サイの否定(1)・・・吉と右の語源
白川文字学の基礎となっている概念がサイ(口)です。漢字には口を構成要素として持っている文字が無数にあります。しかし、甲骨と金文を詳細に調査した白川静は、古代に口が人間の体のくちの意味で使われた用例がないことを突き止めました。
そして口は神に捧げる言葉である祝詞を書いた布、もしくは札を納めた箱ではないかという仮説を立てました。白川静はこれをサイと名付けました。そして、古代中国人は、祝詞が納められたサイに呪力を感じていたという仮定を元に右・吉・言・告・事・使などの文字を解明していきました。
サイは白川文字学の出発点です。
しかし、私はこのサイという概念で漢字に含まれる「口」を全て説明することには無理であると考えます。事・使の口はおそらく白川のサイに近いですが、右・吉・言の口はサイとは関係がありません。
その突破口となるのは、吉です。吉は斧を表す士と口でできています。白川静は、祝詞を収めたサイの上に、呪いの道具である斧を置くことで、祝詞の呪力を守ることと解釈しました。
ではこの語源で吉をつくりとして持つ漢字の成り立ちを説明できるでしょうか。吉をつくりとして持つ漢字には、結・蛣・髻・纈・桔・詰・頡・があります。これらに共通する意味は、結び目、縮めるです。
結は文字通り紐の結び目です。髻は髪の毛を結んだマゲです。蛣はボウフラです。ボウフラは紐と結び目のような形をしています。纈は絞り染めです。桔は井戸の片方に錘が付いたはねつるべのことで、これもまた棒の先端が膨らんで結び目のようになっています。詰は短くすること、頡も減らすという意味です。
祝詞の呪力を守ることと、結び目の間には関連がありません。吉の士が斧であることは間違いがないので、吉に「短くする」という要素がある以上、吉の士は刃物で何かを切って短くする動作を意味していると考えるべきでしょう。
切り取ったあとに結び目のような物が残る、これが吉の語源ですが、果たして何でしょうか?
ここで左が稲こきを意味する言葉であったことを思い出してください。右もまた稲作に関連する文字とは言えないでしょうか。右手で持ち、口(甲骨文字の口は蓋をしたU字形をしています)の形をした道具、甲骨文字の口を見たことがある人にはピンと来ます。これは石包丁です。
石包丁は、三日月型をした磨製石器で、稲穂を刈る道具です。藁を切るには鋭利な刃物が必要でした。石器で稲を根本から刈り取るのは無理です。石器しかなかった時代には、まず石包丁で稲穂だけ刈り取り、それを根本で結んで干したと考えられます。日本人であれば誰でも秋の田で稲束を結んで干してあるのをみたことがあるでしょうが、金属の鎌がなかった時代には、収穫期にはまず稲穂だけを刈り取って、稲穂だけを結んで干していました。
おそらく穂を刈り取った残りの茎の方は、藁として使用する分だけ根こそぎ引き抜き、それ以外は刈り取らないで田んぼで燃やして肥料としたのでしょう。石器で田んぼに生えた全ての稲の茎を切るのは至難の業だからです。石斧で木を切り倒すよりも難しいはずです。
石包丁で稲穂を刈り取ります。そうすると、稲穂は短くなります。そして、古代には刈り取った稲穂はすぐには稲こきせずに穂を藁で結んだ状態で保存していました。だから稲刈りを表す吉から結び目という意味が派生するのです。
結ぶという文字には、植物が実を付けるという意味がありますが、これは吉が稲刈りを表す文字であることによります。
吉の口は石包丁であり、石包丁で士(切る)ので稲刈りです。
稲刈りなので目出度い。吉です。稲穂のように見えるので結ぶ。刈り取って短くするので詰です。稲穂のように髪の毛がまとまっているので髻です。
吉が男の名前に使われるのは、吉が大人の男の髪型である髻(マゲ)を意味するからです。
日本語では「結ぶ」が紐を結ぶことと植物が実を付ける両方の意味を持っています。商の甲骨文字の更に古層の漢字の起源は、むしろ中国語ではなく、大和言葉に近く、白川静もこれに気がついていました。甲骨文字を残した商の史官(占い師)は、語源を知らず文字を使っており、おそらく漢字を生み出したのは商ではなく、東夷ではないでしょうか。
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