思っています。

ただ、そういう税制だと、畿内近辺でないと徴収できなさそうですね。
それ以外の地域は守護大名や関東公方、九州探題に任せっきりになっていて、応仁の乱以降は影響力も失ってしまったけど、それでも幕府の財政は困らなかったということなんでしょうか。

Baatarismさんこんばんは、

細川氏が実権を握っていた天文年間くらいまでは室町幕府は畿内と周辺地域(丹波〜備前〜讃岐〜阿波〜越前〜尾張〜三河)では、調停機関として機能をしていました。

これらの地域では室町幕府の役職を得ることが、支配する上で必要不可欠でした。

室町幕府が実際の所、政府としてどのようなことをしていたのか実態はまだよく分かっていないので、応仁の乱後の財政がどうであったかはハッキリとは分かりません。

地方の荘園から京都への貢納は応仁の乱の前後で劇的に減少し、ほぼ無になります。けれども室町幕府は天文年間までは精力的に畿内の反抗勢力を攻めたり、朝廷に寄付をしたりしているので、それなりに収入はあった物と考えられます。

この時期に大内氏は散発的に上洛して政権を握るのですが、日明貿易を握る大内氏が、室町幕府の権力を必要としたと言うことは、この時期でもまだ流通上何らかの力を室町幕府が持っていたことを意味すると思います。

三次長慶、そして織田信長はこれを継承したんだと思います。

徳川幕府は室町幕府の失敗にかんがみて流通からはほとんど徴税はせず、同業組合を通じた行政指導(!)に徹したわけですが、徳川幕府は通貨発行益の形で商人からも徴税はしていたと言えます。

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