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2012年10月 6日 (土)

詩経勝手読み(五一)・・・何彼襛矣・野有死麕その三

 春秋時代の主役は初期が鄭、その後数十年間斉が主役に躍り出て、覇者文公重耳の登場後は晋、後期は晋の貴族です。何彼襛矣は斉勃興のきっかけとなった政略結婚の詩です。

 斉は西周中期に一度周王に滅ぼされています。その後複数の系統が濫立して斉は混乱しますが、荘公(在位:〜紀元前731年)の時代に統一に成功します。荘公は平王と同世代です。

 荘公の子が僖公(釐公)で、その子が襄公です。襄公は平王の孫と同世代になります。

 春秋左氏伝の魯の荘公元年に、王姫(周の王女)が斉へ嫁いだという記事があります。王女が結婚するのは、斉の公か太子のはずです。この時の斉公は襄公で、襄公には太子がいなかったため襄公の死後に斉は混乱しますので、王姫が結婚したのは襄公のはずです。

 何彼襛矣に出てくる平王の孫はこの王姫であり、斉公の子は襄公であると考えるべきでしょう。

 先に述べたように、平王の大子洩父は王になることなく死去しました。王姫を○王の子と書いていないのは、父が王位にはならなかったからです。王姫は、大子洩父の娘で、桓王の姉か妹でしょう。

 では何故斉の襄公をはっきりと襄公と書いていないのでしょうか。それは野有死麕が襄公の悪事を告発する詩だからです。さらに何彼襛矣も襄公の悪事を告発する詩である可能性すらあります。

 襄公は春秋時代最大級の異常人格者でした。実の妹の文姜と近親相姦していました。文姜が魯の桓公に嫁いだ後も、何度も文姜を里帰りさせて近親相姦しています。

 魯の桓公がこれに気がつき、会談の席で襄公に抗議すると、襄公は桓公を狩りに連れ出し、公子彭生(襄公の庶出の兄弟か従兄弟と考えられる)に命じて桓公を暗殺してしまいました。

 他国に嫁いだ妹と近親相姦するだけでも異常なのに、さらに妹婿を殺害するなど、さすがに異常すぎます。斉は強力だったうえに、誰も見ていない狩場での暗殺だったために証拠がなく、魯は泣き寝入りするしかありませんでした。せめて実行犯だけでも処罰しろと抗議してきたため、襄公は彭生を殺します。

 襄公はその後も他国の継承争いに介入したり、部下との約束を反故にしたりを繰り返したため、ついに叛乱を招き、公孫無知(襄公の従兄弟に当たる人物)によって殺害されてしまいました。

 王姫が襄公に嫁いだのはこの桓公殺害事件の数年後です。

 桓公の死後、魯の公室は文姜を斉国境付近の邑に追放しました。襄公は何度も文姜の住居に通って密通を続けました。そんな中での襄公と王姫の結婚でした。

 王姫は、襄公と文姜の近親相姦の事実を知っていたでしょうし、桓公殺害の噂も聞いていたでしょう。

 何彼襛矣の第一聯にある「曷不肅雝」は何で楽しそうではないのだろうという意味ですが、実際王姫は結婚に乗り気ではなかったはずです。しかしこの時期洛邑では周王・鄭公・虢公・周公らが内部対立を繰り広げており、新興勢力の斉を味方に付けるため、彼等のうち誰かが襄公に王姫を差し出したのでしょう。

 残念ながらこの結婚は不幸に終わり、斉に到着してすぐに王姫は死んでしまいます。旅の疲れか、あるいは襄公によって殺害されたのでしょう。

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