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2012年11月24日 (土)

詩経研究の先達を発見

【陰暦】十月十一日

先週の土曜日、「出雲國譲りの真相」と「やさしい易」を国会図書館へ納本するついでに神田神保町へ寄りました。お目当ては古代中国史の資料。

神保町には中国書籍専門店が数軒あり、専門の研究書が入手できます。

そこで私の詩経研究と方向性が同じ研究者を見つけました。加納喜光という漢文学者です。加納氏は詩経は道徳詩や祭事詩ではなく、ほとんどが恋愛詩として解釈が可能としており、私の主張と非常に似通っています。

値段も手頃だったので、著書を二冊入手しました。
「詩経I・恋愛詩と動植物のシンボリズム」
「詩経II・古代歌謡における愛の表現技法」

詩経にはたくさんの動植物が読み込まれているのですが、それが何をさしているのかを加納氏は丁寧に特定しており、資料性も抜群です。

加納氏は元茨城大学の教授で、プロフィールによれば現在72歳ですから既に退官されているようです。茨城という所にも親近感を覚えます。

加納氏の解釈と私の解釈は全く同じというわけではなく、氏は詩経のほぼ全てを恋愛詩の観点から解釈していますが、私は祭事詩や歴史的事実をテーマにした詩も少なくないという立場です。また、大学教授という立場からか、セックスや性器に関する隠語と思われる詩の解釈が甘いと思われる部分もありました。

加納氏に私の易経と詩経の研究成果をぶつけてみたくなりました。

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易経・春秋」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。thomasです。
この点も、私として感銘を受けた点です。べっちゃん説の白眉は2つあって、一つは「古古断絶(古代と更なる古代の間の、意味内容の伝承の断絶)」に自覚的であること、もう一つは、「漢籍を、『天下国家(または公事)』から解放したこと」だと思っています。
「漢籍(後世の白話系を除きます)は、『天下国家と政治道徳のみ』を記す古典である」は、とりわけ中華外来の漢籍と、国内で執筆された国文を対比してとらえる日本では、「国文学(とりわけ所謂平安古文)は『色恋沙汰&花鳥風月だけ』である」という、反対側に陣取る固定観念が絡む、複雑で厄介な問題になっているように思います。これは、男性的/女性的、公事/私事、理性的/情緒的、論理的/感情的、といった、わかりやすい二分論の莫大な束を背景に成立する強固なステレオタイプであるがゆえに、ここから離れることは容易ではありません。
私などは、べっちゃん氏とは思春期の経験が真逆で、文系を選択しながらも、「好きでもないのに『ライトノベル』や『安い昼ドラ脚本』ばかりを読まされる古文」に、虫唾が走り、怒りとストレスで髪を抜きたくなるほどの嫌悪感を感じながら、千年読み継がれた古典が、ラノベや三文ソープオペラレベルではあるまい…という疑念を抱きつつ、勉強をしていました。(一応、文系としてはそれなりの入試成績を出しましたので、闇雲に嫌っていたわけではありません。大学受験したその日の夕方にすら親に愚痴った記憶がありますが…)
一国の古典に、そんな奇妙奇天烈な分業的偏りは、元来はあり得ないはずなのです。平安古典の「マッチョな読み方の一例」は、義江彰夫教授の、源氏物語の社会構造的読み方に感銘を受けて、少し意識が変わりましたが、漢籍の、それも詩経を私事的に読む、ということは、べっちゃん氏の解釈に、初めてに近い衝撃を受けているところです。

thomasさんこんにちは

加納氏も指摘していますが古代の歌謡を解明するのに重要なのはロジックです。これは洋の東西を問いません。

旧約聖書の創世記は言語(古代アラム語?)で読むとダジャレとナゾナゾでいっぱいらしいですし、仏典も基本的には歌謡ですし、大乗仏典は延々と卑近な言葉と例えを使った論理学の照明が続きますし、イエスの言葉は旧約聖書という古典をバックボーンにしてその裏をかくようなロジック(イエスのロジックの基本は意味の拡大解釈と揚げ足取りです)で固められたまあ現代的な言い方をすれば知的なパロディーですね。

こういう訓練は数学で積んでいますので、古代の古典の解読は理系に向いている作業だと思っています。

過去の解釈の集積から解釈を導き出す文系的手法は、中世以降の文献の解釈には力を発揮しますが、これら古代の書の解釈の場合は、アカデミズムが邪魔をすることも少なくないのではないでしょうか。

