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2012年10月27日 (土)

詩経勝手読み(五八)・・・谷風

 谷風は詩経の中でも二番目に長い詩です。長くてヒントが多いので分かりやすいかと思いきや、この詩も古来より意味不明とされてきました。どうやら詠み手は家を追い出されたらしく、新婚という句がキーワードのようなので、男が若い後妻に入れあげて、ないがしろにされた糟糠の妻が夫を難詰した詩などと解釈されてきました。

 しかしそれは後世の男尊女卑による誤解です。この詩は追い出された人が追い出した人に向かって叫ぶ形式となっています。新婚という句から夫婦が連想されますが、そうするといくつか不審な点があります。

 まず第二聯の「宴爾新昏、如兄如弟」がよく分かりません。直訳すると「あなたは新しい人と結婚した、(その人は/あるいはあなたは)兄や弟のようだ」となります。新婚夫婦が兄弟のように仲が良いと解釈することが多いですが、男女の関係と同性の兄弟の関係は根本的に異なりますので、仲の良い男女を兄弟に比するのは異常です。

 さらに分からないのは第五聯の「昔育恐育鞫、及爾顛覆、既生既育、比予于毒」です。直訳すると「昔は(私を?)注意深く育ててくれて、あなたは(私を?)ひっくり返してくれたのに、既に育ってからは、私を毒のように扱う」となります。これを正直に読むと、詠み手は子供であり、非難されているのは親と言うことになります。それも母親です。

 「顛覆」を従来の解釈では男女が性交でくんつほぐれつになることだとまあ非常にエッチな読み方をしています。しかしそれだと「既生既育」とつながりません。「顛覆」は母親が子供をあやし、寝かしつけることだと解釈する方が自然です。

 手塩にかけた子供を追い出す母親なんているのでしょうか。それがいるのです。しかもちょうど春秋時代の初期に。関内の芮という国の芮姜と芮伯萬です。

 芮は陝西省、渭水・涇水・洛水の合流部、西周の鎬京近くにあった国です。周の初期からある由緒正しい国で、姫姓です。

 紀元前七〇九年、芮伯萬がよからぬ臣を寵愛していたので、母親の芮姜は息子の萬を国から追い出しました。芮伯は魏に逃れました。

 翌紀元前七〇八年、秦の軍隊が芮を攻めます。内乱で混乱しているとあなどったからですが、小国の芮は良く戦い秦に勝利します。芮伯の追放によって芮は返ってまとまっていたことが分かります。

 秦は腹立ち紛れに魏を攻めて芮伯を拉致します。母親に負けたのでどら息子を人質に取ったというわけです。秦というのはそういった姑息なところがあります。秦は王師と一緒に魏を攻めています。その際に芮伯はまず王都(畿)に送還された可能性があります。

 前七〇三年に虢仲・芮伯・梁伯・荀侯・賈伯が曲沃(晋)を討っています。この芮伯は萬なのでしょうか。しかし翌七〇二年に秦が芮伯萬を国に返したという記事があり、この時期に萬は秦に拉致されていました。前七〇三年に曲沃討伐に参加した芮伯は萬ではありません。

 これは推測ですが、芮姜は芮王室の誰かと再婚し、二人で芮をまとめていたのでしょう。衛で宣公の後妻の宣姜が宣公の息子の昭伯と再婚した例があります。当時としては珍しいことではなかったのかもしれません。人間が不足している遊牧民では、族長が死んだ際にその若い妻を、母親が異なる息子が妻とする風習があります。それに似ています。

 芮伯萬が詩の中で母親の再婚を「如兄如弟」となじっているのは、芮姜が宣姜同様に、芮伯萬の兄弟の誰かと再婚したからでしょう。ですから「再婚相手が父親ではなくて、兄や弟のように見える」と避難しているのです。

 芮という国がその後どうなったのかは不明です。三十年後に晋の献公が芮の公女を正妻としていたという記事があります。その正妻に子供が生まれなかったためにその後の晋の混乱が生じます。この時期までは芮はまだあったようですが、その後晋と秦の興亡に挟まれて歴史から消えてしまいました。

習習谷風 止まない谷の風(女の怒り)
以陰以雨 曇り雨が振ってきた
黽勉同心 つとめて同じ心であろうとしましたが
不宜有怒 返ってお怒りを招いてしまいました
采葑采菲 カブを収穫しても
無以下體 地中の実はありません(下心はありません)
德音莫違 ご意向にはもう逆らいません
及爾同死 あなたに死ぬまで従います

行道遲遲 追放の道を歩む足はのろく
中心有違 心は本意ではありません
不遠伊邇 遠くはありませんが
薄送我畿 補えられて私は王都へ送還されました
誰謂荼苦 だれが茶を苦いといったのでしょうか
其甘如齊 今の私の境遇と比べれば菱(齊)の実のように甘い
宴爾新昏 あなたは再婚したという
如兄如弟 再婚相手が私には兄や弟のように見える

涇以渭濁 涇水は渭水と合流して濁ると言いますが
湜湜其沚 涇水の水辺のように私の心は清らかです
宴爾新昏 なのにあなたは再婚して楽しそうで
不我屑以 実の子供の私を顧みてくださらない
毋逝我梁 私のやな(魚捕りの罠)にいかないでください
毋發我笱 私のやなを開かないでください(国を勝手に治めるな)
我躬不閱 私は自分すら管理することのできない愚か者
遑恤我後 自分の今後を考える余裕など今はありません

就其深矣 深い瀬は
方之舟之 船や筏で渡る
就其淺矣 浅い瀬は
泳之游之 泳いででも渡れる(川を渉って芮に帰りたい)
何有何亡 何が正しくて何が間違っているのか分からない
黽勉求之 今後は努めて正しく振る舞います
凡民有喪 民が困っているときには
匍匐救之 禹のように体を磨り減らして働きます

不我能慉 母親だというのに私を養わず
反以我為讎 帰って私を仇敵のようにお思いになる
既阻我德 私の気持ちを受け入れない
賈用不售 商人を用いても売らない(意味不明)
昔育恐育鞫 昔は注意深く育ててくれて
及爾顛覆 私をあやしてくれたのに
既生既育 既に大きくなってからは
比予于毒 私を毒扱いするとはどういうことなのでしょうか

我有旨蓄 私にだって少しくらいの蓄えはあります
亦以御冬 冬くらい越せます
宴爾新昏 あなたは再婚して
以我御窮 私は少ない蓄えで困っている
有洸有潰 今にも堤防が決壊しそうだ(涙がこぼれてくる)
既詒我肄 既に私は晒し者だ
不念昔者 こんなことになろうとは思いもしなかった
伊余來既 しかしこれが現実である 

 国中から嫌われて追い出されたというのに母親を非難して、全く反省の色が見られません。やはり芮伯萬は暗君であったのでしょう。

 齊が菱(ヒシ)を意味することは、私の易経の水火既済の分析をご覧ください。「博」は地名の「蒲」(芮のすぐ近くにあった邑)という解釈と「補」(とらえる)と解釈する両方が成り立ちますが、私は捕らわれると考えました。

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