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2012年10月24日 (水)

易経勝手読み(五七)・・・凱風

 凱風には従来から宣姜の七子を歌った詩という説があります。春秋で七人兄弟と言えば宣姜を意味するからです。再建された衛には浚という邑が含まれていたからと言うのもあるでしょう。

 衛は曹の地に再建されましたが、手狭だったか、防衛に適していなかったからか、約十年後に少し東の楚丘という土地に再び移転します。この時にも斉の桓公が援助してくれました。棘、棘薪というのはおそらく楚丘のことでしょう。

 詩経の中では宣姜は優しき母として大変慕われており、とても衛滅亡の元になった毒婦という印象は受けません。衛の滅亡は別に宣姜の責任ではなく、鄭・衛・周の内部争いの結果であり、宣姜は慈愛あふれる母親だったのでしょう。

 宣姜の子供たちは、一致団結して衛を再建しました。衛は最終的に秦の時代まで続くことになります。

凱風自南 穏やかな風が南から吹く
吹彼棘心 楚丘に吹く
棘心夭夭 楚丘は弱々しく
母氏劬勞 お母様に気苦労をかけています

凱風自南 穏やかな風が南から吹く
吹彼棘薪 楚丘に吹く
母氏聖善 お母様は慈愛あふれ
我無令人 私たちは不肖の子です

爰有寒泉 ここに冷泉(黄泉のこと)があります
在浚之下 浚の地に
有子七人 七人の子がありながら
母氏勞苦 お母様には苦労のかけ通し

睍睆黃鳥 かわいらしいウグイス
載好其音 きれいな声でなく(幼少期の思い出?)
有子七人 七人の子がありながら
莫慰母心 お母様の心を慰めることもできなかった

 凱風は宣姜を浚の地に葬った後、宣姜の子供たち(文公、桓夫人、穆夫人)が宣姜を懐かしんで詠んだ詩でしょう。曹や楚丘の地は犬戎の最前線ですし、黄河に近く洪水の危険もあります。ですから浚に葬ったのでしょう。浚は楚丘からは東南の方向にあります。

 宣姜に七人の子供がいたというのは史実でしょう。けれども後世には恵公、斉子、戴公、文公、桓夫人、穆夫人の六人しか伝わらなかったのでしょう。それで春秋左氏伝の編集者は、数をそろえるために寿を宣姜の子供として加えたのでしょう。

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