あと古代の書では動植物や気象を使った比喩が重要な役割を果たしているので、その面でも理系の知識が役立ちます。

私は高校生の時に万葉集を読破したのですが、「ますらをぶり」は全く読み取れませんでした。おそらく日本で「ますらをぶり」が文芸の主流だった時期なんてありませんね。

日本の場合、知的マッチョは仏教に力を注いできましたので、歌や物語ではなく仏典の方を読めばそう言う欲求が満たされるのではないかと思います。

これは生きているうちにたどり着けるかどうかわからないのですが、私の最終的な目標は荀子と漢籍仏典の関連性の解明なんですよ。

私は仏典が好きで、大学時代に仏典を読んでいました。

荀子も現代的な感じがして社会人になってから読んでいたのですが、荀子のロジックと用語は漢籍仏典と非常に似通っているのです。

儒教では漢代以降、性善説が主流となり性悪説が滅びたとされていますが、私は荀子学派は仏教と合流したのではないかと思うのですよね。

性悪説とカルマは似ていますから。

あるいは、荀子が何らかの方法で仏教を知っていた可能性もあると思います。

ただ、順番としては五経を解明し、その上で漢籍として日本書紀を読んだ後になりますから、このテーマに取り組むのは多分六十歳を超えてからになると思います。

thomasです。ご返信ありがとうございます。
私が拝見する限りでは、べっちゃん氏の易経・詩経解釈は、理系的どころか、Bahthold G. Niebuhr以来の、西ヨーロッパにおける最も正統な歴史学の手法の王道の、それもかなり筋の良い適用例です。期せずしてだと思うのですが(返信内容を読んで、むしろこのことに面喰らいました)、私にはそう見えます。ただし、歴史学と言っても、源流としては、Niccolo` Machiavelliの隠れた名作 Discorsi sopra la prima Deca di Tito Livio(リヴィウス「ローマ史」最初の10巻の考察)に繋がる手法で、神学的・法学的ではなく、どちらかというと自然哲学的な手法になります。解釈で規範や命令や道徳律を導くのではなく、事実から原因を探る、という方法で、その意味では「自然科学的(日本でいう「理系的」)というのは的確です。この方法は、博物学の莫大な知識を摂取し、数学という帝王切開のメスを得て自然科学を分娩しながら、広い意味での西ヨーロッパの知性の源流となっていきます。
 私の目からすれば、べっちゃん氏の解釈は、世界の学問からみても、そんなに特異なものではありません。マキャベリ式の原因探究的態度を進めれば、森羅万象に関する博物学の知識を武器にfolklore研究の方向へ向かうのは、ごく自然なことですし、NiebuhrからMommsenへと進む19世紀歴史学の王道でもあります。
ただ、この正統な原因探究的歴史学という手法は、具体的に研究を進めると、大変に難しいのですね。真正の自然科学と違い追試不能ですから、原因を正確に突き止めることはできない。今読むと、Mommsenも具体的には変なことばっかり言ってます。更に、この方法論は、過剰に論理を踏み込んで展開すると、却って滅茶苦茶な方向へ飛んでしまうという問題があり、べっちゃん説にも、時に思うことでもあります。(個人的には、最も打率が高いと思われる易経解釈でも、1/4程度は同意しかねます。しかも改説するほど、むしろ良さが失われてしまう…これは方法論的問題なのでしょう)

thomasさんこんばんは

うわっ、なんだかすごい名前がいっぱい。さすが専門的訓練を受けた人は違いますね。

ブログで発表した内容に要修正点が多々あるのは私も自覚しております。「やさしい易」にするときに、1/4くらいはブログからは丸っきり内容を変えました。

それでも「これは違うかも・・・」とおもうのがまだいくつかあります。

確認作業は確かに難しいですね。易なんかは戦国時代には既に意味がわからなくなっていたのは、荀子の陰陽を使った衒学的な解釈から想像できるし、詩経も春秋左氏伝(完成したのはおそらく漢代でしょう)の詩の引用を見ればわかりますしね。

唯一残る一次資料は金文です。あんまり評判は良くないのですが、私の易解釈の似た漢字シリーズは、逆に検証可能なんですよね。当時の字が残っているから。

そもそも漢字というのは象形文字ですから、時代を遡れば遡るほど、字と意味が不可分になるはずです。仮借は元々の意味が失われてから出てくる用法のはずですから。だから、わからない漢字をことごとく代名詞にしてしまうこれまで詩経解釈はどう考えてもおかしいのです。

しかし自分で漢字の語源を調べるようになって、いかに白川静には間違いが多いか思い知りました。もちろん業績も大きいのですが。

漢字の語源研究や甲骨・金文の解釈は白川静で完成!みたいな風潮は何とかしたいですね。白川文字学のドグマ化は、研究者を儒者とはまた違った方向の間違いにはめてしまい、東洋史の研究が再び停滞期に入ってしまうでしょう。

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