レコンキスタ
mixiで中世キリスト教のことを議論していて、レコンキスタについて面白いことに気がつきました。
レコンキスタは8世紀初頭に始まり、約800年間にわたって展開された、イベリア半島からのムスリム駆逐運動です。7世紀に誕生したイスラム教は急激に信徒を伸ばし、イスラム帝国は周辺諸国を侵略していきます。
ムハンマドが啓示を受けてから100年ほどで北アフリカはすっかりイスラム帝国の版図となり、ウマイヤ朝はジブラルタル半島を越えてイベリア半島に攻め込み、今のポルトガルとスペインのほとんどは、イスラム帝国の支配下に入ってしまいました。
イベリア半島はローマ帝国時代にはイタリア半島に優るとも劣らない繁栄をした地域で、皇帝も複数輩出しています。イベリア半島はローマ・カルタゴ・ムーア人・ユダヤ人・そして原住民(バスク人など)の混住地でした。
そこにゲルマン大移動でヴァンダル族や西ゴート族が侵入して混乱していたところにイスラムがやってきたため呆気なく支配されたのでした。
イスラムは別にキリスト教を迫害はしませんでしたから、当時としては開明的だったイスラム帝国の中でイベリア半島は繁栄します。イベリア半島にいたキリスト教徒は別に誰も困っていなかったのです。
しかし、ここにフランク族が登場します。フランク族の大酋長シャルル・マーニュはイベリア半島征服を目指し、イベリア半島北部に基地をつくり、南下を開始します。これがレコンキスタです。
フランク族は現在のフランスとドイツ西部に住み着いたゲルマン人で、彼等にとってイベリア半島は故郷ではありません。フランク族がイベリア半島を回復するのは欺瞞であって、レコンキスタはフランク族によるイベリア半島征服に過ぎないのです。
現在のフランス・ドイツ・北イタリア・イングランドに押し込められていたローマ教会は、権威と財力拡大のため、レコンキスタを全面バックアップします。
迷惑であったのはイベリア半島の住民で、自分たちの土地を取り戻すという名目で、赤の他人のフランク族がやってきて、イスラムよりも重い税を課し、土地の所有権も奪われてしまいました。フランク族は次男坊三男坊を出家させて教会の主にして、その教会に土地を寄進をすることで財産の保全を図りました。こうして赤の他人のフランク族が管理するキリスト教会の土地も増えていきました。
キリスト教会は、ムスリムに支配されていたイベリア半島の住民を下等な信徒として差別しました。イベリア半島ではムスリム・キリスト教徒・ユダヤ教徒が仲良く暮らし、混血もしていましたが、フランク族の国では混血は差別されて、公職に就けず、土地の所有権も認められませんでした。
20世紀にスペイン内戦で爆発することになる、スペインの身分制・教会への根強い反発の根源はレコンキスタにあります。
レコンキスタは、イベリア半島の住民にとっては国土の回復でも何でもなく、フランク族による征服に過ぎなかったのです。キリスト教会は、フランク族による征服の道具でした。スペインが17世紀以降発展を止めてしまうのも、悲惨な内戦もレコンキスタを正義の運動として、住民に押しつけたことに原因があります。
« 四国旅行(2) | トップページ | 四国旅行(3) »
「歴史:権門勢家」カテゴリの記事
- 宗任神社(2)(2021.04.22)
- 宗任神社(1)(2021.04.19)
- レコンキスタ(2013.05.25)
- 詩経勝手読み(六十)・・・簡兮(2012.11.03)
- 摂関政治全盛期の藤原氏の諱と菅原道真の失脚(2011.05.21)
べっちゃんさん、ご無沙汰してます。
今回の「レコンキスタ」は、他のエントリー「八重の桜−生瀬海舟と吉川隆盛」の続き予定の「明治維新」に絡むキリスト教の一面への伏線でしょうか。
投稿: 保守系左派 | 2013年5月30日 (木) 13時21分
保守系左派さんこんにちは。
私の絵の先生がスペインが好きで、その影響で私もスペインに憧れ、スペインの歴史とか映画とかを調べるようになりました。スペイン料理も大好きです。
その過程でスペインには複雑な地方対立と身分の対立があることを知りましたが、ローマやイスラムに占領されていたと言う説明だけではいまいち腑に落ちませんでした。
しかし、レコンキスタによってやってきたフランク人が侵略者で、彼等が今もってスペインを支配しているとすると考えればいろいろなことが理解できることに気がつきました。
これはスペイン人自身も気がついていない視点だと思うのです。ていうか気がついたらスペインという国が崩壊してしまうから目をそらしているのかもしれません。
今のところキリスト教や明治維新とは関係ない独立のテーマですが、どこかで繋がるのかもしれません。
投稿: べっちゃん | 2013年5月30日 (木) 15時12分